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【東京特派員】白鵬に太刀が似合う理由 モンゴル-チベット-日本をつなぐ過去

2014.12.9 11:50 産経新聞より転載

【東京特派員】白鵬に太刀が似合う理由 モンゴル-チベット-日本をつなぐ過去

http://www.sankei.com/images/news/141209/clm1412090010-n1.jpg十一月場所千秋楽表彰式で手を振る白鵬=福岡国際センター(撮影・岡田亮二)

 明治の断髪令から140年以上たっているのに、大相撲の力士たちはいまだ頭に髷(まげ)を乗せている。土俵の上では、仕切りの型を繰り返して闘志をかき立て、呼吸が合った瞬間に砂を蹴る。まわし一本の彼らを見るたびに、「動」の前の「静」を重んじる日本の美学を感じるのだ。
 ところが、年明けに始まる初場所両国国技館は、2階席から見下ろす外国人力士ばかりの優勝掲額32枚に出合う。しかも、大鵬と並ぶ32回優勝の大記録を打ち立てた白鵬には、手に日本刀を構えた威風堂々の姿がよく似合う。いまや大相撲のモンゴル系力士は、白鵬はじめ日馬富士鶴竜の3横綱のほか、逸ノ城という若き怪物も台頭してきた。なぜ、日本の相撲界にこれほど多くのモンゴル人関取がいるのだろう。
 モンゴル系の学者、楊海英(モンゴル名、オーノス・チョクト)さんは、フランスのサッカー・チームに大勢のアフリカ系黒人の選手が活躍しているのと同じ理由をあげる。どちらも、かつての植民地出身者が、その宗主国で活躍しており、韓国系や台湾系が野球で活躍しているのも道理なのだという。厳密にいうと横綱3人の故郷である北の「モンゴル国」は植民地になったことはなく、楊さん本人や蒼国来の生まれ故郷「南モンゴル」がそれにあたる。
 静岡県立大学教授の楊さんは、最新著の『チベットに舞う日本刀』(文芸春秋)で、「日本人よ、忘れてほしくないことがある」と切々と訴える。同じモンゴル民族が南北で異なる国家に分断され、南の満州国は中国内モンゴル自治区編入されている。
 モンゴルの騎兵部隊は、当時の日本陸軍満州国で創立した興安軍官学校の卒業生たちだった。優秀な人材は憧れの日本陸軍士官学校に留学し、満州で日本刀を操る勇猛果敢な騎兵に成長していく。そう考えると、日本刀を構える白鵬の立ち姿が違和感なく結びつくのだ。
 そのモンゴル騎兵の悲劇は、日本の敗戦とともにやってくる。南北モンゴルの民族統一という夢は、大国による「ヤルタ協定」によって阻止される。モンゴルの北にはソ連兵が侵入し、南は中国共産党が兵を進めた。南モンゴルは中国の「民族自決権を与える」との甘言に乗せられた。抵抗した兵は虐殺され、残りは傭兵(ようへい)として同じ少数民族であるチベット侵攻の先兵にさせられた。
 中国共産党のいう「夷(い)を以(もっ)て夷を制する」という卑怯(ひきょう)なやり方である。強者が少数者の忠誠心を試し、少数者は生き残りのためにそうせざるを得なくなる。モンゴル騎兵は日本陸軍に訓練された精鋭であり、馬上からチベット人に日本刀を振るった。
 楊さんが会った元騎兵第14連隊の生き残りの一人は、ガングラの草原でチベット族の女と子供には手を出さず、後からきた中国兵に引き渡した。ところが、「奴(やつ)らはその200人全員、虐殺してしまった」と嘆いた。モンゴル兵は慚愧(ざんき)の念に堪えながら、生き残った女、子供らを馬に乗せて避難させる写真も残されている。
 やがてモンゴル騎兵は、少数を迫害する中国人と衝突する。抵抗したがゆえに、今度は彼らが虐殺の対象となる。1966年5月、中国の文化大革命が発動されると、モンゴル騎兵は武装解除され、各地で虐殺の悲劇を生んだと楊さんは記述する。
 モンゴル騎兵の現代史は、チベットと日本の歴史でもあった。モンゴルの血を受け継ぐ大横綱白鵬は11月の九州場所で優勝して、「この国の魂と神様が認めてくれたおかげで、この結果があると思います」と述べて、涙を流した。めぐり来る初場所では、改めて太刀持ちを従えた白鵬の土俵入りをみたい。(湯浅博 ゆあさ ひろし)
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