パルデンの会

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県知事選の真相ーデニー氏圧勝の理由



琉球新報沖縄タイムスを糺す県民・国民の会   
より転載
 「メルマガ第188号」2018年11月9日
諸事情により1日遅れの配信となりました。申し訳ありません。
 

■県知事選の真相ーデニー氏圧勝の理由
デニー氏「翁長氏の遺志」前面に 「亡霊」と闘った佐喜真氏

 
 
今回の知事選で玉城デニー氏が圧勝した原因が種々取りざたされています。
 
その一部を紹介すると、「自民党県連の怠慢」「公明党票が逃げた」あるいは「佐喜真淳氏が“辺野古”の争点化から逃げた」などと指摘されています。
 
それぞれ佐喜真氏惨敗の理由の一部を指摘しており、間違いではないでしょう。
 
しかし、玉城デニー氏が圧勝した最大の理由は、そんな枝葉末節な論議ではありません。
 
デニー氏圧勝の最大の勝因は、「オール沖縄」陣営の稀に見る「戦略勝ち」と断言できます。
 
その戦略とは、一体何でしょうか。
 
オール沖縄」側が、翁長氏の死を「弔い選挙」とする印象操作に途中から変更した戦略です。 それが大成功したのです。
 
そうです、佐喜真氏は、デニー氏に敗北したのではなく、翁長氏の「亡霊」に完敗したのです。
 
県知事選までの重要選挙は、浦添市長選、沖縄市市長選、宮古島市長選、石垣市長選そして直近の名護市長選、と「辺野古反対」を争点に掲げる「オール沖縄」候補に対し、保守側候補が連続して勝利してきました。
 
オール沖縄」分裂の流れに乗って行けば、県知事選も佐喜真候補が勝利する予想されていました。
 
ところが8月8日、絶妙のタイミングで翁長前知事が逝去することにより、流れが大きく変わったのです。
 
翁長前知事の「弔い選挙」という流れです。
 
 
◆「亡霊」の陰に身潜めた玉城氏
 
 デニー氏は選挙戦の当初デニーカラーを前面に打ち出し「新基地建設反対」を公約の筆頭に打ち出しました。
 
しかし、「オール沖縄」の戦略は途中で変更を余儀なくされました。
 
デニーカラー」を打ち出すには、時間が足りなかったからです。
 
そこで「志半ばで命を削った沖縄の英雄」というような「翁長氏の神格化」に戦略を変更したのです。
 
街宣でも、翁長夫人の樹子氏や次男の雄治氏ら遺族にマイクを持たせ、「翁長氏の遺志の継続」を訴えました。
 
さらに沖縄2紙の選挙用全面広告は翁長氏の「遺影」を紙面中央に掲載。遺族の写真と「翁長は心の底から沖縄を愛し、140万県民を命がけで守ろうとした」などと感情的な翁長夫人のコメントで飾りました。
 
肝心の玉城氏の写真やコメントは省略し、翁長氏の「辺野古阻止」の無念を「後継者に託す」という趣旨で選挙戦を貫く徹底ぶりでした。
 
この全面広告を見て、「これでは佐喜真さんは翁長知事の亡霊と戦ってるようだ」と苦笑する人もいたくらいでした。
 
しかしそれは、単純な「弔い合戦」で片付けられる話ではありませんでした。
 
翁長氏の無念の死によって、沖縄県民の「新基地建設」への怒りが眠りから醒め、翁長氏の「後継者」とされる玉城氏の圧勝に結び付いたと考えられるからです。
 
極論するなら翁長氏の無念の死こそが、デニー氏圧勝の重要ポイントだったのです。
 
「翁長さんの遺志を継ぐ」
 
これが「オール沖縄」側の方針になり、デニー氏は翁長氏の「亡霊」の陰に身を潜めて闘ったのです。
 
翁長氏の後継者として「亡霊」の陰に身を潜めるには、玉城氏ほど適材の人物はいませんでした。
 
新里米吉県議会議長が、8月17日に持ち込んだ「謎の音源」以来、デニー氏は「翁長知事の遺志を重く受け止めた」と言いながらも立候補を躊躇していました。
 
デニー氏が再三、出馬会見を延期した時、背中を押したのは自由党代表の小沢一郎氏でした。
 
小沢氏はかつて、「神輿(みこし)は軽くて、パーがいい」という名言を吐いています。
 
小沢氏がデニー氏を県知事候補として担ぎ出したのは「軽くて、パーだ」と見込まれたのでしょうか。
 
翁長氏の「亡霊」を前面に打ち出して選挙戦を勝ち抜くには、ラジオパーソナリティーで鍛えた軽い口調で有権者に接し、好感度抜群の笑顔を振りまく玉城氏ほど担ぐ神輿として適材適所の人物はいなかったことになります。
 
玉城デニーという知事候補本人の「意志」以上に、「翁長氏の『遺志』」が前面に出てくる選挙でした。
 
選挙戦の主役は名実ともに急逝した翁長氏の「遺志」、つまり死者の遺志になっていました。
 
 
◆具体的政策は避ける
 
では肝心のデニー氏本人はどのような言動で選挙戦に対応したのでしょうか。
 
街宣で叫ぶショートフレーズでもそうでしたが、沖縄2紙を飾る大見出しでも、玉城氏は具体的政策は極力避けて、「翁長知事の遺志を受け継ぐ」などと、あくまでも翁長知事が憑依(ひょうい)した「後継者」のように対応したのです。
 
もともと、玉城氏は6年余の国会議員時代、沖縄県政を真剣に考えた様子は見られません。少なくとも、翁長氏と県政について懇談した様子はありません。時たま見られる「玉城語録」も整合性に欠け、具体的政策論では到底行政経験の豊富な前宜野湾市長の佐喜真氏に太刀打ちできるとは思えませんでした。
 
例えば、得意なはずの安全保障問題でも、尖閣問題を持ち出されると、「外交交渉で解決する」などと、沖縄選出の国会議員出身とは思えぬ無知を曝(さら)けだしました。
 
尖閣問題でわが国が、中国と領土権で「外交交渉」などするはずはありません。仮に外交交渉を切り出したら、その瞬間「領土問題の存在」を認めたことになり、中国の思うツボになります。
 
佐喜真氏は知事選をデニー氏と闘ったのではなく、翁長氏の「亡霊」、いやむしろ、神格化し「神」に化身した翁長氏と闘い、そして完敗したのです。
 
デニー氏の圧勝が決定した2日後の10月2日付沖縄タイムスの社会面トップは、新知事である玉城デニー氏が翁長氏の霊前に手を合わせる写真でした。さらに翁長氏の「亡霊」がいまだに成仏できないかのように、樹子夫人の写真と、次のような見出しで紙面を埋めていました。
 
 「翁長さんの志に共鳴/デニーさんなら継いでくれる」
 
 デニー氏が圧勝した翌日、安倍首相は選挙結果の感想を問われ、「結果は政府として真摯(しんし)に受け止め、今後、沖縄の振興、そして基地負担の軽減に努めていく」と敗者として極めて真っ当なコメントを述べました。
 
その際、「改めて翁長知事のご冥福をお祈りしたい」と付け加えるの忘れてはいませんでした。
 
翁長氏の成仏できない「亡霊」が知事就任後の玉城氏の周辺に彷徨い出ることを恐れて、改めて「冥福を祈った」のでしょうか。
 
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