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日本に取って代わる「平和国家」の地位を狙う中国軍事パレード前後の北京ルポ

おもしろい 報道です・
ホントか?????

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日本に取って代わる
「平和国家」の地位を狙う中国
軍事パレード前後の北京ルポ

2015年09月15日(火)富坂 聰
 9月3日に行われた「中国人民抗日戦争勝利70周年」の記念式典。その目玉の一つ、閲兵式のため人工的につくり出された青空、いわゆる“閲兵ブルー”は80年代の北京の秋晴れを思い出させる完璧な晴天だった。
 「昨年11月にはAPECのための“APECブルー”が話題になりましたが、今回は世界陸上からの徹底した天候管理に加え、8月20日からは北京から遠く離れた山東省の工場まで一時的に停止させられました。しかも2299社という大規模な範囲でしたから、青空の質が違うと話題になりました。しかし、休業を強いられた工場には政府からの補償は一切なし。そのしわ寄せが労働者に向かい、現地では多少のもめ事も起きていたようですが……」(北京の夕刊紙記者)

独裁的な社会主義国であることを人々に思い出させた

 “閲兵ブルー”を作り出した強引なやり方をはじめ、式典成功のために8月の末から中国が設けたさまざまな規制は、この国が依然、独裁的な社会主義国であることを人々に思い出させた。
 「交差点ごとに中国人民武装警察部隊の警官が立ち、警備に当たるという状況は市の中心部だけでしたが、郊外でもぬかりはない警備体制でした。例えば、人々の動向をうかがい、上に密告することが仕事であった居民委員会のOBたちが中心となってつくられた街道委員会のメンバーたちが、人々が寝静まった夜中にもグループで担当地域の見回りを行い、駐車されているすべての車の持ち主を確認する作業を丹念にやって回っていました。みなロボットのように党に忠実な人々ですから、不明な車が入り込む余地などありませんでしたね」(北京市の住民)
 パレード会場となる天安門周辺はさらに厳しい警備体制が敷かれていた。そのことは警備を担当する組織の多様さにも如実に表れていた。
 まず警備の中心を担う中国人民武装警察部隊(以下、武警)の隊員が天安門に近づくに従い増え、制帽・制服のスタイルから、迷彩服に小銃を持った兵士の数が多くなり、緊張感を高めてゆくのだ。
 次に目に付くのは胸に「中華人民共和国警察」のエンブレムを付けた公安だ。公安にはブルーのユニフォームと、真っ黒の制服の特別警察(以下、特警)があり、背中に英文字で「SWAT」と記された特警が一際強い存在感を放っているのがよく分かった。
 続いて頻繁に見かけるのが公安の下に置かれ、都市の軽微な治安維持や美化・管理などを担う城管である。水色と白のツートンに「城管執法」と書かれたパトロールカーのほか、原付にまたがる姿も多く見られた。
 このほか、普段は部隊に属しながら急きょ公安の下に派遣されて治安維持に当たるさまざまな組織が見つかる。驚くべきは、その組織の数の多さである。
 彼らはみな全身真っ黒なユニフォームだが、背中と肩に付けられたマークが違っている。「安AN BAO保」(肩に執勤)、「特TE QIN勤」(肩には国旗のマーク)、「保BAO QIN勤」(肩に国旗)などがそれに当たるが、なかには「東城民兵」と書かれたユニフォームもあり、このことは今回の警備には東城地区にいる退役軍人まで動員されていることを示していた。
 こうして市中心部から日常が消えてゆく動きのなか、8月31日から9月1日にかけて急速に都市機能が奪われてゆくことが感じられて驚いた。
 31日、早めに食事を摂っておこうと午後6時に王府井のデパートに入ったのだが、ツーフロアーに計40店舗ほど入っている飲食店はそのときすでに4分の3が閉店になっていて、残りの店舗も後片付けをはじめているという状態だった。営業しているのはわずかに2店舗で、そこに行き場を失った人々が殺到して黒山の人だかりができているのだ。もはや食べ物にありつくのは絶望的に思われたのだが、店員に尋ねると、
 「冷凍ものだけの注文なら時間はかかるが案内できる」という説明だった。実は、もう数日前から北京には品物が搬入されてきていないということで、鮮度を求められるレストランは仕事にならないと早々と店を閉めていたということだった。

パレード前日、強制的にホテルを変えられる

 実は私は、パレードが行われる前日の様子に興味があり、天安門からほど近い王府井のホテルを予約していたのだが、出発前に「9月1日から3日まで外出禁止になった」との連絡を受けた後、「外出禁止ではなくホテルの営業そのものができなくなったので、別のホテルに移動してほしい」と強制的にホテルを変えられてしまっていた。
 新しいホテルは東長安街の建国門外にあり、場所は天安門には近い。推測するに当局の意図は「第2環状線から外に出ろ」ということだと思われた。つまりパレードには近づけないが、第2環状線の外側は比較的日常が保たれるという理解であったのだが、ホテルを変わった翌2日、都市機能はほぼ全市で止まってしまうのだ。
 2日からは飲食店を含めすべての店舗が休業。しかも入り口の門扉が鎖でつながれた上に紙で「封」まで貼られる始末なのだ。こうした街の変化を受けて、普段は人であふれたストリートからはほとんど人影が消えてしまったのだ。ホテルの窓から見える街には、水色のポロシャツを着た「首都治安志願者」のメンバーだけという異様な光景となっていたのである。
 9月3日の当日には、経済活動の隙間はなくなっていたので、もはやテレビで軍事パレードを観るしかないといった状態だった。そのこともあって北京の人々はみな軍事パレードを楽しみ、評判も概ね良好であったと思われる。
 軍事パレードで紹介された最新兵器は、「アメリカに向けられたもの」との分析が目立ったが、パレードに出すラインナップは半年以上前からインターネットに写真付きで挙げられ(政府公認ではないが)ていて、閲兵式の半月ほど前からは、パレードの順番も含めてすべて正確なメニューがメディアを通じて報じられていたので、当日に大騒ぎするような話でないことは指摘するまでもない。
 軍事パレードに先立つ習近平の重要講話では、中国共産党という言葉ではなく「人民の勝利」としてこの式典と歴史の整合性を保っていたことが前半の印象としては深く残ったが、講話の中心が後半にあったことはあらためて指摘するまでもないだろう。かねてより私はこの式典を「(日本との)和解の場とする」意図があることを書いてきたが、当日は「平和国家としての中国」をアピールする場所としてきたようだ。

本気で「平和国家」としてのポジションを確立しようとして来ている

 日本のメディアが反応した「兵士30万人削減」は、そもそも非戦闘員(とくにターゲットとなっているのは軍系病院と軍所属の歌舞団)で、いわゆる各国政府の出す経済対策のように中身のないリストラだが、それでもこの情報をわざわざこの重要講話に入れ込んでくる戦略には驚かされた。それは中国がかなり本気で「平和国家」としてのポジションを確立しようとして来ていることでもあるからだ。
 さらに過去に繰り返してきた「覇権に陥らない」という文言に加えて、最近使い始めた「拡張しない」という言葉をこの講和に盛り込んできたことにも大きな意味がある。そして最も重要なことは、平和実現に向けた中国の取り組みとして国連の価値観を重視することを強調してきた点だ。
 これは「国連憲章に署名した国は基本的に戦争はしない」という価値観に寄り添う、ある種の決意表明とも受け取られる。自衛のための戦いを否定していないという点でも日本の憲法第9条(解釈も含めての話だが)にも通じる考えだ。もちろん何を持って「自衛か否か」の判断には大きな隙間があり、また中国が自国の軍備をその価値観に適合させる努力をするとは考えられない。
 だが、価値観の戦いにおいて、中国がさらにその歩みを一歩前に進めてきていることは明らかだろう。隙あらば、日本がこれまで築いてきた「平和国家」としての地位に中国が取って代わろうとする戦略なのかもしれない。