拉致問題が 進まない前に こう言う事実(↓)があることを 大阪の おばちゃんたちは
知るべきである。 拉致された人々を 取り戻せないのは 日本人に責任がある。
テレビの国会中継に 安保問題でパフォーマンス努力を国民に見せて
知らず知らず 違う方向に日本人を誘導しているのです。
原発問題も いま沖縄で起きている 辺野古問題も然り。
本当に 在特会 が主張する「朝鮮民族」への抗議は 「こういった北朝鮮の息のかかった
怪しげな人々が 組合の金で 日本を混乱させていること」が 実体なのである。
差別という言葉の裏に 日本を滅亡させようとする北朝鮮の国家戦略が隠されていることに気が付いて欲しい。
辻元の過去の経歴に「ピースボート」主宰というものがある。
表向き、若者に世界中(すべて社会主義国)を船で旅させて、見聞を広げさせることを目的としている。
だがその実は日本の若者達を朝鮮シンパ、願わくばスパイにすることが目的であった。
一介の女子大生にすぎなかった辻元になぜこれほどのことができたのか、公安当局は注目した。
②なぜ毎年多くの日本の若者を北朝鮮にスムーズに入国させることが可能なのか?(北朝鮮に入国するには、朝鮮総聯に出向き、許可がおりる まで1年以上かかる場合もある。)
公安当局は辻元が元在日朝鮮人で北の工作員であり、「ピースボート」 の実質的主宰者は朝鮮総聯であることを割り出した。
北川は昭和50年、スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵。
西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終わり、公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意人物。
辻元の選挙区は大阪10区(高槻・島本)で、 辻元の実家はうどん屋を経営している。氏の地盤の高槻市はあの赤軍の重信房子が潜伏、逮捕された場所であり 周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い土地である。
辻元の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属。
(辻元は早大在学中に極左団体と関係していた。)
また辻元の内縁の夫、北川が経営する「第三書館」という出版社はマリファナや殺人、テロに関する詳しい書籍など、著しく極左的・反体制的・反社会的な著作を多数出版。
辻元の著作5点も「第三書館」から刊行。
ピースボートが北朝鮮に渡航したクルーズは過去に5回ある。
1991年 第12回 「コリア」クルーズ
1996年 第19回 「ピョンヤン」クルーズ
2000年 第29回 「アジア未来航海」クルーズ
2001年 第34回 「南北コリア」クルーズ
2002年 第38回 「南北コリア・サハリン・国後島」クルーズ
2003年 第42回 「ヒロシマから南北コリア」クルーズ → 成立せず
6回目は失敗である。すでに北朝鮮が拉致を公式に認めており、クルーズを発表しても行くのは身内とシンパだけで成立するはずがない。
ボランティアの中には、この6回目の失敗を「ゴロの悪さで欠番になった」と信じている輩がいる。
ピースボートには2種類のクルーズがある。
1つは金さえ払えば、基本的に誰でも自由に参加できるクルーズ。
もう1つは「趣旨文への同意書」にサインしなければ参加できないクルーズ。
2001年「南北コリア」クルーズは後者に属する。
この「同意書」では何に同意しなければいけないのかというと、
「日本の過去の過ちを認め、朝鮮民族の南北分断の悲しみを自分のものとして、その解決のために私たちも努力する」といった内容を含む数項目の趣旨文に対する同意である。
「あんた!!そこ(胸ポケットを指差し)に(売春した時に必要な)コン○ーム持ってるでしょう!!」 と発言。
(宮嶋茂樹氏の著書 「ああ、堂々の自衛隊」より)
逮捕現場のホテルは逮捕前日に吉田の名前で予約されていた。彼は中国やロシアで重信本人や元連合赤軍の坂東国男とも接触していたという公安情報も流れていた。また、松尾も光愛病院の職員だが、重信が手記を寄せた人民新聞の関係者でもある。また、日本赤軍の拠点があったレバノンのベカー高原を訪れたことがある。
さらに、である。 病院の創設者は、日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド)赤軍派の元メンバー。重信の潜伏先となっていた西成区のマンションの名義人O氏(53)も病院と関係あるではないか、といわれている。この辻元清美が地盤とする高槻の光愛病院は日本赤軍そのもの。
押収した平成11年8月15日付人民革命党の第5回大会決議文には「(日本赤軍が大衆組織にしようとしていた市民団体の)『希望の21世紀』、社民を軸に政治的影響力を強化する」との記述があったほか、重信容疑者が設立した人民革命党の2000年8月16日付の基本方針には「社民党との共同工作」の項目があったほか、「希望の21世紀として議員を出したり、社民党として地区基盤をつくりながら希望の21世紀の実力をつけていく」といった記述もあった。
重信容疑者の逃走を助けたとして犯人隠避容疑で逮捕された元病院職員松尾整容疑者(39)も21世紀のメンバーだった。
「日本赤軍最高幹部の重信房子被告(55)が他人名義の旅券を不正に取得して、出入国 を繰り返していた事件で、警視庁と大阪府警の合同捜査本部は二日、旅券法違反等の 容疑で大阪府門真市の男性市議*宅など五都府県の計十九か所を一斉に捜索した。
同部によると、捜索先は主に市民団体の関係者宅で、パソコン、フロッピーディスク、機 関紙など百点以上を押収した。同部で、重信被告の所持品の分析を進めた結果、日本 赤軍が市民団体(ピースボート)を関連組織と位置付けている事が分かり、今回 の捜索に踏み切った。」
情報当局「李総参謀長自身も負傷した可能性あり」
韓国政府は、北朝鮮の李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長が解任される過程で、北朝鮮の軍人約20人が死亡する流血の事態が発生したという情報を入手し、これを精査していることが2012年7月19日までに分かった。この過程で、李総参謀長自身も負傷、あるいは死亡した可能性があるとの見方が出ている。
韓国政府の関係者によると、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党第1書記が李総参謀長を全ての職務から解任することを決定した後、その執行に乗り出した崔竜海(チェ・リョンへ)総政治局長側が、李総参謀長を物理的に隔離しようとしたところ、李総参謀長の護衛兵たちが反発し、交戦が発生したという。ある消息筋は「李総参謀長が交戦の過程で負傷、あるいは死亡した可能性も排除できない」と語った。
昨年4月に北朝鮮軍を総括する総政治局長に任命された崔竜海氏は、金正恩第1書記のおじに当たる張成沢(チャン・ソンテク)労働党行政部長の「分身」と呼ばれる人物で、軍出身ではなく、党でキャリアを積んできた。崔竜海氏が総政治局長に登用された後、野戦軍出身の李英鎬総参謀長と対立したことから、常時同氏を監視し、内偵を進めてきた、というのが韓国当局の分析だ。
●靖国神杜は、戦前は日本人を戦争に導いた機関でした。私の祖父は、こうした状況下で徴兵され、後に太平洋の小島で餓死したのです。父親を失ってつらい思いをしている母親をいつも見て過ごし、私もつらかった。しかし、あの戦場で日本軍による侵略戦争で親族を失ったアジアの多くの人々が、私よりつらい思いをしていることは分かっています。
「大平洋の小島で餓死したあ?そんなことあらへんよ。清美ちゃんの母方のおじいさんは徴兵されて兵隊に行ったけど、無事に帰ってきてますわ。軍人恩給も貰うて宅配便のような仕事をしとったなあ。病気で亡くなったんは20年ほど前やろうか。もちろん、ここで死んでますよ」
この「A級戦犯」が合祀されている靖国神社に首相が頭を下げに行くという意味は国際的に見たら、ドイツのヒットラーの墓参りに匹敵する行為であり、現在の国際秩序破壊のメッセージとなる。
だから、韓国や中国だけでなくアメリカやヨーロッパ諸国からも懸念の声が上がり始めている。
まずヒットラーの墓は存在しない。靖国神社を念頭に政教分離が定められたのでもない。各国元首も多く靖国神社を訪れているが、南北朝鮮、中共以外に騒いでいるのは、米国などの支那、朝鮮人の反日団体であるが、それを「アメリカやヨーロッパ諸国からも懸念の声が上がり始めている」と言う。
●投票権のなかった戦前、好戦的な政治家は、日本が軍国の道を歩むことを勝手に決めました。私は、保守系の政治家が続けて目的を遂げるさまを、好戦的な法律の復活を二度と見たくない。日本が再び軍国主義となるのを防ぐため、さらに多くの平和憲法改正反対の声を期待します。当然、これはかつて戦争被害を受けたアジア人民からの反対の声も含まれているのです。
辻元氏に騙されないよう"事実"を述べておくと、日本では明治22年からすでに普通選挙制を導人しており、戦争まで選挙権がなかったのは婦人だけである。その婦人参政権も、戦後、アジアで2番目、欧州と比べてもフランス、イタリアと同時期に認められているのだ。投票権がなかったとは、どこの国の話なのだろう。それに、彼女の言うアジア人民とは、どこの国の人民を言っているのだろうか。
「日本の兵隊さんは、島を守るために武器を持って来たといっていたが、武器を持った兵隊さんが島に来たから、攻撃の対象になって、攻められ、民間人がたくさん死んでしまった。」(日ごころ通信第6回より)
何しろ国旗は日の丸を元にして決めた程の国だ。
そして、パラオのペリリュー島という小さな島で12000人の日本守備隊は大東亜戦争において兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍の敵に対し、持久戦に持ち込み、全く補給なしに73日間守りとおして死闘の末に玉砕した。
その戦闘は戦後 ニミッツ提督はその著『太平洋海戦史』の中で、ペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいる。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」
というほどの激しい戦闘にかかわらず現地住民はひとりも死んではいないのである。
だから最大激戦地であるペリリュー島において島民の方は一人も死んでいないのである。
そして昭和五十七年五月には、「青年神職南洋群島慰霊巡拝団」によるペリリュー神社を創建した。御祭神は天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」。現在、神社前の左の掲示板には、ペリリュー島のイサオ・シゲオ尊長(そんちょう)によってこの趣旨が書かれている。そして右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれている。
この詩の作者はなんとニミッツ提督その人である。
警察官や捜査協力者の住所や氏名、顔写真などがそのまま掲載されている。
実名や顔写真などを掲載された都内のチュニジア人男性は「情報を漏らした警察よりもひどい。
書店で売られたら生きていけない」と話した。
2010年11月27日3時45分
岡田幹事長に「誰にも手を出さすな!」と指示をだした。
自らのリーダーとしての存在感を示すためである。
そして、辻元清美をボランティア担当大臣に任命し、全国からの援助物資を辻元清美配下のNPO法人「ピースボート」に一元化。
まず、前提として各地の避難所にいるお年寄り30人が
ストーブの燃料が不足した結果凍死(厳密には低体温)で死亡している事は既に報じられている通りだ。
彼らは理由を知らされていないが、それぞれに道路事情のことではないかと納得していたようだ。しかし、中には既に道路が復旧し終えている地域も含まれている。結果として、いくつかの役場の集積場に配られることのない支援物資が山積みされている。
ピースボートに参加している末端のメンバーはこのことを知らない。あくまでも、辻元や湯浅の周囲で画策してきたことだ。 民主党は被災者の人命を犠牲にして、自分たちのパフォーマンスを飾ろうとしている。無論、延期した現地の地方選挙の対策であり、今後の左翼運動のためである。とことん腐った連中ではないか。
(以上の記事ソースURLは殆どが現在削除され存在しない状態のため記載せず。)