パルデンの会

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またキョンシーが!<戦後談話、首相に継承要求/村山氏「侵略、否定できない」/河野氏「後退、絶対いけない」>



 勝谷誠彦氏の有料ブログより転載

<戦後談話、首相に継承要求/村山氏「侵略、否定できない」/河野氏「後退、絶対いけない」>  http://www.asahi.com/articles/DA3S11800132.html

 <村山富市元首相(91)と河野洋平官房長官(78)が9日、東京都内の日本記者クラブで会見し、安倍晋三首相がこの夏に出す戦後70年の首相談話(安倍談話)で、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう求めた。村山氏は過去の植民地支配と侵略を認め、反省とおわびを表明した村山談話を明確に継承すべきだとの考えを強調。河野氏は、談話の内容が以前から後退すべきでないとの考えを示した。>
 こんなものは「無視」すればいいのである。とうに政界を引退したジジイが出てきてオノレの談話を継承しろと、何様のつもりだ。状況は常に変化しているのだ。日本国の世界におけるプレゼンスは増している。であれはそれに応じた安全保障面での立場というものもあるだろう。伊藤博文や東條英樹が出て来て「ワシの政策をちゃんと継承しろ」と言うかね。まあ、生きていたら、だが。嘲いものになるだろう。そう、お二人は嘲いものなのである。
 朝日はそれを嬉しそうに1面トップでとりあげただけではなく、中面に解説、更に二人の発言要旨で別に紙面を作っている。大はしゃぎだ。一方で産経新聞はまことに冷静。この皮肉が効いた取り上げ方はいい。
 <村山、河野両氏が対談/互いの談話たたえ合う/反省示さず>
 
http://www.sankei.com/politics/news/150609/plt1506090040-n1.html
 <村山富市元首相と河野洋平官房長官が9日、東京都千代田区の日本記者クラブで対談した。対談で両氏は、日本の「植民地支配と侵略」を謝罪した「村山談話」(平成7年)と証拠資料も信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」(5年)について互いにたたえ合った。さらに「河野談話発表後、日韓関係は前進していたのに現政権が寝た子(韓国)を起こした」(村山氏)などと安倍晋三首相を批判した。>
 国賊売国奴とはこういう奴らを言うのだろう。<寝た子を起こした>のはおまえらだろうが。やりもしていないことを次々とぶちあげて支那朝鮮に絶好の攻撃材料を与えたのではないか。ところがこいつらの言い分は全く反対なのだから仰天する。
 <河野氏の矛先は慰安婦問題に関する報道にも向けられた。
 「ジャーナリストの仕事は真実を追究することだ。細かい点をもって事実を認めなかったり、『他国もやっていた』という言い方をしたりすることが、どれだけ日本の名誉を傷つけているか。私は怒っている」>
 ひとりで怒っていろよ、馬鹿。神は細部に宿るのである。細かいことを追求するのがジャーナリズムだ。おまえのようにいいかげんな伝聞だけで嘘八百を言っているのは、自民党政治屋なら通じるだろうが、ジャーナリズムの世界ではダメだ。「他国もやっていた」などという主張はメインストリームではない。そんな恥ずかしいことをちゃんとしたメディアは書かない。本当に頭の悪いジジイだな。誰か周囲が止めてやれよ。ボケが二人並んで恥をかいているのは見ていて痛々しいというほかはない。
 <「河野談話発表後、日韓関係は前進」>て、そんなことはなかったと思いますよ。朝鮮人は一貫して何か弱みを見つけて日本国にタカろうとしてきた。そもそも「前進」して何か日本国にいいことがあるのか。支那と朝鮮とはかかわらない方がいいのである。かかわって何かいいことがこれまであったか。パンダとヨン様か(嘲)。なぜ日本国が土下座をしてあんな国どもとつきあわなくてはいけないのか。意味ないでしょう。
 気をつけなくてはいけない。朝日が始めたキャンペーンは戦後70年という節目にどこまで日本国に土下座をさせるかという一貫した「作戦」の一部である。河野と村山と話も出来ているのかも知れぬ。こうやって「外堀」を埋めておいて最後に一斉に国民に土下座を強いるのだろう。私としては(笑)この節目の年はアメリカに対しては「もう一回やるか、コノヤロ」だ。もちろん勝てないので言ってみるだけ(泣)。支那朝鮮に関しては「こいつらとかかわるとろくなことがないから、どこか行ってろ。シッシッ」である。それらを再確認する機会と思っている。

 へえ。経済紙にしてはなかなか深いレポートだ。先日、バンコクであった同紙特派員のコバケンも日経の記者ながら現地情報にまことに深かった。そうか。経済というのは地元を熟知しないと報じられないので上っつらだけを撫でているその他の特派員よりも意外と深層を知っているのかも知れませんね。いい記事です。現地を知っている私には響く。
 <イラク政府、モスル奪還遠く/「イスラム国」制圧1年>
 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM09H9C_Z00C15A6FF1000/
 <過激派組織「イスラム国」(IS)がイラク第2の都市モスルを制圧してから10日で1年。一時は守勢に回ったISは再び攻勢を強めて支配地域を広げ、イラク政府が目指すモスル奪還は遠のいた。地上戦を担うイラク軍は力不足からイスラムシーア派民兵への依存を深め、スンニ派との宗派対立の火種となっている。>
 もうみんな飽きたでしょう(苦笑)なんだかテキトーなアラビア語の街の名で奪った奪らないという報道は。飽きるのはね、同じ街が何度も出て来るからである。奪った奪らないを繰り返しているの。たかだかテロリストが作った軍隊に対していやしくもイラクという一国の正規軍が勝てないのである。しかもアメリカ軍が航空支援をしているんのに。何度も書いているが「チキン」オバマは地上軍を投入しないので、このビミョーな均衡を崩せないでいる。米軍の支援がなければ、イラクは完全に負けている。理由は何か。とにかく弱いんです。
 <政府軍は3月末に北部の要衝ティクリートをISから奪回し、さらに北のモスルを狙う勢いだった。ISは劣勢にみえたが、逆に中西部を集中的に攻撃。5月17日にラマディを陥落、政府軍のもろさをあぶり出した。ISがモスルに進撃した昨年と同様、将兵は武器を捨てて壊走した。>
 つい読みとばしがちだし、日経の記者もどこまでその重要性がわかって書いているのかわからないが<将兵は武器を捨てて壊走した>というのは実は重い。たかだか小銃しか持っていなかったISが今や戦車まで繰り出しているのはこの「イラク軍のせい」なのだ。奴らが<武器を捨てて壊走>するたびにISは新たな兵器を手にするのである。負けているだけではなく、相手の武装の強化に手を貸しているのだ。支援しているアメリカもさぞかし頭が痛いと思う。
 何とかしようとアメリカは軍事顧問団をイラクに送り込んだ。特殊部隊を中心としている。しかし一般の兵隊も教育できない連中が特殊部隊を作れるとは思えない。アメリカはこうなるとイライラしはじめて顧問団ではなく直接に地上軍を送りたくなるわけだが、それで大失敗したのがベトナム戦争だ。ましてやイラクは既に泥沼にはまっていることを国民は知っている。大統領が代わってもこの選択肢はまことに低いと私は思う。
 イラク軍がいかにダメかは私は現地で知っている。『イラク生残記』という拙著があるが、表紙はサダム・フセインが捕まった穴に入っている私だ。
 
http://www.amazon.co.jp/dp/4062125188
 この書評はちょっと嬉しいので紹介しておく。
 <もっと早くに橋田氏と勝谷氏を知っていたらなあ。>
 いえいえ、今からでも(苦笑)。
 
http://ameblo.jp/ichiusenzan/entry-11349395408.html
 サダムの穴はティクリートの郊外にある。ここはいま、両者が奪(と)ったり奪られたりだ。サダムの出身地でありISは要するにサダムの残党なので彼らにとっては「聖地」なのである。ここに彼が捕まった穴があるのはわかっていた。米軍の司令部に行って聞くと「あれはもう埋めてしまった」という。しかしわが師匠であった橋田信介さんは「フン」と鼻で笑った。「嘘を言っているね。まずは行ってみよう。米軍が警備をしていれば難しいけど…」あとはニョゴニョゴ。というわけで私たちはカラシニコフを持った護衛を引き連れてそこへ向かったのである。
 穴はあった。しかし小銃を持った連中が厳重に警備をしていた。これは無理だと私は直感した。しかし橋田師匠は「フフン」とまた鼻で笑っている。「オッケーオッケー」といういつもの口癖が出る。師匠の「オッケー」は怖いのだ。この「オッケー」に乗せられて私はアンマンからバグダッドに向かう途中で武装集団に襲撃されたのだから。
 しかしここでは本当に「オッケー」なのであった。師匠が近づいてまたまたニョゴニョゴと何か囁き、しかと確認できなかったがナニかを手渡すと兵士たちは一斉に穴から離れた。私はそこにいれてもらってニッコリとして表紙の記念写真を撮ったのだ。こんなことあり得るの、という瞬間であった。
 引き上げながら師匠に「よく簡単にできましたね」と聞くと「イラク兵だからね」とこともなげに言った。「あいつら、何の信条も忠誠心もないのよ。カネに対する執着すらない。海外から来たジャーナリストがちょっと褒めたというだけで、一族の名誉だと思うんだ。だから、こいつらを統率できていたフセインというのは、なかなか凄いと思うよ。よほどの恐怖政治でないとムリだろうね」。
 師匠の言葉は本当になった。サダムという重石がなくなったイラクの惨状はいま見てもらっている通りである。独裁というものの「価値観」を考えさせられることである



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