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「北半球一の性都」と言われた中国・東莞市の栄枯盛衰…『中国 狂乱の「歓楽街」』

「北半球一の性都」と言われた中国・東莞市の栄枯盛衰…『中国 狂乱の「歓楽街」』

 【あの人の本】

 “北半球一の性都”の異名を持つ中国南部・広東省の東莞(とうかん)市。栄華を極めたこの大歓楽街に対し、中国当局は昨年2月に大規模な摘発を断行。性産業は壊滅的打撃を受け、全土に衝撃が走った。


原則として売春が禁止され、性全般への縛りも厳しい中国で「性都」がどうして形成され、また摘発の背景には何があるのか。この事件を軸に現代中国の“下半身”に迫るノンフィクション『中国 狂乱の「歓楽街」』(KADOKAWA・1200円+税)を刊行したジャーナリストで拓殖大教授の富坂聰(さとし)さんに話を聞いた。(磨井慎吾)

 ■伝説の「東莞の36時間」

 2014年2月9日午後の東莞市。春節旧正月)の余韻が残る南方の都市の緩い空気が一変した。市内に多数あるホテルやカラオケなどの売春施設を6000人以上の公安(警察)が急襲。直後にテレビカメラも続き、肌も露わな大勢の若い女性が拘束される現場は全土に放映された。手入れは広東省全域に及び、摘発された性風俗施設は約1万8000カ所。業者ら920人が逮捕された。後に巷間で「東莞の36時間」として語りぐさになるほどの大捕物だった。

 「東莞はチャイナウォッチャーである私も知らない間に“北半球一の歓楽街”と自負するほどに急膨張し、急速にしぼんでしまった。ウォッチャーとしてうっかりしていたという反省も込めて、一度、性風俗という視点から中国を見てみたかったというのが執筆のきっかけですね」

 富坂さんは、一斉摘発後の昨年12月に東莞を取材。売春に使われていたサウナ施設の残骸を初めて目にして驚いたという。「びっくりしたのは、ハコの大きさですね。ラスベガスのカジノみたいな、ものすごい大きさです。中国の風俗業者は一般に、違法なことをしているという自覚がある慎重な人たちなのですが、東莞の風俗産業がここまで派手にやったのは、もう二度と(規制の緩みは)逆行しないという見極めがあったんでしょうね」。こうした巨大サウナから小さなクラブまで、また数万元(1元=約18円)が必要な超高級店から労働者向けの数十元の店まで、幅広く発展した東莞の性産業の特徴は、きわめておおっぴらに営業をしていた点だという。

 ■工場街から“色情之都”に

 東莞市は、1979年に中国初の経済特区となった深●(=土へんに川)(しんせん)市の北に位置し、香港・マカオにもほど近い。少し前まではもっぱら工場の町として知られていた。なぜ東莞に、短期間で中国随一の“色情之都”が築き上げられたのか。富坂さんは、いくつかの条件が重なった結果、奇跡的に生まれた存在だとみる。

 「まず、最初に対外開放された深●(=土へんに川)の隣にあった、というのが最大の要因。カネを持った香港人や台湾人、後には日本人も入ってきて、ある種の治外法権的な空気が生じたところに、田舎から若い出稼ぎ労働者が集められ、その中のきれいな若い女の子がどんどん(実入りの良い)風俗に流れた。そこに近郊の香港・マカオで培われた風俗店のノウハウが流入して、一つの産業として洗練されていった。さらに言えば、(政治の中心である)北京から非常に遠かったことも影響している」

 深●(=土へんに川)は当初、一般の中国人が自由に出入りできない都市であり、深●(=土へんに川)の金持ちを相手に商売したい大陸の人々は、すぐ隣の東莞で風俗店を開いて待ち構えていた。「深●(=土へんに川)の周辺にできたコブみたいな存在がどんどん膨らんで、深●(=土へんに川)を上回る巨大な性風俗産業ができてしまった。まさに“深●(=土へんに川)の下半身”です」

 改革開放政策の申し子のような東莞の性産業。富坂さんは、取材中に最も印象深かった点として、夜の町の主役が次々と変わっていったことを挙げる。「最初は外貨を持った香港人や台湾人、それから日本人だったのが、今や日本人はほとんど相手にされない。2000年代の半ばくらいから、日本人は中国人の金持ちにまったくかなわなくなった」。最盛期の東莞には、日本人を含む外国人女性が多数、出稼ぎに来ていたほどだったという。

 ■摘発の背景…権力闘争説は疑問

 そんな東莞が、なぜ一斉摘発されたのか。一部の専門家は、習近平国家主席が政敵に仕掛けた権力闘争であると指摘しているが、富坂さんはその説に懐疑的だ。「中国の権力闘争の場合、裁判など正規のルートを使って正式にぶっ潰しにきます。中途半端なことはやらず、はっきり誰の目にも白黒が分かる形でやる。でも今回の摘発では、結果として誰が負けて誰が処分されたかということが出てきていない」。根本的には、社会の引き締めや原則論を重視する習近平時代、あまりにも東莞が目立ちすぎる存在になったことに原因を求める立場だ。

 「習近平という人は、反腐敗キャンペーンを軸として、党員規律や綱紀粛正に非常に熱心です。中国の原則としては、やはり性産業はダメです。だけど現実としては中国経済に貢献しており、富の分配を助けるというプラス面も否定できない。ただ、あくまで原則に照らしていくと、潰さなければいけないということになる。その風をもろに受けてしまったのが、東莞という街だったと思いますね」

 こうした性産業の引き締めを、中国の民衆はどう見ているのか。「楽しく消費ができていた人たちとそうでない人たちとで、見方が異なりますね。中国全体に見ると、前者は本当に少ない。たぶん人口の10分の1弱くらいでしょう。残りの9割は大賛成ですよ。(性産業での豪遊は)けしからん、ふざけるな、と。では残りの1割の人がどうしているかというと、国内で声を上げても損するだけですから、黙って海外で爆買いしたり、新たな東莞を求めたり、と」

 今やすっかり灯が消えたようになってしまった東莞。一つの街が短い期間で体験した栄枯盛衰から、現代中国が迎えた大きな変化が見えてくるという。
 「実は見事に、中国の政治とリンクしていますよね。胡錦濤温家宝体制の下、このまま緩んでいくんじゃないかと思われていた政治的な空気が、習近平時代になって、ぐっと厳しくなった。中国の政治を見る上でも、非常に重要なバロメーターだったんじゃないかと思います」