パルデンの会

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阿児奈波(おきなわ)について


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より転載

阿児奈波(おきなわ)について

公開日: 2015/10/07 : 
最終更新日:2015/10/09 未分類
こんにちは、

今回は「阿児奈波(おきなわ)」について書きたいと思います。

僕は最近まで、沖縄の昔の名前は「琉球」だけだと思っていました。

しかし「琉球」の名が使われたのは初代琉球国王の尚芭志が三山を統一した1429年から明治時代の廃藩置県により1879年に「沖縄県」が設置されるまでの450年間だけということです。

では「琉球」と呼ばれる以前には、この南国の島は何と呼ばれていたのでしょうか?

じつは「琉球」以前には、なんと今と同じ「おきなわ」という名前が使われていました。漢字は今とは違う「阿児奈波(おきなわ)」という漢字があてられていました。

その「おきなわ」との名前が出てくる最も古い文献が、779年に中国の唐時代の僧侶である鑑真和尚(がんじんわじょう)が記された「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)」です。

この鑑真という方は、日本からやって来た留学僧から「受戒のために日本に渡来して欲しい」と強く懇願されると、当時国禁であり、また危険な旅であった日本への渡海を自ら決意し、

鑑真の渡日を惜しむ弟子たちによる密告により役人に逮捕されても、また激しい暴風や日本海の荒波によって舟が壊れたりして5回も渡海に失敗し、さらに激しい疲労などにより両目も失明したにも関わらず、「必ず日本に行く」との燃えるような決意はまったく変わらず、6度目の出航を果たしました。

途上ふたたび暴風に襲われ船は何日も漂流し、そして命からがら小さな島に漂着しました。

そしてその時の鑑真の記録には、この島の名前を、島民から聞いたのでしょうか、「阿児奈波(おきなわ)」と書き記してありました。これが沖縄の名称が文献上に出てきた最初であり、琉球王国が誕生する700年もの前のことでした。

鑑真は、沖縄からふたたび出航して薩摩を経て、やっと念願であった奈良に入り、東大寺に小乗の戒壇を築いたり、聖武天皇に始めて受戒を授けたり、天台三大部を残したりと日本の仏教界に多大な影響を与え、また彫刻や薬草の造詣にも優れ、日本国民にこれらの知識を広めたといわれております。

沖縄が、1236年前にも「阿児奈波(おきなわ)」であったなんて、とっても嬉しくなりました。また命掛けて日本に渡ってくれた鑑真和尚が記してくれた「阿児奈波(おきなわ)」という名前、なんて重厚で素晴らしい名前なんだろうって感じました。


「阿児奈波」に敬礼!(‘◇’)ゞ