パルデンの会

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知られざるチベット族のキリスト教徒  栗田哲男写真展「チベット、十字架に祈る」 キヤノンギャラリー銀座 10月29日~11月4日

中国の秘境の村に暮らす 知られざるチベット族キリスト教

 

dot.asahi.com より引用

 
 
 
クリスマスでケーキを囲む。サンタクロースもやってくる(撮影:栗田哲男)

クリスマスでケーキを囲む。サンタクロースもやってくる(撮影:栗田哲男)

写真家・栗田哲男さんの作品展「チベット、十字架に祈る」が10月29日から東京・銀座のキヤノンギャラリー銀座で開催される(大阪は12月3日~12月9日)。栗田さんに話を聞いた。

【写真】作品の続きはこちら

チベット、十字架に祈る」。この不思議なタイトルに心引かれた。チベットと十字架がつながらないのだ。(十字架っていうことはキリスト教徒だよな。しかも、あのチベットで)と思ってしまう。

 時折「チベット問題」という言葉をニュースで耳にする。チベット族と中国政府との対立があり、たびたび緊張が高まるのだが、そのたびに注目されるのがインドに脱出し、亡命政府を樹立したチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世である。

 つまり、チベット族にとって、チベット仏教は切り離すことのできないアイデンティティーであると思っていたので、面食らってしまったのだ。

 そもそもチベット族は中国の少数民族のひとつなのだが、そのなかのキリスト教徒となると、彼らは相当なマイノリティーということになる。いったい、どんな人々なのだろう。作品を撮影した栗田さんが興味を引かれたのもやはり、その点だという。
教会で行われるミサ。厳粛な空気はどこの国でも同じだ(撮影:栗田哲男)

教会で行われるミサ。厳粛な空気はどこの国でも同じだ(撮影:栗田哲男)

メコン川上流の深い谷底にある村。住民のほとんどはキリスト教

 中国のチベット族の居住地域はチベット自治区のほか、青海、甘粛、四川、雲南各省にある。今回の作品の舞台となったのはチベット自治区に接する中国南部、雲南省の迪慶(デチェン)チベット族自治州。氷河を抱く6千メートル級の梅里雪山がそびえ、金沙江(長江上流部)と瀾滄江(メコン川上流部)が深い谷を刻む、世界自然遺産三江併流」としても知られる場所だ。

 茨中天主教堂のある茨中村は、梅里雪山の南30キロほどの瀾滄江沿いにある人口1300人ほどの集落。なんと、その7、8割がカトリックキリスト教徒という。中国の秘境にある、隠れキリシタン村といった印象だ。

 19世紀半ばに派遣されたフランス人宣教師が、この一帯へ布教にやってきたことが始まりといわれ、1867年に教会が建てられた(現在とは別の場所)。しかし、1905年にキリスト教の排斥運動で焼き撃ちに合い、破壊されてしまう。その4年後、茨中村で再建が始まり、21年に完成したのが現在の茨中天主教堂である。

 中国式の石造りの建物で、写真をよく見るとてっぺんに十字架がちょこんとあり、教会であることがわかる。でもやはり、ちょっと雰囲気が違う。栗田さんに聞くと、「チベット族とナシ族のほか、いくつかの様式を組合せた、という話です」。栗田さんが初めてこの地に足を踏み入れたのは2007年。「もともとは旅行で行ったんですけれど、現地の人に教会があって、キリスト教徒が住んでいると聞いて、そんなのがあるんだ、と思って訪ねてみたんです」。

 ちなみに、栗田さんは写真家になる前は自動車部品メーカーに勤め、海外駐在員として中国に17年間滞在し、現地法人社長も務めた。会話はネイティブ並みに堪能という。

「今ではたまに旅行でこの教会を訪れる人もいるんですけれど、基本的にはミサなどはなかなか見られない。というか、『撮影お断り』とか書いてあって、観光で行くとけっこう嫌がられるんです。神父さんにお会いして、宗教に対するリスペクトや、いろいろ学びたいという気持ちをきちんとお伝えしたうえで、撮影をお願いして、許可をいただきました」

 教会の中、ミサの様子を写した作品を見ると、床には赤いカーペットが敷かれ、青い装飾を施したアーチが並ぶような柱が祭壇へと続いている。その両側には長椅子が置かれ、人々が神父の声に耳を傾けている。厳粛な雰囲気はどこの国の教会でも変わらないものだな、と思う。男性が昔の人民服をイメージさせる黒っぽい色の服装をしているのとは対照的に、女性は原色系のカラフルな帽子をかぶっているのが面白い。

チベットの習慣とクリスマスが一緒になっている

 別の作品では信者の一人がごつごつした木の根のような手のひらを合わせ、一心に祈っている。その真剣さが伝わってくる。「農作業での厳しい生活。それを表したくて、手に焦点を合わせたんです」。

 クリスマスの様子を写した作品もある。こちらはいかにも楽しそうだ。テーブルの上にはケーキのほか、リンゴやザクロが並んでいる。画面からはカメラの存在が感じられず、栗田さんがこの場に完全に溶け込んでいることがうかがえる。

「クリスマスミサが終わった後にみんなでご飯を食べてケーキを食べて、それから輪になって歌って踊るんです。輪になって踊るのはチベットではよく見られる風景で、その習慣とクリスマスがいっしょになっている。実はここには仏教徒の人も混じっているんです。本当に仲よく、宗教の違いは関係なく、いっしょにクリスマスを楽しんでいる。そういうところも面白くて」

 さらに、こんな話も聞かせてくれた。

仏教徒が亡くなったときは、仏教徒がお葬式のお経をあげるんですけど、キリスト教徒が集まった人のためにご飯をつくるそうです。その逆も同じ。葬式は特に宗教的な意味合いが大きいですけれど協力している。協調を保って暮らしていることがよくわかるエピソードです」ミサ用につくり始めたワインが村いちばんの収入源に

 作品を一巡して教会の外観を写した写真に戻ると、手前に何やら畑が広がっているのが目にとまる。

「実はこれ、ブドウ畑なんですね。ミサをするのにワインが必要なので、ブドウの種をフランスから持ってきたんです。それでブドウの植え方とワインの作り方を地元の人に教えた」

 それは100年以上も前の話なのだが、今ではなんと、このブドウでつくったワインが村いちばんの収入源になっているという。降水量が少なく、昼夜の温度差が大きいため、ワインの産地として適しているらしい。

 しかも、「このローズハニーという品種は、もうフランスでは絶滅してしまったもので、ここだけしか残っていない」。そのため、珍品として海外のワイン愛好家にも知られるようになった。ちなみに、どんな味なのか、聞くと、「けっこう原始的で面白い」。

 そのブドウの種を携え、この地に分け入ったフランス人神父の墓が教会の裏に残されている。十字架の立つ、石をアーチ形に組んでつくった墓は風化し、歴史を感じさせるものの、きれいなかたちを保っている。長い間、多くの人々によって守られてきたことを感じさせる。

 中国の宗教にからむ話を聞くと、どうしてもあの文化大革命(※)の時代を思い浮かべてしまうのだが、その間、この教会は小学校として使われ、破壊を免れたという。84年に教会は再開し、いまでは文化財にも指定され、この地の人々の心のよりどころとなっている。

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】栗田哲男写真展「チベット、十字架に祈る」
キヤノンギャラリー銀座 10月29日~11月4日
キヤノンギャラリー大阪 12月3日~9日

文化大革命は1966年、中国共産党内の路線対立を背景に、毛沢東主席が階級闘争の継続などを訴え、大衆を動員して始めた政治運動。毛を崇拝する青少年らは「紅衛兵」となり、「造反有理」のスローガンの下でさまざまな機関の幹部や文化人らを弾圧。多くの宗教施設も破壊した。