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民進党への強い拒否反応とは! どうなったのか日本政治

http://www.buzznews.jp/?p=2107646   より転載        
 
2017/4/10 14:00    
       
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長島昭久衆議院議員が離党会見で民進党への強い拒否反応示し「真の保守政治家目指す

民進党への決別、蓮舫執行部への批判も

長島議員は冒頭から約10分強、離党に至った経緯を說明するとともに今回の行動の「大義」として「真の保守をこの国に確立したい。この一点である」と語っていました。
「保守」という言葉は計15回以上登場し、「真の保守とは何か」について触れた後半にその回数は増加していきましたが、長島議員は「真の保守」と自身が目指す「特定の党派から独立した一人の保守政治家」をこう表現しています。
長島「真の保守とは何か。それは我が国の歴史と伝統を貫く、寛容の精神だというふうに思います。ですから真の保守は、多様な意見を包摂する事が出来るのだと私は信じています。」
長島「私はここに、特定の党派から独立した一人の保守政治家として、我が国を取り巻く内外の諸課題と真摯に向き合い、あるべき政治の形を作り上げる為に、私の問題意識を共有して下さる同志の皆さんと共に、中庸を旨とした真の保守政治の確立という大義の実現を目指して行動を興すものであります。」
長島議員が民進党離党を決断した最大の理由は「保守政治家として譲れない一線」を越えたことにあったといい、それは政権選択選挙である衆院選における共産党との選挙共闘だったそうです。「私にとり受け入れ難いもの」としていた長島議員の話からはこれまでにも数多く民進党内で忸怩たる思いを繰り返してきたことを窺わせる表現と共に党の姿勢を強く非難する考えが散見していました。
長島「私は2年前の夏、安保法制を採決する本会議場に一人呆然と座っておりました。前日までの激しい党内論争に敗れ、失意のどん底党議拘束に従い、安保法案に反対票を投じました。」
長島「(安保法制に際して)議論が噛み合うどころか単なる罵り合い、傷つけ合いに陥っていました。(中略)果ては議員同士の殴り合いが委員長席周辺で繰り広げられました。」
長島「党内ガバナンスという魔法の言葉によって、一致結束してアベ政治を許さないと叫ぶことを求められ、過去に自分達が推進したり、容認してきた消費税も、TPPも、ACSAも、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、全て反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。」
長島「行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んでアジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も建設的な提案もない、与野党の妥協も政策調整の余地もない。」
長島「リベラルと言われている皆さんの方が実は結構過激でありまして、権力に対するルサンチマンのようなものがあって、寛容さに欠ける言動がしばしば見られます。」
一方で長島議員は保守の側に対しても森友学園の籠池理事長を例に挙げ「教育勅語を信奉してれば保守だと言わんばかりの粗雑なキャラクター」と断じ、こうした点から「中庸」という言葉で「中庸を旨とした真の保守政治の確立」を大義としていましたが、民進党リベラルへの決別が強く印象づけられた会見だったと言ってよく、質疑応答部分では蓮舫代表ら執行部への批判的な発言も聞かれていました。
蓮舫代表になってから変わった所や不満について問われた長島議員は、きっかけ自体は2年前の安保法制における議論だったとはしながらも蓮舫代表率いる現執行部について「前執行部の方針をそのまま引き継いでいると思ってますから」「最初からあまりいい筋ではないなと思っておりました」と厳しい見方を示していたのです。
長島「先ほど申し上げたとおりですね、きっかけは2年前の安保法制の議論、国会での混乱でしたよね。その後まぁ、ある意味で方針が決まっていってですね、今の執行部っていうのは前執行部の方針をそのまま引き継いでいるというふうに思ってますから私はもう最初から、これはあまりいい筋ではないなと思っておりましたんで、何故今なのかと聞かれると答えに窮しますけれども、ずーっとその時から同じように違和感を持っていたと。そしてこの今日この日に決心が漸くついたということです。

長島昭久議員の発言

「(立って挨拶)本日は大変お忙しい中お集まり頂きまして本当に有難うございます。私、長島昭久、本日ここに、ひとりの政治家として、独立を宣言致します。つい今しがた野田幹事長に離党届を提出して参りました。それでは座らせて頂きます。(着席)
この度私が民主党を離れる決意をした最大の理由は、保守政治家として譲れない一線を示す。この一点であります。共産党との選挙共闘という党方針は、私にとり受け入れ難いものであります。
一昨年の安保法制、廃案の熱狂の中で突然打ち出された共闘路線は、まともな党内論議もないまま共産党主導で進められ、最近では民進党の基本政策にまで共産党が影響を及ぼすかのような場面が目立つようになりました。消費税然り、TPP然り、エネルギー政策然り、憲法改正問題然り、そして今、審議入りも出来ない状態で紛糾しているテロ等準備罪法案然りであります。
尚、誤解のないように申しあげておきますが、私は個々の共産党議員の皆さんは皆優秀で正義感に溢れ、真剣に議会活動に取り組んでおられます。そのことは十分承知しております。政策の方向性は異なれど、その質疑の内容には常々敬服して参りました。
しかし衆議院議員選挙は政権選択の選挙であります。そこにおいて、国家観も目指すべき社会像も著しく異なる共産党選挙協力するということは、参議院議員選挙選挙協力を行うこととは本質的に異なる。そのように考えております。従って国民の理解を得ることは難しい。そのように考えます。
特に、国家の基本である外交安全保障政策において、私の目指すリアリズムと共産党の路線とは残念ながら重なることはありません。それを安保法制廃案というとても現実的とは思えない一片で折り合いをつけようとしても、政権を担った途端、たちまち破綻することは火を見るよりも明らかです。
これまで私が、外交安全保障政策に力を入れてきたことは周知の通りであります。今般のアメリカによるシリア空爆、暴発寸前の朝鮮半島情勢を目の当たりにし、我が国の安全保障の為に、アメリカと同盟関係を強固にし、我が国独自の国防努力を行っていくことはまさしく焦眉の急であります。
安全保障は、やりすぎてもやらなさすぎてもいけません。国際情勢の現実を直視しながら、慎慮を以て力の行使を判断せねばなりません。これが外交安全保障のリアリズムであります。そのような私の問題意識と、現在の党の政策との間には、覆い隠しようもない断絶があります。そのことの故にこの度離党という決断に至ったことは偽らざる事実であります。
しかしこれだけでは離党の説明にはなっても、冒頭に私が申しあげた独立することの説明には不十分だと思っています。実は私には一人の保守政治家として、どうしてもやり遂げなければならない大義がございます。今日は折角の機会なので、その事について少しお話を申しあげたいと思います。
私にとって今回の行動の大義は、真の保守をこの国に確立したい。この一点であります。私は2年前の夏、安保法制を採決する本会議場に一人呆然と座っておりました。前日までの激しい党内論争に敗れ、失意のどん底党議拘束に従い、安保法案に反対票を投じました。
実は当時私は、党内論議と並行して、Twitterを使って様々な方と議論を戦わせて参りました。その時安保法制の賛否を巡る左右の主張の対立の激しさ。醜さと言ってもいいかもしれません。これに衝撃を受けました。議論が噛み合うどころか単なる罵り合い、傷つけ合いに陥っていました。これをネットの世界の出来事と片付けるのは簡単ですが、実は現実にも同じような罵り合い、果ては議員同士の殴り合いが委員長席周辺で繰り広げられました。
このまま国家の基本に関わるような問題、特にこれから憲法改正という、戦後政治の根幹に関わるような究極的なテーマが控えています。こういった国家の基本に関わるような問題で、左右の衝突が繰り返され、過激な極論や暴論のぶつかり合いが続くようでは、日本社会における保守とリベラルの分断、亀裂は抜き差しならないところまで行くのではないかと、深刻な危機感を抱きました。
その恐ろしさは今日のアメリカの分断状況を見れば、想像に難くないと思います。そのような国家を二分する争点において、対立する双方の意見を調整し、国会における熟議に反映させるべきを担うのは、私達国会議員であります。そしてそのような社会の分断、国家の亀裂を生じさせないようにするのが、この国の保守政治家の責務ではないか、と考えるに至ったのであります。
それ以来私は、党議拘束の桎梏に身悶えするような重圧を感じながら、真の保守とは何かについて考えてまいりました。党内ガバナンスという魔法の言葉によって、一致結束してアベ政治を許さないと叫ぶことを求められ、過去に自分達が推進したり、容認してきた消費税も、TPPも、ACSAも、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、全て反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。
行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んでアジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も建設的な提案もない、与野党の妥協も政策調整の余地もない。国民世論の統合を期待されている国会において、返って国民の中にある分断の萌芽を更に拡大しているようにしか、私には見えませんでした。勿論これは野党だけの責任ではありません。政権の側にしばしば見られる独善こそ厳に慎むべきものだというふうに申し上げておきたいと思います。
そこで、真の保守とは何か。それは我が国の歴史と伝統を貫く、寛容の精神だというふうに思います。ですから真の保守は、多様な意見を包摂する事が出来るのだと私は信じています。実はこの間、気づいたんですけれども、リベラルと言われている皆さんの方が実は結構過激でありまして、権力に対するルサンチマンのようなものがあって、寛容さに欠ける言動がしばしば見られます。
政府や保守的な主張に対する攻撃は時に激烈であります。市民連合なる組織を率いるある政治学者が、一国の総理に向かって『お前は人間じゃない、たたっ斬ってやる!』などと叫んだりしておりました。
一方保守の側も、昨今劣化が激しく、籠池さんのように教育勅語を信奉してれば保守だと言わんばかりの、粗雑なキャラクターが際立っています。私は真の保守とは、国際社会でも通用するような歴史観と、人権感覚を持ち得なければならないと考えています。
不寛容なリベラルも粗雑な保守も、一度立ち止まって国内外の現実を直視し、それぞれの議論を整理し直すべきではないかというふうに考えております。真の保守は、左右の主張を包摂しつつ、対立点につて粘り強く説得に努め、この国に秩序ある進歩、この秩序ある進歩というのは私が尊敬する小泉信三先生の言葉でありますけれども、この国に秩序ある進歩をもたらすことに力を注ぐべきではないか。このように考えます。
それはまた中庸という思想に通じるものがあると思います。中庸は、過剰に対する自制、そして不正に対する毅然とした姿勢によって一方に偏ることなく、常に調和を重んじる思想だと私は理解しております。足して2で割るといった単純な話ではありません。中庸を保つ為には強い意思と高い理想がなければなりません。
私はここに、特定の党派から独立した一人の保守政治家として、我が国を取り巻く内外の諸課題と真摯に向き合い、あるべき政治の形を作り上げる為に、私の問題意識を共有して下さる同志の皆さんと共に、中庸を旨とした真の保守政治の確立という大義の実現を目指して行動を興すものであります。
以上です。ご清聴有り難うございました」