「国を守る」 ということがマスコミに先導されず国民そのものが理解でき始めた証拠だ。
本来なら 国民であれば 「国」 「国歌」「国旗」 を頭に描き 自国を防衛することに何ら
疑問を感じないはずが、占領教育と支那・ロシアの左教育で70年も遠回りしてきた。
北東アジアで日本の役割は大きいはずであるが、それが読めないマスコミのバカ頭が
いまも沖縄の人々を蝕む。 とにかく英語の記事を読め!!!
勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
2015年5月12日号。<「軍事についての教育」
がないことに、実は私は「朝日新聞」以上の危機感を持っています>。
3時半起床。尼崎市の実家。
わっはっはっはっ。とにかく笑ってみる。いや、まあ実際に笑ったのです。私の読者はヘンな人(最大限の惨事もとい賛辞よ)が多いとは思っていたが、ちょっと自分の状況について書いたら、あらゆるバリエーションのメールが来る。面白い。元編集者としての本能は「これ、まとめたら本になるんとちゃうか」である。
鬱病やそれに近い体験をした方が多いのには驚いた。「わかりやすい」病気とは違って皆さんいろいろな治癒するための方法を試しておられる。それらの真剣なアドバイスに涙が出た。これ、本当に涙が出るんです。そういえばここ何ヶ月かやたらと涙もろくなっていたけれども、前兆だったかも知れない。
「理性」がずっとコントロールしてきたものが「感情」に負け始めていたということかな。しかし「理性」でコントロールするということそのものが傲慢なことであって人類はそのことに挑んでは敗北してきたわけだ。おっと、自分語りはこれくらいに。自分を語っていることそのものがもうビョーキなのである。敏感にして賢明な読者諸氏におかれては、ここしばらくの私のその傾向にもう気がついておられた。
でもひとつだけ。私のたったひとつの拠り所であるたったひとつの家族に救われている。「危ないから今夜は実家に泊めて」と頼んだだけで友宏医師は「飯でも食う?」と近くの寿司屋に行った。これもひとつの症状なのだろうが、伊丹空港から車に乗る時も私は電話をいじくりまわして「断ろうか」と考えていた。でも行ってよかった。弟だけではなく奥様と甥っ子まで来て賑やかな飯になった。ただし、私は「一口も」食べなかった。食べられないのだもの。
帰宅して寝る前に「胃薬だから」とクスリを渡された。胃薬なわけはなく、軽い抗鬱剤だと思う。今朝の段階では効果はまったくないが「そういうものではないよ」と。自分で認めていやがる(笑)。いい家族を持ったものだと感じている。
元気になるには何よりも朝日新聞を読むことである。脳血管への血流量が増えることだけは間違いない。しかし今日の朝刊は「腹が立つ」というよりも「大丈夫か」だった。安全保障に関する当り前の法律を一気に成立させることに対して因縁をつけているのだが、何を言っているのかまったくわからない。わからないことに対してコメントするのは、無駄だという気もするが、朝日という「集団馬鹿」が今日も築地で生きているということを知る上では、若干の意味があるのかも知れない。凄い。いや、この凄さは、いきなり言ってもほとんどの日本人は「はあ?」なのでしょうが、この日記を読んで来てくださっているあなたや、あなたなら「本能的」にわかって下さるのではないか。
<「専守防衛」変質/安保法制11法案、自公合意>
http://www.asahi.com/articles/ASH5C5J70H5CUTFK00L.html?iref=comtop_list_pol_n01
<自民、公明両党は11日の協議で、新しい安全保障法制を構成する11法案の内容で正式に合意した。日本の防衛から「国際貢献」に至るまで「切れ目のない対応」を掲げ、自衛隊の海外での活動の内容や範囲をこれまでより一段と拡大する中身だ。防衛戦略を受動的なものに限るとした「専守防衛」の理念のもと自衛隊に課せられていた様々な制約が、取り払われることになる。>
確かにご存じのように私はかなりな軍事オタクである。オタクとは若干の謙遜であって、現場を歩いている。でもね、そういう私でなくてもフツーの国語教育を受けた日本人ならば、この朝日の記述でもう立ち止まって考えなくてはいけない。<「専守防衛」の理念>て何だ?ちなみに私のパソコンでは「専守」なる言葉は変換で出てこない。選手、線種、先取、船主、とあっても「専守」はない。これはおそらく朝日などの商売左翼と、それに迎合してきた政治屋が作った、モノ書きとして言わせてもらえば「奇形」な言葉である。防衛は「専ら守る」でしょうが。「攻撃的防衛」ってあるの?それこそ「侵略」だ。
だからず~っと言ってきている。「自衛隊」という名前のおかしさを。「国防軍」でも私は笑ってしまう。「侵略軍」という名称は、アフリカの失敗国家ですら聞いたことがない。あっ、あのイスラムで国家を自称しているのアタマのおかしい連中は言っているかも知れないが。「ジハード」はそういう概念を含んでいるからね。
つまり今朝の朝日新聞の見出しの<「専守防衛」変質>を言い換えれば<自衛隊「侵略軍に」>でしょう。そう言わせたいのはどこかといえば、支那朝鮮であって、その意向が築地の奥深くまで浸透していることを再確認して私はゾッとした。朝日は紙面のほとんどをこの記事に割いている。すべてが「狂っている」としか思えない記述だ。思想的に「狂っている」のはもう承知していますよ。でも軍事的政治的に「間違って」いるのです。昔は朝日にも軍事を知る記者たちがいて、こんな記事は止めていただろう。そういう方々が引退して「ただの阿呆」が「思想的に許されるならやりたい放題」を書きなぐっているとしか思えない。当たっている分析もあるのだが、その読み解き方が間違っている。
<こうした法案の背景には、米国の防衛政策の一部を肩代わりして地球規模の連携を打ち出す代わりに、軍事面で台頭する中国を日米で牽制(けんせい)する狙いがある。>
その通りです。見事に正しい。しかし朝日はこれを「批判的な文脈」で使っているのだ。支那の侵略的膨張主義には「真っ当亜細亜」のすべての国々が迷惑している。盟主たる日本国としては牽制するのが当然でしょう。アメリカさんに来てもらってお願いするなら昔の植民地時代と同じになってしまう。亜細亜は亜細亜の中で対抗しなくてはいけない。本当は「日本国が牽制」すべきなのだ。
さきほど築地は支那朝鮮のプロパガンダの影響下にあると示唆したが、これなどまさにそうだ。
<安全保障法制/自衛隊活動、緩む制約>
http://www.asahi.com/articles/DA3S11748102.html
ここでは読めないと思うので、カネを払う場所から引く。朝日の中の面の小見出しにはこうあるのだ。
<離島不法占拠/出動命令しやすく>
素晴らしいことではないか。「うんうん、そうだ」とうなずくのが良民常民というものであろう。国家とは国民と領土の生命財産を護るためにあるのだから。
<具体的な対応としては、電話による閣議決定を新たに認め、政権が自衛隊に対して警察権に基づく「海上警備行動」や「治安出動」を素早く命じることができるようにする。通常の閣議決定で海上警備行動などを命じる現在の仕組みでは自衛隊の出動が遅れかねず、武装集団による離島の不法占拠などを許してしまいかねない。自衛隊と米軍が素早く連携する態勢を築き、抑止力を高める狙いだ。
ただ、むやみに自衛隊が前面に出れば、相手の軍事的な対応をエスカレートさせ、武力衝突を招く恐れもある。まずは、海上保安庁の能力向上を目指すべきだとの指摘もある。>
これまでできなかったことの方がおかしい。<電話による閣議決定>と言っている段階で、それでも半世紀ほど遅れている。最高指揮官である首相が決裁して命令を出せばいいとするべきだ。<海上保安庁の能力向上>って何だ。そりゃ巡視船にミサイルを積んでもいいですよ。しかしそういうことを始めれば、誓って言うが真っ先に反対するのは朝日新聞ではないか。
実はこの記事は、事実関係の記述としてはきわめて洗練されていてまともなのである。ただアタマがおかしいので、分析がすべて逆の方に行っているだけだ。
<安倍政権は、イラク戦争後に陸上自衛隊がイラク・サマワで行った人道復興支援活動のようなケースを想定し、改正案が成立すれば当時はオーストラリア軍などに頼っていた治安維持活動も自衛隊が担えるようになると説明する。>
うんうん、いいことだ。しかし。
<ただ、テロリストとの銃撃戦が生じたり、反政府勢力から狙われたりする可能性も高まりかねない。隊員の安全確保をいかに図るかが課題だ。>
そりゃ、軍隊を出しているのだから交戦があることは当り前でしょう。そうでなければ民間人が行けばいい。<隊員の安全確保>ってどこの国の言葉だ。もちろん指揮官は兵力の消耗を最低限にすることをいつも考える。でもね、軍人は「危ないから行く」のである。「警察官の安全確保を第一に」とか「消防団員は危険な場所に行くな」とか朝日は書かないでしょう。東日本大震災の時に殉職された尊い消防団員のみなさんのことは美談として喧伝する。それはいいと私も思う。ところが自衛隊員になると、憎々しい口調でこう書くのだ。おかしくないか?
なぜこんな単純な、子どもでもわかることをもっと他の大マスコミが指摘しないかがむしろ私には不思議である。『週刊新潮』次号では私がポソッと言ったネタで一本あるらしくお礼のメールが来たが、今朝の朝日の記事でもやりましょうよ。コメントするよ。
世界がいま抱えているリスクは「ウクライナ」「支那」「ギリシャ」「イスラム国」であると私はあちこちで話してきた。いずれも、あまりよろしくない。「ウクライナ」「イスラム国」といった軍事的なオプションが可能なケースは、まだしも手を打てるのである。しかし経済はなかなかコントロールが難しい。支那とギリシャだ。
<中国、3度目利下げ/経済減速に危機感>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2015051102000126.html
<ギリシャのデフォルト懸念高まる/合意見送りへ>
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150511-OYT1T50101.html
大マスコミの記事は踏み込んでいないが、支那はもうこれ以上「打つ手」がない。すると何が起きるかと言えば、実はギリシャと同じ「デフォルト」である。ただし、資本主義、自由主義経済圏に組み込まれていないので、複雑なことになるだろう。たったひとつ言えるのは「人民による暴動」だ。倉山「クララ」満先生の至言がある。支那の歴史は何千年の間「王朝の成立」「政府の腐敗」「人民の貧窮」「反乱が起きる」を律儀に繰り返してきた。習近平が必死になって腐敗の引き締めをしているのは第二段階が来ているからである。しかし経済の低下で第三段階が同時に押し寄せてきた。さてどうなるのか、まことに楽しみ…いや、日本も迷惑を被るのでなんとかして欲しいが。
ギリシャのデフォルトは実は「しょっちゅうやらかしている」のだが、支那経済の崩壊と同時に起きると、世界への影響はなかなか大きいだろう。それにしても。ギリシャと支那といえば、古代にはたいへんな文明を誇った国である。それが何千年かたつと、かくもダメになってしまうのか。他山の石としたいものだ。
さてこれをお送りすると立花駅からJRに乗り、ポートライナーでサンテレビに向かうことにしよう。弟は「今日はタクシーで行ったら」と言ってくれたし、本来はそういう予定だったのを局の負担を少しでも軽減してやろうと私が勝手に電車通勤をしているのだが、これくらいのことができないと、病気に立ち向かえないでしょう。ホームから「偶然」落ちないようにしなくては、と書けるくらいなら、大丈夫(笑)。
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発行:株式会社 世論社
3時半起床。尼崎市の実家。
わっはっはっはっ。とにかく笑ってみる。いや、まあ実際に笑ったのです。私の読者はヘンな人(最大限の惨事もとい賛辞よ)が多いとは思っていたが、ちょっと自分の状況について書いたら、あらゆるバリエーションのメールが来る。面白い。元編集者としての本能は「これ、まとめたら本になるんとちゃうか」である。
鬱病やそれに近い体験をした方が多いのには驚いた。「わかりやすい」病気とは違って皆さんいろいろな治癒するための方法を試しておられる。それらの真剣なアドバイスに涙が出た。これ、本当に涙が出るんです。そういえばここ何ヶ月かやたらと涙もろくなっていたけれども、前兆だったかも知れない。
「理性」がずっとコントロールしてきたものが「感情」に負け始めていたということかな。しかし「理性」でコントロールするということそのものが傲慢なことであって人類はそのことに挑んでは敗北してきたわけだ。おっと、自分語りはこれくらいに。自分を語っていることそのものがもうビョーキなのである。敏感にして賢明な読者諸氏におかれては、ここしばらくの私のその傾向にもう気がついておられた。
でもひとつだけ。私のたったひとつの拠り所であるたったひとつの家族に救われている。「危ないから今夜は実家に泊めて」と頼んだだけで友宏医師は「飯でも食う?」と近くの寿司屋に行った。これもひとつの症状なのだろうが、伊丹空港から車に乗る時も私は電話をいじくりまわして「断ろうか」と考えていた。でも行ってよかった。弟だけではなく奥様と甥っ子まで来て賑やかな飯になった。ただし、私は「一口も」食べなかった。食べられないのだもの。
帰宅して寝る前に「胃薬だから」とクスリを渡された。胃薬なわけはなく、軽い抗鬱剤だと思う。今朝の段階では効果はまったくないが「そういうものではないよ」と。自分で認めていやがる(笑)。いい家族を持ったものだと感じている。
元気になるには何よりも朝日新聞を読むことである。脳血管への血流量が増えることだけは間違いない。しかし今日の朝刊は「腹が立つ」というよりも「大丈夫か」だった。安全保障に関する当り前の法律を一気に成立させることに対して因縁をつけているのだが、何を言っているのかまったくわからない。わからないことに対してコメントするのは、無駄だという気もするが、朝日という「集団馬鹿」が今日も築地で生きているということを知る上では、若干の意味があるのかも知れない。凄い。いや、この凄さは、いきなり言ってもほとんどの日本人は「はあ?」なのでしょうが、この日記を読んで来てくださっているあなたや、あなたなら「本能的」にわかって下さるのではないか。
<「専守防衛」変質/安保法制11法案、自公合意>
http://www.asahi.com/articles/ASH5C5J70H5CUTFK00L.html?iref=comtop_list_pol_n01
<自民、公明両党は11日の協議で、新しい安全保障法制を構成する11法案の内容で正式に合意した。日本の防衛から「国際貢献」に至るまで「切れ目のない対応」を掲げ、自衛隊の海外での活動の内容や範囲をこれまでより一段と拡大する中身だ。防衛戦略を受動的なものに限るとした「専守防衛」の理念のもと自衛隊に課せられていた様々な制約が、取り払われることになる。>
確かにご存じのように私はかなりな軍事オタクである。オタクとは若干の謙遜であって、現場を歩いている。でもね、そういう私でなくてもフツーの国語教育を受けた日本人ならば、この朝日の記述でもう立ち止まって考えなくてはいけない。<「専守防衛」の理念>て何だ?ちなみに私のパソコンでは「専守」なる言葉は変換で出てこない。選手、線種、先取、船主、とあっても「専守」はない。これはおそらく朝日などの商売左翼と、それに迎合してきた政治屋が作った、モノ書きとして言わせてもらえば「奇形」な言葉である。防衛は「専ら守る」でしょうが。「攻撃的防衛」ってあるの?それこそ「侵略」だ。
だからず~っと言ってきている。「自衛隊」という名前のおかしさを。「国防軍」でも私は笑ってしまう。「侵略軍」という名称は、アフリカの失敗国家ですら聞いたことがない。あっ、あのイスラムで国家を自称しているのアタマのおかしい連中は言っているかも知れないが。「ジハード」はそういう概念を含んでいるからね。
つまり今朝の朝日新聞の見出しの<「専守防衛」変質>を言い換えれば<自衛隊「侵略軍に」>でしょう。そう言わせたいのはどこかといえば、支那朝鮮であって、その意向が築地の奥深くまで浸透していることを再確認して私はゾッとした。朝日は紙面のほとんどをこの記事に割いている。すべてが「狂っている」としか思えない記述だ。思想的に「狂っている」のはもう承知していますよ。でも軍事的政治的に「間違って」いるのです。昔は朝日にも軍事を知る記者たちがいて、こんな記事は止めていただろう。そういう方々が引退して「ただの阿呆」が「思想的に許されるならやりたい放題」を書きなぐっているとしか思えない。当たっている分析もあるのだが、その読み解き方が間違っている。
<こうした法案の背景には、米国の防衛政策の一部を肩代わりして地球規模の連携を打ち出す代わりに、軍事面で台頭する中国を日米で牽制(けんせい)する狙いがある。>
その通りです。見事に正しい。しかし朝日はこれを「批判的な文脈」で使っているのだ。支那の侵略的膨張主義には「真っ当亜細亜」のすべての国々が迷惑している。盟主たる日本国としては牽制するのが当然でしょう。アメリカさんに来てもらってお願いするなら昔の植民地時代と同じになってしまう。亜細亜は亜細亜の中で対抗しなくてはいけない。本当は「日本国が牽制」すべきなのだ。
さきほど築地は支那朝鮮のプロパガンダの影響下にあると示唆したが、これなどまさにそうだ。
<安全保障法制/自衛隊活動、緩む制約>
http://www.asahi.com/articles/DA3S11748102.html
ここでは読めないと思うので、カネを払う場所から引く。朝日の中の面の小見出しにはこうあるのだ。
<離島不法占拠/出動命令しやすく>
素晴らしいことではないか。「うんうん、そうだ」とうなずくのが良民常民というものであろう。国家とは国民と領土の生命財産を護るためにあるのだから。
<具体的な対応としては、電話による閣議決定を新たに認め、政権が自衛隊に対して警察権に基づく「海上警備行動」や「治安出動」を素早く命じることができるようにする。通常の閣議決定で海上警備行動などを命じる現在の仕組みでは自衛隊の出動が遅れかねず、武装集団による離島の不法占拠などを許してしまいかねない。自衛隊と米軍が素早く連携する態勢を築き、抑止力を高める狙いだ。
ただ、むやみに自衛隊が前面に出れば、相手の軍事的な対応をエスカレートさせ、武力衝突を招く恐れもある。まずは、海上保安庁の能力向上を目指すべきだとの指摘もある。>
これまでできなかったことの方がおかしい。<電話による閣議決定>と言っている段階で、それでも半世紀ほど遅れている。最高指揮官である首相が決裁して命令を出せばいいとするべきだ。<海上保安庁の能力向上>って何だ。そりゃ巡視船にミサイルを積んでもいいですよ。しかしそういうことを始めれば、誓って言うが真っ先に反対するのは朝日新聞ではないか。
実はこの記事は、事実関係の記述としてはきわめて洗練されていてまともなのである。ただアタマがおかしいので、分析がすべて逆の方に行っているだけだ。
<安倍政権は、イラク戦争後に陸上自衛隊がイラク・サマワで行った人道復興支援活動のようなケースを想定し、改正案が成立すれば当時はオーストラリア軍などに頼っていた治安維持活動も自衛隊が担えるようになると説明する。>
うんうん、いいことだ。しかし。
<ただ、テロリストとの銃撃戦が生じたり、反政府勢力から狙われたりする可能性も高まりかねない。隊員の安全確保をいかに図るかが課題だ。>
そりゃ、軍隊を出しているのだから交戦があることは当り前でしょう。そうでなければ民間人が行けばいい。<隊員の安全確保>ってどこの国の言葉だ。もちろん指揮官は兵力の消耗を最低限にすることをいつも考える。でもね、軍人は「危ないから行く」のである。「警察官の安全確保を第一に」とか「消防団員は危険な場所に行くな」とか朝日は書かないでしょう。東日本大震災の時に殉職された尊い消防団員のみなさんのことは美談として喧伝する。それはいいと私も思う。ところが自衛隊員になると、憎々しい口調でこう書くのだ。おかしくないか?
なぜこんな単純な、子どもでもわかることをもっと他の大マスコミが指摘しないかがむしろ私には不思議である。『週刊新潮』次号では私がポソッと言ったネタで一本あるらしくお礼のメールが来たが、今朝の朝日の記事でもやりましょうよ。コメントするよ。
世界がいま抱えているリスクは「ウクライナ」「支那」「ギリシャ」「イスラム国」であると私はあちこちで話してきた。いずれも、あまりよろしくない。「ウクライナ」「イスラム国」といった軍事的なオプションが可能なケースは、まだしも手を打てるのである。しかし経済はなかなかコントロールが難しい。支那とギリシャだ。
<中国、3度目利下げ/経済減速に危機感>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2015051102000126.html
<ギリシャのデフォルト懸念高まる/合意見送りへ>
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150511-OYT1T50101.html
大マスコミの記事は踏み込んでいないが、支那はもうこれ以上「打つ手」がない。すると何が起きるかと言えば、実はギリシャと同じ「デフォルト」である。ただし、資本主義、自由主義経済圏に組み込まれていないので、複雑なことになるだろう。たったひとつ言えるのは「人民による暴動」だ。倉山「クララ」満先生の至言がある。支那の歴史は何千年の間「王朝の成立」「政府の腐敗」「人民の貧窮」「反乱が起きる」を律儀に繰り返してきた。習近平が必死になって腐敗の引き締めをしているのは第二段階が来ているからである。しかし経済の低下で第三段階が同時に押し寄せてきた。さてどうなるのか、まことに楽しみ…いや、日本も迷惑を被るのでなんとかして欲しいが。
ギリシャのデフォルトは実は「しょっちゅうやらかしている」のだが、支那経済の崩壊と同時に起きると、世界への影響はなかなか大きいだろう。それにしても。ギリシャと支那といえば、古代にはたいへんな文明を誇った国である。それが何千年かたつと、かくもダメになってしまうのか。他山の石としたいものだ。
さてこれをお送りすると立花駅からJRに乗り、ポートライナーでサンテレビに向かうことにしよう。弟は「今日はタクシーで行ったら」と言ってくれたし、本来はそういう予定だったのを局の負担を少しでも軽減してやろうと私が勝手に電車通勤をしているのだが、これくらいのことができないと、病気に立ち向かえないでしょう。ホームから「偶然」落ちないようにしなくては、と書けるくらいなら、大丈夫(笑)。
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