パルデンの会

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習主席の顔に泥塗った退役軍人デモ

過去の歴史を清算せず、嘘の史実を並べるシナが
壊れるスピードを増す事件。
壊れろ 支那

習主席の顔に泥塗った退役軍人デモ  編集委員 中沢克二

2016/10/19 6:30
日本経済新聞 電子版
中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞
 北京中心部の要人執務地である「中南海」から西に4、5キロ。「八一大楼」と呼ばれる大きな建物の前に戦闘用の迷彩服姿の男たちが大挙して集まり、軍歌を唱うなど気勢を上げた。そこには、中国人民解放軍を指揮する中央軍事委員会の弁公室や国防省がある。10月11日から12日にかけての事件だった。
 民主化を要求する学生運動ではない。彼らは、れっきとした退役軍人らである。年のころは中年以上。白髪頭も目立つ。とはいえ、元軍人だけに口は重い。取材に訪れた外国メディアに直接、不満をぶちまけるような行為はない。統制は取れている。
 現場の異様な状況は、一般市民がスマートフォンで撮影した様々な映像や写真が中国内でも出回った。だが、監視当局により順次、削除されていった。
■あり得ない「中央軍事委員会」包囲
 断続的に続いた示威行為は数百人規模で、一時は1000人を超えた。そこは「軍事禁区」といわれる一般人の立ち入りを厳しく禁じる地域だ。過去にも北京の他の軍関係施設前で小規模な陳情行為はあったが、「八一大楼」に迷彩服の元軍人が大挙して押し寄せたのは前代未聞だ。
 彼らの多くは、今世紀初頭までに退役した軍人らだという。退職に伴う手当は少なく、再就職も厳しかった。医療保障も不十分だ。今世紀に入って中国経済は大きく伸び、軍人の待遇も少しずつ改善された。彼らは取り残された人々でもある。
 徴兵制ではない中国の軍は、退役軍人、予備役、民兵を含めた運命共同体だった。軍人は庶民の尊敬を一身に集める存在だった。鉄道料金は無料で、専用席が設けられていた。病院、幼稚園、カラオケなど娯楽施設も無料。給与は安めだが福利厚生は完璧だった。今は違う。給与は少し上がっても大半が自費となり、退役後の福利厚生はかなり削られた。
 中国人民解放軍は1989年6月、民主化を要求する学生や民衆のデモを武力鎮圧。この「八一大楼」に近い場所でも、多数の学生が犠牲になった。当時、デモ鎮圧の役割を担った軍関係者も今回の抗議行動に参加したとの情報がある。もっと古くは79年の中越戦争の功労者もいたという。
 軍は共産党一党独裁体制を支える「暴力装置」である。その内部問題だけに、ことは深刻だ。簡単に処分できない。やり方を間違えれば大規模な騒乱につながりかねない。北京で中央軍事委を取り囲んだのは、全国の不満分子の代表で、背後には2万人以上の賛同者がいるもようだ。
 成熟した民主主義国家では、退役軍人の待遇問題で騒乱が起きるなどありえない。だが、中国の現体制下では、彼らが民主的に自らの待遇改善を要求し、実現させる手段がないのだ。
 「中南海」に与えた衝撃は大きかった。だからこそ、退役軍人らの各出身地から高いレベルの責任者が北京に招集されたという。これはデモ現場で退役軍人のリーダーが伝えた内容である。
■習主席の軍引き締め効果は薄く
10月24日に始まる6中全会を前に習近平国家主席(右)は難しい課題を抱え込んだ(10月16日、インドのゴアで開いたBRICS首脳会議で。左はモディ印首相)=AP
 国家主席で中央軍事委員会主席の習近平はここ数カ月、軍の視察を繰り返して引き締めを図ってきた。それでも軍組織の末端を制御できなかった。注目すべきは、北京の中央軍事委前の示威行動を事前に察知できなかったという事実だ。
 これは日本の江戸時代に、地方で虐げられた百姓らが江戸の将軍のお膝元で直訴、上訴したのと同じだ。普通は地方の政府や軍組織が事前に阻止するが、今回はできなかった。
 習は、2012年まで自らと同格の党中央軍事委員会副主席だった、徐才厚(拘束中の15年3月にガンで死去)と郭伯雄無期懲役が確定)を摘発した。2人は制服組トップだった。
 退役軍人デモの前日だった10月10日には、「八一大楼」で徐と郭の“悪人”2人組がふりまいた汚職軍紀の乱れという「流毒」を断つべく、全軍の政治集会が開かれていた。退役軍人らは、北京に集った各地の軍幹部、そして習ら最高指導部メンバーに訴えを伝えようとしていた。
 習の苛烈な綱紀粛正で多くの軍人が摘発された。郭や徐の元部下らだ。不満を持つ軍官僚らが、今回の退役軍人による中央軍事委包囲計画を事前に知りながら、果断な対処をあえて怠った可能性もある。政府の官僚らの間では、意図的な不作為=サボタージュが横行している。これは首相の李克強が公式に発言している。軍内に同様の動きがあってもおかしくない。
 10月24日から北京で、共産党の重要会議である中央委員会第6回全体会議(6中全会)が始まる。「元軍人による八一大楼包囲は、『6中全会』を前にした習主席の顔を潰す結果になった」。こんな見方も流れている。習は顔に泥を塗られたのだ。
 「6中全会」では、「反腐敗」運動を推し進める習の主導で、軍人を含めた党員の生活上の規律問題を取り上げる予定だ。だが、退役軍人らは、暮らしさえままならないのに生活規律と言われても困ってしまう。
 習は10月13日午前からカンボジアをはじめとする外国訪問のため北京を離れた。同12日になってようやく解散した退役軍人デモへの対処は、北京に残った最高指導部メンバーが中心となった。
 一部では、李克強とみられる最高指導部メンバーが退役軍人の代表と面会したという噂が流れた。退役軍人側がインターネットを通じて発信したと推測できる内容である。学生運動なら鎮圧するが、国家に貢献した老兵はむげに扱うことができない。
■1999年の「法輪功」事件を思い出す
習近平主席が打ち出した30万人の軍削減も火種になりかねない(2015年9月、北京で開いた軍事パレード)=写真 柏原敬
 習は15年の軍事パレードの際、30万人の軍削減を打ち出した。これも周到に進めないと新たな退役軍人のデモを招きかねない。
 今、景気後退で就職が厳しい大学生がかなりの規模で軍に入隊している。特に、マイナス成長の地域さえある東北3省で目立つ。そこには、就職口の確保で社会の安定を図る狙いがある。もう一つの目的は、近代化を目指す軍が必要とする技術や能力を持つ人材の確保である。
 習が本当に30万人削減の目標を達成しようとするなら、中年以上のベテラン兵の首を30万人よりも多く切るしかない。軍の定員オーバーを防ぐためだ。その場合、再び大問題が起きかねない。
 北京中心部での抗議行動と言えば、北京っ子が思い出すのは99年4月25日の事件だ。各地から集まった老若男女が「中南海」の壁沿いを取り囲むように並んだ。その数は1万人超。弾圧を受けた気功集団「法輪功」の集団行動は、静かで整然としていた。
 この時も、当局側は事前に阻止できなかった。今回の元軍人のデモと似ている。時の国家主席共産党トップ、江沢民は衝撃を受け、法輪功の取り締まりを一段と強化した。
 中国の公式メディアは今回の元軍人デモを報じなかったが、共産党機関紙、人民日報の国際情報紙である環球時報だけは事後に評論を掲げた。「国家はこうした集団行動に賛成しない」とし、その理由として「内外の勢力に利用されかねない」と訴えた。そして「大多数(の退役軍人)は穏やかに暮らしている」とも説明した。やはり事件はタブーなのだ。
 10月24日から始まる「6中全会」の政治的な意味は、17年の党大会での最高指導部人事の前哨戦である。前代未聞の元軍人デモも今後、様々な場面で政治的な闘いの材料になりうる。(敬称略)