南モンゴルの最も重要な活動家の一人、ハダ氏解放か? 現地からの映像(16日、映像の翻訳文章を追加)
南モンゴルの最も重要な活動家の一人であり、その解放がモンゴル自由連盟党の活動の重要目標でもあったハダ氏が解放されたとの情報が9日、南モンゴル現地から入った。
そして12月10日、ハダ氏が4年の“追加刑期”を終えて出所したと中国外務省は発表した。
ハダ氏、およびその妻シンナ女史と思われる人物からの写真・映像も現地から届いている。日本国内の複数のメディアもそれを伝えている。
氏は未だ完全な自由ではなく、当局の監視下にあるという情報もある。
(以下は動画の翻訳です。動画ではモンゴル語および中国語で同じ内容を話している部分もあります)
ハダ氏の話(2014年12月9日)
19年間の“不正”は今日をもって終了しました。
19年の間、わたくしに罪を認め、理念を捨てさせるため、当局は私にあらゆる手段を使い、虐待し苦しめつつけてきましたが、私は自分の理念を決して捨てることなく、彼らと戦いつづけて今日に至り、諸段階の勝利を勝ち取りました。
しかし、その代わりに重大な被害を受けました。それは主に、妻と子供に無実の罪を与え、各種の圧迫、危害を加え続けたという点であります。また私も虐待され続けたことで、身体が不自由になりました。
当局は私を釈放する前に、陳情・起訴することができると言っておきながら、これらの権利を制限し、奪うため私を苦しめました。特に、外部のマスコミ、メディアなどの取材を受けてはいけない、親族以外の人と接触したり交流したりしてはいけない等々と繰り返して警告しました。
このように、私は釈放されるというのに未だ犯人のように扱われたわけですが、こうした当局の行為を断固受け入れませんでした。
今後は自分の生活を調え、勉強をしながら、民族への圧迫に抗議し、陳情・起訴する活動をつづけます。
シナー女史(ハダ氏の妻)の話
今日は2014年12月9日です。ハダは19年間刑務所に閉じ込められ、今日やっと釈放されました。
わが家族3人はやっと一緒になることができました。
先ほどハダも話しました。今日の彼の精神状態は、以前と比べるとかなり良いと思われます。
19年間の苦難の中で、ハダが牢屋の中で死ななかったことは不幸中の幸いです。これから、しばらくの休養が必要です。
ここで私は、次の三点を強調したいと思います。
1.ハダは民族問題で15年の重い罪を受けました。ところが当局は2010年12月10日に釈放されるはずであったのに釈放しませんでした。当局に追加で4年間、不法に監禁されました。私たちは、まず前の15年間のことは置いても、この4年間の不法監禁に対して、家族としてかならず法律に基づいて起訴します。
2.私と息子はハダのことで陳情(呼びかけ)をしたため、当局は私たち二人も犯人扱いしました。私には不法経営を行ったとして懲役3年執行猶予5年、息子のウイレスには不法に麻薬をもっていたとして罪に問いました。私たち二人も法律に基づいた起訴を行います
3.もし中国が本当に「依法治国」をするなら、わが一家に起きたこの不法な事件は必ずただされるはずです。それとともに、わが一家を破滅に追い込んだ人たちは必ず法の網に落ちることでしょう。
最後に、私が一家の悲劇が中国で二度と起こらないように。2014年12月9日正午