勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
2016年5月10日号。
<義援金受け取ると生活保護を減額?
弱きを助ける日本人として恥ずべきだ>。
3時半起床。尼崎市の家。
最近、やたらとメールが行かずに、毎朝の配信の時にはハラハラする。これだけ歩き回っているとさまざまなところで接続をしているので、そこが問題ではないようだ。パソコンも使い分けていて、こちらも同じ。ということは「郵便屋さん」が悪いのではないか。ええ、ちっとも何もわかっていないのだが、要するにメールを中継してくれるところのことだ。黄金週間中はとりわけひどかったので、これはみんなヒマでメールを送りあっているからかと思ったが、今日の早朝でも「接続しています」が延々と続いたあげくに「送信できませんでした」となる。これ、時間の無駄も辛い。まあ最近はそういをものかと思って、しばらく放置プレイをして別の原稿を書いたりしているのだが。
もっともメールなどというのはその程度のもの、だとご存じでしたか。相手に届いていなくても仲介業者は何も責任をとらなくていいらしい。ちゃんと約款に書いてあるそうだ。「送ったつもり」が「もらってないよ」での齟齬はいまこの時も世界中で起きているはずである。郵便は法律によってちゃんと相手に届くことが義務づけられているが、メールの世界にはそれがない。だから、銀行とのやりとりってメールではやらないはずだ。これでできるとどれほど時間の節約になるかと思うのだが、必ず電話か文書である。受け取った、受け取っていないのトラブルを避けるためであって、つまりは送信履歴など何の証拠にもならないということ。朝からいきなり愚痴になってしまった。
昨日は病院デー。一昨日書いたように、土曜日に満員で「撃退」されたので、コノヤロと皮膚科に診療開始のはるか前に出かける。それでも先客がいた。診てもらうと相変わらず改善が続いていることで、めでたしめでたしと心療内科へ。こちらも「これからは2ヶ月に一度でいいでしょう」と言われる。左足の痛みも消え、主治医の同級生、荻内隆司君と相談して次の受診の予約を取り消した。心身ともに復活である。何だったのだろう。一気にいろいろと押し寄せてきたのは。
こういう時に妙な宗教や占いなどがつけ込んで来るのだろうが、何しろ私は「がっかりしない」という異様な性格をしている。がっかりするのなら、こんなにたくさん大学を落ちたり、会社をクビになったり、番組を降ろされたりしたらもうヘロヘロのはずである。ところが、それが、ない。そんな人間が鬱病になったからこそ私は驚愕したのだが、これは「がっかり」ではなく脳内物質によるビョーキなので仕方がないだろう。その鬱病も早々に治したのは、ひとつには「がっかりしない」性格が寄与したのかも知れない。
「がっかり」するのは自分である。だから自分さえ「がっかりしない」と決めれば、そうならないのではないか。「がっかり」するだけ損である。みなさんも何か壁にぶつかった時に「がっかりする」よりは「コノヤロ」と思った方がいいですよ。と、無責任な人生の私に言われてもなあ…ですよね。
17時の便に乗って伊丹空港へ。専用達人運転手のYさんが待っていてくれる。いつものようにタイガースの話で盛り上がるのだが、今年は強いとは言えないがとにかく面白いと意見が一致する。何年ぶりかで「やる気」が見えるのである。ロートルが消えて若手が入れ代わり立ち代わり登場するのもいい。
尼崎の拙宅の前で停めて料金を支払う準備をしているとYさんはやおら一本の瓶を取り出した。4合瓶のラベルで「くまモン」が両手を挙げて踊っている。「これ、呑んで下さい」と言う。「どないしたん」「5本買うたんですわ、うん」。「うん」はYさんの口癖だ。「お金送るんもええけど、作ってはるもんを買うてあげるんも応援でっしゃろ。私みたいな酒呑みにはぴったりや。見た瞬間、買いましたわ」。4本は自宅にひとつ置いて、あとは行きつけの呑み屋に入れさせてもらったという。「それ見た客が『なんや、なんや』いうて、何かしらやってくれはるかも知れへんので」。涙が出そうになった。こういうひとだから長年にわたって私の命を預けているのである。これ。
http://bit.ly/278YXjN
上の小さいラベルはステッカーになっている。そこにわずかに『房の露』とあるだけで、ほかには銘柄も書かれていない。「芋」とくまモンだけである。蔵はこちら。
http://www.fusanotsuyu.co.jp/
私も尼崎の家の目の前の行きつけの酒場に置くことにしよう。ちなみに、今場所は彼を応援したくなるね。
<熊本出身/佐田の海「くまモン」化粧まわし15日貫く>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160508-00000117-dal-spo.view-000
普段なら吹き出すところだけれど。
その熊本では現地の方々が本当に頑張っている。鉄道がまだ開通しないので、行政がバスを仕立てて学校まで送り届けているのには頭が下がった。遠回りになるから子どもたちは暗いうちから乗り込むのである。
<熊本・益城、南阿蘇の学校再開/11日まで全公立でに休校解消>
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/05/10/kiji/K20160510012556640.html
<地震の影響で休校が続いていた熊本県内の公立学校173校のうち、被害が大きい益城町や南阿蘇村などの小中学校62校が9日、授業を順次再開した。残る小中学校と高校、特別支援学校の計111校も11日までに全てが再開し、4月14日の前震から1カ月を前に全公立学校で休校が解消される見通しだ。
「懐かしい」「元気だった?」。午後2時ごろ、授業が再開した益城町の広安小の教室から、はしゃぎ声が響いた。田中元校長(54)は「今日が新たなスタート。子供たちが心から笑える日が戻ってほしい」と話す。同町の木山中では、久しぶりに顔を合わせた生徒たちが抱き合って喜び合う姿が見られた。>
これが、熊本というよりも日本人の底力だなあ。子どもたちにとっても「学校が楽しい」が伝わって来る。素晴らしいことだ。
一方で首を傾げるようなことも。
<「義援金は収入」善意に壁/生活保護停止も/受け取り迷う被災受給者>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/243573<熊本県は6日、熊本地震の被災地支援のために4月末までに寄せられた義援金約57億円の第1次配分を、被災自治体に振り込んだ。義援金は市町村を通じ被災者に渡されるが、被災した生活保護受給者の中には受け取りを迷っている人もいる。義援金が一部でも「収入」と見なされれば、生活保護費が減額されたり停止されたりするためだ。制度が壁となり、国内外の善意が弱者に届きにくくなっている、との指摘もある。>
<国の生活保護制度は、生活保護受給者が受け取る義援金を基本的に「収入」と見なす。
受給者が義援金の使途と金額を書き込んだ「自立更生計画書」を福祉事務所に事前に提出すれば「収入」から控除される仕組みもある。ただ、許可されるのは生活再建に必要最少の物品購入などだけ。それ以外は「収入」扱いで、額によって生活保護費が減額されたり、停止されたりする。この女性の場合、収入と見なされる額が41万4千円以上になれば、生活保護は廃止となる。
しかも義援金は、県などの配分委が配分額を決めるため、被災者は受取額の増減を要求できない。全額を受け取るか、受け取らないかの二者択一だ。>
血の通わない、心ない行政とはこういうことだろう。まず、地震というのは「非常の時」である。普段の生活に加えて、被害を修復するための余計な出費がかかる。生活保護費というのは「生活のため」だろう。だったらそれと、災禍から立ち直るためのカネは別に支給するべきではないのか。次に、義援金を出した人々はこういう「差別」を想定していない。いや、むしろ生活保護を受けるような困窮しているひとこそ支援したいと考えているはずだ。こういう措置はそうした志士たちのこころを踏みにじるものである。
いっそ「生活保護を受けているひとに」とみんなで条件をつけて募金をしてやればどうか。冷血な役人は立ち往生することだろう。ご存じのように私はもともと生活保護に厳しい立場をとっている。とても給付に相当しないような連中が貪っているからだ。しかしそれとこれとは違う。日本人としての「義」の問題だ。西日本新聞は書いたが、もっと大マスコミがとりあげていいことである。幸い、国会は17日までやっている。誰か、議員よ。さっそくこのことで政府を追及していただきたいと要望する。
ヘンコなモノ書きなので言葉に関してはどうしても噛みつきたくなる。今朝のNHKニュースを見ていたらこんなものがあった。
<NHK世論調査 米大統領の広島訪問/「してほしい」70%>
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/k10010514321000.html
<アメリカのオバマ大統領の被爆地である広島への訪問について尋ねたところ「訪問してほしい」が70%、「訪問してほしくない」が2%、「どちらともいえない」が23%でした。>
おまえら、どこの国の「公共放送」だ。なぜ私たちが非戦闘員の大量虐殺という国際法違反をおかした国の大統領に「訪問してほしい」とお願いしなくてはいけないのか。「訪問せよ」でしょう。もしくは「訪問するべきだ」だ。小さなことのようで、こういうのは大切なのですよ。聞かれた方も「はあ?」と言わなくてはいけない。こちらはかなり興味深かった。
<現在、停止している原子力発電所の運転を再開することについては、「賛成」が15%、「反対」が47%、「どちらともいえない」が30%でした。>
国論はこういうことなのだ。政治家はしっかり見ておいた方がいい。
あの国に対して国際社会は、もういちいち論評したりするのではなく「世界文化遺産」に指定して、いっさい関与せずにそおっと保存したらどうか。胸に大量の勲章をぶら下げた軍人どもが、電話頭に対して拍子をそろえて拍手する映像を見ていると、私はそう思ってしまった。
<北朝鮮党大会で決定書採択/金正恩氏を「最高位」に>
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/05/09/2016050900886.html
<朝鮮中央通信は9日、「決定書は金正恩同志が行った党中央委員会の事業総括報告を党と革命発展のまばゆい前途を照らす不滅の価値、主体革命の百年大計の進路を開いた偉大な綱領として受け止め、全幅的に支持賛同した」と伝えた。>
もはや何を言っているのかわからない。電話頭は、日本が独自に人間国宝に指定してもいいのではないか。失礼ながら人間国宝の伝統芸能のセリフも私のような無学なものにはかなり意味不明だが、電話頭もその境地に達しつつあるような気がする。気が狂った閉鎖空間で長年やっていると(わが国の伝統芸能はそうではないですよ、為念)こうなるのか。しかし、、馬鹿だから気づいていないのかも知れないが大切なことも言っている。
<「核伝播防止(核拡散防止)の義務を誠実に履行し、世界の非核化を実現するため努力する」とした。>
日米などは北朝鮮の核がたとえばイランに持ちだされることを警戒している。ミサイルではもう行われているからだ。だからこのセリフは記憶しておいた方がいい。
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