野党&与党のヘボ議員は何が大切かがわかっていない。
日本が シナに侵入されるときのこうなのだろうか?
勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
2016年1月29日号。<身内の不幸で言葉たらずで、すみません。でもなんとか送ることが出来て。ごめんね。>。
2時半起床。尼崎市の家。
日本国の「政治」と「国益」の差が出た判断だ。安倍晋三首相はギリギリまで考えたであろうが、甘利明経済再生相の「政治家としてのカン」を優先したのではないかと私は考える。彼は最初から辞任を考えていた。政治家としての生命をまもることもあるだろうが、政権のためにはそれがいいと思ったのだろう。しかし、そういう「浪花節」は海外の誰もわかってくれない。TPP交渉その他にあってはマイナスというほかはない。大マスコミは「浪花節」なので鬼の首をとったとうに今朝の新聞やテレビははやすだろう。馬鹿である。だからこの日記を読んで下さっているあなたや、あなたは「馬鹿がここにまたいる」と感じていただければ、それは辞任のひとつの効用だろう。
辞めればいいというものではない。辞めずに任務を遂行する方がずっと難しいのだ。安倍さんの政権がうまくいっていたのは、スタッフをまもっていたからだった。今回、まもきれなかったかなあ。『週刊文春』の第二弾はここでも予測したとおりたいしたことはなかったが、まで本当に危ない話が背後にはあるのかも知れない。昔の私ならばそれを探るべく走りまわったが、もうそんな時代は終わった。たまに出るテレビの現場などで「裏話」を囁いてくれる方はそれはそれでいいのだが、私は実は鬱陶しいと思っている。それが真実であればいつかは世に出ることであって、いま少し早く聞いたからどうということではない。そのことがカネになる時代もあったが、もう私の中では終わった。「はあそうですか」だ。
だから相変わらず私に聞くといろいろと金脈が眠っているのだが、大マスコミの現場の方々は私の名前も知らないのだろう。別に、スネているのでも何でもない。そうやって「本当の話」がますますみなさんの耳には入らなくなっているのだろうなあ、と静かに思うだけである。
イカン。天皇皇后両陛下の話をかならず冒頭に持って来ると宣言しながら、いちばん汚いことを書いてしまった(号泣)。わが愛するフィリピンへの旅を見ていると、ひとつひとつがもう目の前であるようで、その都度涙を禁じ得ないのである。
<両陛下、日系人とご懇談/戦後の苦難をおねぎらい>
http://www.sankei.com/life/news/160128/lif1601280045-n1.html
<日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念し、同国を公式訪問中の天皇、皇后両陛下は28日、マニラ首都圏の宿泊先のホテルで日系人の代表者5人とその家族らと懇談し、戦中・戦後の苦難の歴史を慰労された。>
<陛下は最後に全員に向かい、「戦争中は皆さん、随分ご苦労も多かったと思いますが、それぞれの社会において良い市民として活躍して、今日に至っているということを大変うれしく誇らしく思っています」と語りかけられた。>
先の大戦の「責任」を敢えて言えば「負われる立場」なのは昭和大帝であられる。しかしそれを黙って受け止めてこうしてお言葉をかけてくださるのが天皇陛下だ。ずいぶんとながく、意味深いお言葉だと私は感じた。記事を書いている記者は若くて、きっとわかっていないだろうが。しかし長く引いたことは、わかるものにはわかるので、ありがとうと言っておきたい。世界中の配信も見たが、記事としてもっともよく出来ているのは時事通信かなと感じたのでリンクしておく。
<両陛下、フィリピン人元留学生らと懇談/一人一人と握手、笑い声も>
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016012800592&g=soc
<両陛下は現地時間の午前10時20分ごろ、車で庭園に到着。元留学生ら一人一人と親しく握手を交わし、「日本の教育は役に立っていますか」「日本語は難しいでしょう」などと笑顔で言葉を掛けて回った。留学当時にできた娘にミチコと名付けたと両陛下に伝えた男性もおり、懇談中は何度も笑い声が上がった。>
記者のセンスなのかな。<留学当時にできた娘にミチコと名付けた>のひとことはどういう風景描写よりもかの地のひとびとが日本国を愛してくれていることを伝える。
<日本で学んだ知識や文化が日系企業での仕事に役立っていると天皇陛下に説明。「陛下と握手できるなんて、本当に夢のようで光栄です。日本の友達や家族に自慢したいと思います」と喜んでいた。>
<日本で学んだ知識や文化が日系企業での仕事に役立っていると天皇陛下に説明。「陛下と握手できるなんて、本当に夢のようで光栄です。日本の友達や家族に自慢したいと思います」と喜んでいた。
弁護士のキャリー・ビ・ハオさん(38)は「日本とフィリピンをつなぐ仕事なのでやりがいがあります」と両陛下に伝えたといい、「私は日本への留学で人生が変わりました。きょうの思い出は人生で一番の宝物です」と語った。>
ここで「えっ?」と思うひとはかなりの皇室ツウだ(笑)。私はそう思った。両陛下に対して直接の「接触」は日本国ではありえないのである。「握手」をなされたなんて、それは<本当に夢のようで光栄です>でしょう。日本国民ならばないことなのだから。それらにしても嬉しい記事であって、これは天皇皇后両陛下にしかなされないことである。
もうそろそろ私事にわたることを書いてもいいかな。昨日といういちにちはそれで終わったので、日記としてはまあいいでしょう。伯父が亡くなったのである。私の読者はガクモンのレベルが高くて「伯父」という表記についてもいっぱいメールが来る。これ、難しいんですよ。もういい、これでいく!(笑)。人が死んでいるのに(笑)はないが、仁(まさし)伯父はそういうひとだったのできっとあちらで笑っていると思う。
早くに亡くなった母の弟である。母の家は地元で言うならば「女腹」でずっと女性ばかりが生まれていた。末っ子で伯父が出来た。祖父はずいぶんと喜んだらしい。しかし私が生まれた時には祖父は亡くなっていたので、母方の「空気」は私は伯父からしか知らないのである。
「おまえはきちがいだから」とよく言われた。あえて平仮名で書いたのは、カタカナではどうもウェブではじかれるからだ。嫌な時代になったものである。「そうよ、この子はきちがいなのよ」と平然とママは言っていた。「うへへへへ、きちがい親子かあ」と同意してくれたのがおじである。母がなくなっても会うたびにきちがいと言ってくれた。本当のきちがいはそう言われるたびにまあ、なんとなく納得したのである。自分でもわかっている。私はそうきいう血なのだ。母方の系統ではそういう血がときどき出るらしくて、みんな黙っているが、まあそういうことだ。
母が亡くなって、父も眠り続けているいま、そんな「雰囲気」を知っているのは伯父だけであった。それが突然亡くなってしまうと困るのだ。いまいる尼崎の家から、弟の車で伯父が住んでいた東大阪の家まで行った。本当に身内での「密葬」である。いい空間だった。伯父の顔を拝して、あとは数人の身内で語り合うという。
伯父は「やんちゃ」な人であった。母が亡くなったあとそういう丸茂家の系統を受け継いで教えてくれたのは伯父であったかもしれない。いいかげんな人生を教えてくれたのは彼だったかであろう。子どもの直感だ。母の弟なのだが、子どものころに見ていると、ふたりは恋人どうしではないかとまで感じた。母の自慢をすると止まらないのだけれども、亡くなるまで女優のように美しいひとであった。伯父もまた、日本人ばなれした俳優のごとき方だったのである。だから若い二人の写真を観ると、映画のひとつのシーンであって、なんでこんなしょうもない息子が出来たのかと情けなくなる。
情けなさ、続く。しかしモノ書きなので、すこしは愉しくそれを書いていきたい。旅先、とはいえ実家の近くにいる。そこで突然、ごく近いひとの訃報があった。ナメているのでフツーの格好しか持っていない。さて、どうする。どうするもこうするもないですよね。喪服を買うんだよ。でも、その喪服をどこで売っているのかがわからない。私はまず、近くのおばさまがたがゆるいパンツを買っているような量販店に行った。「喪服あります?」「おまへん」。撃沈である。どうしようとホントに困った。弟は診察中なので騒がせたくない。近くのいつもお世話になっているお好み焼き屋の「さがら」さんへ。「喪服買えるとこ、近所やったらどこやろ」。もう何十年のつきあいのおばちゃんは言った。「とうとうセンセイ死にはったん?」。いや父はまだなんとか生きているのである。「ちょっと別のんが死んだんや」。「アマ」の会話はこういうものである。それが、いい。
得た答えが「『洋服の青山』がええんとちゃう?」である。なるほど~。確かに「ファンイナルアンサー」だなと。ウェブで調べた。近くにあるではないか。
<洋服の青山/尼崎武庫之荘店>
http://www.wenbiquanchina.com/sutsu/hyogo_ken/hyogo_ken_10/aoyama_tenpo2.html
面白かったですねえ。決して安くはない。しかしこういう時に、シャツからネクタイまですべて揃えることができる店は強いなと感じた。店長も優秀な人で、なるほどこういうことにカネを使っているのだなと。実はこの「カネと時間」というのは面白いテーマであって、私はいつも愉しんでいる。ささいな「カネ」を惜しむために実は「時間」を失っている人々がいかに多いことか。カネは見える。しかし「時間」は見えない。この話は新書一冊になるので、そのためにおいておく。いやいや、わが読者の皆さんはもちろんおわかりだと思うが。
「ほっておけばいい」という判断がなぜできないのだろうか。こういう発言をするとすぐに「非人道的」とか左巻きの方々に言われるが、そうなのかなあ。馬鹿が馬鹿を殺し合っているところは、そっとフタをして、何十年かたってからあけてみればいいのになあと、あらゆる戦場を見て来た私は思うのである。そこに莫大な教育費をかけた私のこどもたちを入れる理由は?
<29日の開始困難に/反体制派の参加決まらず/シリア和平協議>
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2016012900078
<ジュネーブで予定されているシリア内戦終結に向けた和平協議は、国連が先に表明した29日の開始が困難な情勢となった。参加の是非をめぐるシリア反体制派の協議が難航しているためで、開始は週明けにずれ込む可能性がある。
反体制派メンバーは28日、中東の衛星テレビ局アルアラビア系のニュースチャンネルに対し、反体制派代表団が「あす(29日)ジュネーブに行くことはない」と語った。
反体制派は後ろ盾であるサウジアラビアの首都リヤドで協議参加の条件をめぐり議論を続けている。しかし、アサド政権側の軍事作戦が激化する中での出席に慎重な意見が根強い。出席の決断を下せないまま、29日もリヤドで会合を開くことになった。>
ただひとこと私が言いたいのは「死ねばいい」だ。オノレの聞きたくもないどうでもいい宗教だら何だらかんだらの争いでやっているんでしょう。「死ねばいい」しかないのだが、大マスコミはそんなことは「死んでも言わない」ので私がここで書くのである。「死ねばいい」。
私は我らが国軍が「義」のために殉ずることにせは反対しない。しかしこんなアブラ虫のために死んではいけない。そこの峻別を願うものである。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
(c)2016 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved.
問合せ(メールの未着など):info@katsuyamasahiko.jp
情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp
購読解除:http://katsuyamasahiko.jp/procedure/dissolve
発行:株式会社 世論社