元アメリカ兵の女性暴行殺害事件で 沖縄が揺れている。もちろん 殺人を起こした人間が一番悪い。
本土で夕方街を歩いて 襲われたりすることはない。
本土にも 色々な国籍がいるはず、 何が悪いのか?
マスコミは犯人は元兵士、彼らに平穏な生活は考えられないという、 そうだろうか?
沖縄でびっくりすることは 町が暗い、 町に街灯がほとんどない。
高速道路にも街灯はない。
沖縄で生活して 車なしで夜歩くと、真っ暗で 歩道の端で転んだり、道路上のコンクリート片に足を取られたりする。 実は今年の2月 名護市役所前で高速バスから降りて 荷物をゴロゴロ引いていたら、道路上の3cmくらいの石に足を取られて、転倒! 左足の足首をねん挫した経験があります。
市役所前といえ 真っ暗なんです。 どこにも街灯がないのです。(信号はありますが)
名護市、沖縄県 職員は<山とこ>います。 道の駅まで職員がやっています。
そして彼らは 市の労働組合に入って 活動に参加するも、タダでは動きません。
すべて 金にしか動かない 沖縄の公務員です。 そのため人件費で財政がひっ迫し、
また 市長、知事、議員の 度重なる海外渡航や 米軍関係裁判費用が 財政に大きく関係し、街灯に回す金はないとのこと。 辺野古裁判の知事や市長側の弁護士がが無給で動いておりません。ちゃんと費用が発生、というよりもそれで生計を立てている左翼御用達弁護士もいます。 手弁当ではありません。
街灯は 那覇や名護の商店街や飲み屋街のみ そのほかの街、道路際にはほとんど街灯はありません。
殺人事件が起きる前に 道路や橋や舗装に金を入れる前に どうか安全のために 街灯を
本土並みに 取り付けてほしい。
何かおかしい!
それは 道を歩く 沖縄人=貧乏人 という考えがあり どこでも車で動く沖縄人があります、
公務員家庭は共稼ぎでほとんど2~3台の軽自動車の所有です。 コンビニに行くのも車で行くから街灯に関心はありません。 歩く人(貧乏人)には?????
この町では 貧乏人と裕福な人間の差が どんどん大きくなっています。
その原因が 公務員であり、
左翼関係者だと
は誰も言いません。
それは 左翼関係者が 支配者であり 権力者であり 不平をいう人間を村八分にするという現実があります。
公務員が人権侵害者であることは 住んでみないとわからないし、本土の理論では理解できない。
近頃舛添知事をよく言う人はいない、しかし沖縄の公務員、政治家はの素顔はまさしく 舛添知事と一緒、
税金でけつの穴まで拭くことのできる 公務員と左翼評論家、左翼教育者、そして政治家が
一般人を食い物にした結論が現在の沖縄なのである。
これを 沖縄差別というのか? 左翼関係者は沖縄の世論を表すものではない、 しかも彼らの生活や、 考えを 知ると 異常が理解できて、差別したくなるはずである。
元米兵の鬼畜の仕業も許せないが、それが簡単に起きるようにする沖縄左翼連中の行動にも腹がたつ。
それが実際の平和主義者と呼ばれている人々のなせる業である。
また暴行罪で逮捕 米兵の沖縄での犯罪率は高いのか
2016年3月17日 5時20分
■米軍に知事が抗議
泥酔してホテルのロビーで寝ていた女性を部屋に連れ込んでの暴行だという。
もちろん、こうした犯罪は決して許されるものではない。
日本政府としての抗議も当然のことだろう。
しかし、こうした報道によって、米兵はしょっちゅう犯罪を行っているようなイメージを持ってしまうのは早計である。
http://image.news.livedoor.com/newsimage/b/b/bbdd7_1523_a727d974_7de41b53.jpg
『オキナワ論 在沖縄海兵隊元幹部の告白』
「米軍の犯罪発生率は高いという印象の背景には、日本弁護士連合会が2000年夏に発表した報告書があります。この報告書は沖縄におけるアメリカ人の犯罪統計が地元市民の10倍にのぼると指摘し、地元メディアに大きく取り上げられ既成事実化しましたが、後になって、この報告書のデータには重大な誤りがあることが判明しました。
新聞には小さな訂正記事が出たものの、いまだに集会などでは講演者がこの数字を引用するため、悪い印象は消えません」
たしかに、2000年に発表された報告書は、「人口1万人あたりの米兵の犯罪件数は県民の10倍」としたが、その後「ほぼ同じ」と訂正されている。
■まともな議論を
「おそらく今後も、沖縄の政治家やメディアは犯罪や事故の累計件数を挙げ、犯罪は増え続けていると主張し続けるに違いありません。(略)
左翼やメディアは『県民感情』『オール沖縄』というフレーズをよく使いますが、それは事実と法律にも優先するものでしょうか。
左翼やメディアは『県民感情』『オール沖縄』というフレーズをよく使いますが、それは事実と法律にも優先するものでしょうか。
そうではないはずです。
たとえ米軍兵でもそれ以前に同じ人間であり、そういう視線が持てないのでは、まともな議論ができません」
さまざまな沖縄の問題に関しては、感情論や印象論ではなく、「ファクト」をもとに議論をすべきだ、とエルドリッヂ氏は『オキナワ論』の中で主張している。
デイリー新潮編集部