パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

白服の次は 人民解放軍が香港に乗り込む、日本はいかに支那共産党と向き合うか?


2008年のチベットと同じ
チベット仏教の坊さんの格好をした 警察官がラサの市街地で 投石、放火、商店を壊した。
今回の 白服も 公安警察とやくざが引き起こした猿芝居!!!!????
次は 主役の 人民解放軍の出番である。
さあ 日本人よ 我々の力が試されているのだよ!!




住宅街でもデモ、

白シャツ集団が警察と談笑、

香港最後の正念場へ

Hong Kong’s Endgame
2019年7月29日(月)11時55分
陳婉容(ジャーナリスト)
元朗駅で襲撃事件を起こした後、たむろする白シャツ集団(7月22日) TYRONE SIU-REUTERS
<1本の法案に反対するデモ活動が香港政府そのものに対する抗議に拡大。エンドゲーム(終盤)は新たな局面に移った>
近代的な地下鉄駅の改札を、続々と突破していく白いTシャツ姿の男たち。手には傘ほどの長さの棒を持ち、目に付いた人たちに片っ端から襲い掛かる。コンコースに響く怒号と悲鳴。さらに男たちはホームに降り、到着した電車にも乗り込んで人々をメッタ打ちに──。
香港に逃げ込んだ犯罪容疑者の身柄を中国に引き渡すことを定めた「逃亡犯条例改正案」が、香港市民の猛烈な反発を招き、大規模なデモにつながったのは6月のこと。その結果、香港特別行政区の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、改正案の審議停止を発表し、事態は収束に向かうかに思われた。
だが、市民の抗議行動は終わらなかった。それどころか、この数週間で運動は一段と複雑さを増している。理由の1つは、林鄭が改正案は「死んだ」と言いつつ、完全な廃案にはしていないこと。つまり、まだ復活させる可能性があることだ。
もう1つの理由は、6月のデモ鎮圧に当たり、香港警察が平和的なデモ隊に向かって、ゴム弾や催涙弾を発射したり、丸腰の市民を数人の警官が取り囲み警棒でたたいたりするなど、行き過ぎた暴力を使ったことに対して不満が噴き出したことだ。
しかも警察の暴力は、エスカレートする一方に見える。7月14日には、香港で最大級のベッドタウンである沙田でデモ行進が行われた後、重武装した警察がショッピングモールに突入。デモに参加した人たちと衝突して流血沙汰になった。
7月21日夜に地下鉄・元朗駅で起きた白シャツ集団による襲撃事件は、こうした混乱に新たに複雑な側面を加えた。襲撃犯は香港の犯罪ネットワーク「三合会」のメンバーとされ、この日、別の場所でデモに参加した人たちが帰ってきたところをターゲットにしたようだ。
警察が駆け付けたのは、白シャツ集団が立ち去った後のこと。しかも事件後、香港警察高官が襲撃犯の1人らしき人物と談笑し、「何も心配することはない」と話している映像や、香港立法会(議会)の親中派議員・何君尭(ユニウス・ホー ※)が、白シャツ集団と握手をしていたという目撃情報が広まった。
その背景には、親中派政治家と警察の不審なつながりがある。林鄭は、6月のデモ鎮圧方法について独立調査委員会の設置を求める声に対して、「警察を裏切ることは決してない」と宣言。さらに、いつまでたっても収束しないデモと支持率の急落、そして自らの行政手腕を疑う声に焦った彼女は、警察にすがって香港政府の権威を立て直そうとしたらしい。
※何君尭の英語名を誤って記載していたので訂正しました(2019年7月29日19:30)。
だが、その戦略は完全に裏目に出た。厳しい弾圧はデモ隊の意思をくじくことはなかったし、政府が逃亡犯条例改正案の棚上げで市民から得たわずかな信頼までもぶち壊してしまった。

ベッドタウンにも広がる

デモ隊は逃亡犯条例改正案の反対運動を、香港の「エンドゲーム(終盤)」と位置付けてきた。2014年の雨傘運動の目的は普通選挙権の獲得だったが、今回の抗議行動には、もっと緊急かつ切実な必要性があった。改正案が可決されれば、中国政府に目を付けられた香港市民が、中国本土に事実上拉致される恐れがある。つまり改正案の可決は、自分たちの運命に直結する重大な問題だったのだ。
だが、そのデモに目立ったリーダーが存在しなかったことは、イデオロギー色の薄い自然発生的な抗議運動として、高齢者を含む幅広い支持者を集める助けになった(一般に高齢者は体制に味方することが多い)。
もちろんデモ参加者が顔を隠しているのは、当局の報復を恐れてのことだが、皮肉にもこの「顔の見えない」側面が、今回のデモが雨傘運動より幅広い支持を集める一因になった。
さらにこの運動は、地理的にも広く拡散し始めた。通常、香港の抗議行動の舞台になるのは、行政機関が集中する香港島の中心部だが、逃亡犯条例改正案に反対する運動は郊外にも広がり、運動全体の「寿命」を延ばす効果をもたらした。
沙田や元朗はベッドタウンとして開発された地区であり、中心部よりも自己充足的で、住民のコミュニティー意識が強い。このような基本的に政治と無縁だった地区でもデモが開かれるようになったことで、運動には新たな命が吹き込まれた。
一方、香港政府は、初期の対応を誤ったために、反対派と和解するチャンスを逃してしまった。今回の抗議行動もいずれは収束するだろうが、林鄭が香港統治に必要な求心力を取り戻すことはないだろう。

逃した和解のチャンス

もちろん今回の騒乱の背景には、香港が抱える構造的な問題がある。1997年にイギリスから中国に返還されて以来、中国は年々香港への直接介入を強めてきた。当初は一国二制度が約束されたが、香港市民の政治的自由は着実に奪い取られてきた。
この締め付けは雨傘運動後、一段と厳しくなった。運動の指導者たちは訴追され、立法会では民主派議員が議員資格を剝奪されたり、立候補そのものが認められないケースが相次いだ。このため市民は香港の行政と司法に対する信頼を完全に失ってしまった。今回200万人がデモに参加したとされるのは、政府に任せておいたら何が起きるか分からないという危機感が市民の間に募っていたためだ。
2017年に行政長官に就任した親中派の林鄭は、この2年間に一般市民に不人気の法律や、巨額のインフラ整備計画を強引に実現させてきた。立法会は親中派過半数を握っているから、さほど難しいことではない。
こうした林鄭のゴリ押し的なやり方は、雨傘運動後の中国政府の締め付け強化を反映している。返還から20年がたったとはいえ、香港は今も情報の自由な流れを享受し、普遍的な価値観を持つ比較的オープンな街だ。権威主義的な色合いを強める中国政府式のやり方がすんなり通用するはずがなく、衝突は避けられなかったように見える。
それでも、現在の香港の混乱を語るに当たって強調しておきたいのは、林鄭率いる香港政府の対応のまずさだ。
林鄭の政府は、事態がエスカレートする前に逃亡犯条例改正案を取り下げるチャンスを逃した。さらに、警察が行き過ぎた手法を使ってデモを鎮圧したことに、見て見ぬふりをした。6月9日に最初の大規模な平和的デモが起きた直後に改正案を取り下げていれば、現在までの騒乱の大部分は回避することができただろう。
香港政府は、逃亡犯条例改正案の撤回という一点だけを求める平和的な抗議行動が中国の傀儡政権の打倒を目指す「聖戦」に変わるのを助けてしまった。この危機は林鄭らが自ら生み出したものであり、自ら決着をつけるべきだ。だが中国国防省は7月24日、香港政府の要請があれば現地に駐留する中国軍の出動もあり得ると表明した。
香港のエンドゲームは正念場を迎えている。
<2019年8月





香港国際空港で怒れる市民たち、誰に何を訴えたのか

2019年7月29日(月)12時05分
ニューズウィーク日本版編集部
EDGAR SU-REUTERS
逃亡犯条例改正案をめぐり長期にわたりデモが続く香港。この日多くの市民が集まったのは繁華街、ではなく香港国際空港だ。
政府とのつながりが指摘される集団が7月21日にデモ隊を襲撃した事件を受け、空の玄関口で空港職員などが外国人らに圧政を訴えた。混迷が続く香港の出口は見えない。

香港国際空港での抗議活動 CNA-YouTube

<2019年8月6日号掲載>