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法の前に立った「ベトナム戦民間人虐殺」

ベトナム虐殺」大韓民国が被告席に座るか

ハンギョレ新聞 10/30(日) 14:22配信




法の前に立った「ベトナム戦民間人虐殺」


 ク・スジョン氏(50)が警察から電話を受けたのは今年7月だった。虚偽事実摘示による名誉毀損事件で告訴されたという内容だった。彼は8月23日に警察に出頭し3時間にわたり調査を受けた。

 「調査官はこの問題をよく知らないようでした。私が質問の核心を把握できずに答えるのが難しいほどでしたから。もっとも、歴史的事実の全貌を分かってこそ捜査できるのですから、誰がしても簡単ではないでしょう」。彼は「事実関係の確認よりは『告訴人があなたの主張が虚偽と言っているがどう思うか』と訊かれて当惑しました」と話した。

 ク氏は韓国とベトナムの間の公正旅行(フェアトラベル)と公正貿易(フェアトレード)をする社会的企業「アマプ」の本部長であり、今年9月に発足した「韓国-ベトナム平和財団」の理事だ。職業や肩書は今後も変わるかも知れないが、ベトナム留学中だった1999年に韓国軍によるベトナム戦民間人虐殺事件を時事週刊誌<ハンギョレ21>を通じて韓国に最初に知らせた事実は決して変わることはない。論文発表、口述収録、マスコミインタビューなどで真実を発掘し知らせることに没頭していたら、いつのまにか17年が過ぎ、何の予告もなく“法”とぶつかった。その出会いは極めて不快なものだった。

 大韓民国ベトナム戦参戦者の会(参戦者会)のチャン・ウィソン福祉部長(72)が、検察から連絡を受けたのは今年5月だった。4月27日に行われた韓国-ベトナム平和財団設立推進委員会の発足と「ベトナムピエタ像」公開の直後、参戦者会は「ク・スジョンら、陰湿な攻撃勢力への対応および対策」を議論する市・道支部長懇談会を相次いで開いた。彼らは大統領、首相、国防部、外交部などに対応を要求した。しばらくすると、検察が告訴する意向があるかと尋ねてきた。チャン氏は告訴人831人の代表を務めた。「あっちが虚偽事実を喚き立てても、私たちはインターネットもできないし、時間の経つのをじっと待っていたが、ますます大変になります。日本は事実があるので安倍が少女像のために苦痛を感じても、それは仕方ないけど、私たちは性的暴行を働いたこともないのに、なぜピエタ像なの?」。彼は「任意団体だった時期には考えもできなかったが、3年前に公法団体になってこのように訴訟できる力がついた。この際、そうした事を二度とできなくさせる」と話した。17年前に初めてク氏の報道に接した彼も、ついに法と出会い、このように戦意を燃やしている。

ベトナム戦参戦者会
民間人虐殺・性的暴行はなかった
韓-ベトナム平和財団のク・スジョン氏を告訴


現地調査で確認された虐殺
弁護士ら、謝罪・賠償特別法を摸索
「告訴はむしろ良い結果に
国家の責任を認める契機に」


 参戦者会はク氏が2014年に行った日本の週刊文春とのインタビュー記事とベトナム平和巡礼の際の発言を入れた動画、今年行ったハンギョレとのインタビュー記事などが虚偽事実の摘示だと主張した。それでも提出した資料には、1999年以後のク氏の行跡と関連したことが全部入っていた。ク氏は「調査官が週刊文春とのインタビューに対して最も長く尋ねました」と話した。このインタビューには、韓国軍によるベトナム女性への性的暴行に関する言及が1回だけ出てくる。参戦者会がこのインタビューを真っ先に問題にしたことと、チャン氏がとりとめなく『安倍』『性的暴行』『ピエタ像』に言及したこととは重なって見える。

韓国は慰安婦に知らぬふりをした日本と違うだろうか
 今年はベトナム戦民間人虐殺問題と日本軍「慰安婦」問題が本格的に一つの談論の中に入った年だ。昨年12月28日の韓日「慰安婦」関連合意が触媒の役割を果した。撤去論議に包まれている駐韓日本大使館前の「平和の少女像」を作った夫婦作家が、ベトナム戦参戦韓国軍の民間人虐殺を謝るために作った「ベトナムピエタ像」は、韓国の近・現代史が一方的被害者として記述されてはならないことを象徴的に表してくれた。ベトナムに対して加害者だったことを認めなければ、日本軍「慰安婦」問題も解決できない私たちの逆説的現実が顕れたのだ。

 虚偽事実の摘示による名誉毀損の核心は、被告訴人が公表した内容の真偽にある。参戦者会がク氏の主張が虚偽であることを立証する証拠として提出したのは、ベトナム戦当時「韓国軍の民間人虐殺はなかった」という国防部側の答弁書だという。国防部は最初からこうした立場を一貫して維持してきた。被害を主張する側の証言を聴取したり、現地調査を行ったことは一度もない。韓国政府のこうした態度は、日本の安倍政権が「立証資料がない」として、慰安婦強制動員を一貫して否認する論理を連想させる。

 反面、ク氏の主張はベトナム現地の人々に対する多くのインタビュー、ベトナム当局の種々の調査資料、韓国軍駐屯地に立てられた60個余りの犠牲者慰霊碑、まだ3個が残っている「韓国軍憎悪碑」で裏付けられている。今までク氏が整理した各種の公式資料だけで33件に達し、この中には1968~1970年駐ベトナム米軍司令部監察府の調査報告書など、米国側の資料も含まれている。韓国軍によるベトナム民間人虐殺犠牲者は9千人を超えると推測される。韓国軍による性的暴行の被害証言も相次いでいる。

 しかし、参戦者団体はこれらすべてを虚偽、ねつ造だと主張する。さらに、自分たちが「戦友」と呼ぶ一部の参戦軍人による虐殺証言さえ認めない。参戦者団体は昨年4月7日、ソウルの曹渓寺(チョゲサ)で開く予定だったベトナム戦民間人虐殺被害者招請行事を妨害した。彼らは被害者を老若男女にかかわらず「民間人に偽装したベトコン」と断定した。彼らにとってベトコンは、当然に殺さなければならない敵だった。性的暴行は全くなかったし、女性犠牲者の胸をえぐり取ったのはベトコンだったというのが彼らの主張だ。

 イム・ジェソン弁護士(36)は法曹人になるより先に法の壁にぶつかった。彼は兵役拒否者として裁判を受け、実刑に服した後に弁護士になった。2000年代に大学に通った彼にとって、ベトナム戦争は1948年の済州(チェジュ)、1980年の光州(クァンジュ)と同様、記憶しなければならない国家暴力の現場であったし、兵役拒否の理由でもあった。彼が属した民主社会のための弁護士会(民弁)アジア人権チームは、昨年7月ベトナムを訪問した後、今年初めに民弁に「ベトナム戦争研究会」を設けた。彼は幹事役を務め、ク氏と知り合ったし、韓国-ベトナム平和財団の理事として参加することになった。今年7月、法の壁に初めてぶつかったク氏から連絡を受けた。

 ベトナム戦争研究会は、韓国軍のベトナム戦民間人虐殺という事実自体は広く知られているのに、公式的調査、謝罪、賠償は全くなされていないことに問題意識を持って始まった。この問題を法律的に検討し、ベトナムの被害者が大韓民国政府を相手に起こす国家賠償請求訴訟と、真相究明のための特別法制定活動を繰り広げようという構想に達した。「そのためには民間人虐殺を司法的に確認する過程が先に必要だが、作業がぼう大で適当なきっかけをつかめずにいました」。イム弁護士は「ところが参戦者団体側がこうした契機を用意してくれた」と話した。

 チャン・ワンイク、キム・ナムジュ、パク・ジンソク、イム・ジェソン弁護士が先ず弁護団を設け、選任届を提出した。さらに弁護人を集めて10人の陣容を整えた。弁護団はまもなく警察にあらゆる文献記録とインタビュー記録を含む意見書を提出する予定だ。これは始まりに過ぎない。彼らはベトナム政府の公式調査資料を翻訳し、来年にはベトナム現地調査も行う予定だ。このようにして確保した資料に基づいて、法律的な事実関係の特定もしなければならない。どれ一つとっても容易でなく疎かにすることもできない。イム弁護士は「最初にすることは、虐殺があったことを確実に立証することだが、特別法制定と国家賠償訴訟までを見通して準備しようと思う」として「この事件を契機に、ベトナム民間人被害者に対する社会的関心も非常に高まり、今後の活動の基礎になることを期待する」と話した。

 ク・スジョン氏はこの頃、韓国人学生たちとベトナムを一周する平和踏査をしている。1カ月以上続く苦難の行軍だ。「これまで被害者の証言などを通して韓国軍の行跡を知らせる仕事をしてきたが、法廷に行くことになれば当時の韓国軍の動線などと逐一対照するパズル合わせの作業が必要です。私としては新しい契機になるでしょう。たとえ告訴されたとは言え、それがむしろ良い結果になりそうです」。

 ベトナム政府はこれまで韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題を公式化したことがない。ベトナム戦に参戦した韓国軍を、正式な軍隊ではない米軍の傭兵と見てきた歴史認識とも相まってのことだが、現実的にも韓国は対ベトナム投資1位国家だ。しかし今年に入ってベトナムでは有力メディアがこの問題を大々的に報道するなどこれまでとは違う雰囲気が現れている。

 1991年8月、(日本軍「慰安婦」被害者)ハルモニ(おばあさん)のキム・ハクスンさんの最初の証言以後、韓国社会では慰安婦問題がはじめて公論化され始めた。しかし、日本はそれから25年が経っても慰安婦強制動員を公式に認めず、司法的な手続きもなかった。被害者は今や韓国政府からも排除されている。韓国社会がベトナムに対する加害者のアイデンティティを明確にしない限り、ベトナムの被害者だけでなく韓国の被害者も苦痛から抜け出すことはできない。苦痛のくびきの中には、ベトナムで命を失った約5千人と負傷者約1万人、2万人を超える枯れ葉剤後遺症患者たちも含まれている。法は今、歴史の試験台に入る小さな入口に立っている。

アン・ヨンチュン記者

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