都市移住を強いられた元チベット遊牧民らの苦悩、中国
2016年05月10日 15:00 発信地:アバ/中国 AFPhttp://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/9/9/500x400/img_993dcd3137d0e5e08eb5c4365d08d4b5199023.jpg
【5月10日 AFP】まだ午前中だというのに、ロブサン(Lobsang)さんの革のカウボーイハットはくたびれ、黒いガウンは乱れ、吐く息からは酒の臭いがする。かつてチベット(Tibet)の高原を遊牧していた彼は今、薄いコンクリート造りの家の周りで足をふらつかせている。
ロブサンさんと妻のタシ(Tashi)さんは数十年間、ヤクやヒツジを放牧してきた。何世紀も前から、ほとんど変わらない生活だった。──3年前、中国政府の要請を渋々受け入れ、ヤクの毛のテントから再定住先の家へ移り住むまでは。
現在夫妻は、中国四川(Sichuan)省南西部のアバ・チベット族チャン族自治州アバ(Aba)県から、曲がりくねった山道を車で1時間の場所にある再定住村に住んでいる。そこには青い屋根に灰色の壁の同じ家が、何列も立ち並んでいる。
「この町に移ってきて、何もかも変わった」と、タシさん。彼女も夫と同じ40代だが、正確な年齢は分からない。「まずお金がなくなった。そして夫は自分に見合う仕事を見つけられず、酒量がどんどん増えていった」
移住に応じた人々には、中国語で「戸口(Hukou)」と呼ばれるいわゆる戸籍のうちでも、「城市戸口」(都市戸籍)が与えられる。これは中国国内における厳しく管理された居住許可で、これによって社会福祉サービスを利用できるようになる。政府は完全に無料か、あるいは多額の助成金を出して家や医療保険を提供し、教育も無償化する。
しかし、この政策はお仕着せの措置で、多くの元遊牧民が約束されたような豊かな生活は送っていないと、批判の声が上がっている。
オランダにあるエラスムス大学ロッテルダム(Erasmus University Rotterdam)社会科学大学院大学(ISS)のアンドリュー・フィッシャー(Andrew Fischer)准教授は、「社会が急に混乱した生まれた場合に陥りがちな、失業やアルコール依存症といったさまざまな問題が起きている」と指摘する。
■「戻りたいが手遅れ」
ドルカー(Dolkar)さん(42)は2年前に、最後まで飼っていたヤク13頭を8万5000元(現在の為替レートで約140万円)で売却したが、今になってその決断を後悔している。まだ安定した職に就けていないのだ。
ドルカーさんは「政府の職員が来て、移住しろと言われた」と当時を振り返る。「この町の物価がこんなに高いとは知らなかった」「戻りたい、だがもう手遅れだ」
■分離独立派を抑制
都市移住政策に批判的な人たちの間では、中国政府が1951年から統治しているチベットの居住者に対する監督を強化する目的もあるとの指摘もある。
AFPが取材に訪れた再定住村は、中国侵攻前のチベット東部のカム(Kham)地方に当たる地域にある。ここでは地元の戦士たちが、時に米中央情報局(CIA)の支援を受けながら、1960年代後半まで中国共産党の軍事部隊と戦っていた。
中国共産党チベット自治区委員会のトップ、陳全国(Chen Quanguo)書記は、全ての再定住村は「チベット分離主義勢力の侵入を防ぎ、これと戦う」ための「とりで」にならなくてはならないと発言している。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)のソフィー・リチャードソン(Sophie Richardson)中国代表は、遊牧民を都市部へ移住させる政策によって、「より監視しやすく、生活していくために国の助成への依存度がより高まる場所、つまりさらにコントロールしやすくなる地域に人々を集めている」とみている。
■環境にも悪影響
一方、環境専門家らは、この政策によって山間部の草原が保護されるどころか、雑草が増えて土壌の性質が変わってしまうと指摘する。
「子どもたちがチベットの歴史を知ることはないだろう、われわれチベットの伝統を理解できないだろう」と嘆くのは、6年前に再定住村に移ってきたドルジェ(Dorje)さん。彼は今、雑用のような仕事を散発的に請け負っている。
「孫たちは、私がかつて尊敬され富裕な男だったと知ることはないだろう。彼らは貧困しか知らずに育つのだ」
(c)AFP/Benjamin HAAS