三途の川、花畑、トンネルをくぐる… 「臨死体験」をしているとき、脳の中では何が起こっているのか?
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臨死体験や体外離脱、憑依などこれまでは心霊現象か虚言だと思われてきたことが、神経科学的に解明が進んでいることを紹介した駒ヶ嶺朋子『死の医学』(集英社インターナショナル)が刊行された。脳神経内科医で現代詩の書き手でもある著者に、臨死体験のさいにいったい脳の中で何が起こっているのかを訊いた。 【写真】医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50
臨死体験とケタミン、LSD体験は似ている
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――臨死体験の神経科学的な探究はどういう流れで進んできたのでしょうか。 駒ヶ嶺 バージニア大学のブルース・グレイソンが1983年に発表した"The Near-Death Experience Scale"という論文が大規模な科学的検討の始まりです。臨死体験では主に「認知」「感情」「超常現象」「超越」に関する4つの経験が起こります。「認知」というのはたとえばふだんより思考速度が速くなる、「感情」では宇宙との一体感に包まれる、「超常現象」は体外離脱体験、「超越」というのは亡くなった人や宗教的な人物と出会ったり、お花畑や川が見えてしまう、といったものです。臨死体験で起きる4つのなかでは体外離脱体験がもっとも多い。 「一度超えると引き返せない場所を越えずに戻ってくる」ということ、トンネルを通るという体験はどんな文化でも共通して語られたり、描かれたりしています――もっとも、こうした内容は特定の宗教教義とは合わないと言われており、臨死体験の報告率はアメリカでは15%、ドイツだと4%と教義や国・地域にとって割合は変わりますが。 やはりグレイソン先生が著者に入っている2019年の論文では、この4種類の経験を誘発する薬剤(向精神薬)を調べていくと、もっとも近いのはNMDA受容体拮抗薬であるケタミンだと書かれています。ほかはLSDやMDMA、シロシビンといった幻覚物質も近く、逆に遠いのは統合失調症やうつ病の薬でした。ケタミン体験と臨死体験の際に語られる言葉を比較しても似ています。つまり、臨死体験はNMDA受容体の拮抗作用で起きているのではないか、と。 ――NMDA受容体は、どういう役割があるのでしょう。 駒ヶ嶺 海馬での記憶を定着させるための受容体であることがわかっています。1950年代から麻酔薬、鎮痛薬として使われてきたケタミン、PCPはNMDA受容体の働きを人為的に下げる拮抗薬です。ただ、ケタミンやPCPは実験モデルでマウスを統合失調症状態にするときにも使われています。つまりNMDA受容体の作用を落とすことは、統合失調症と類似の状態を作り出すと言われています。 ――それと体外離脱体験をしているときの脳の働きが似ている、と。興味深いですね。 駒ヶ嶺 脳細胞が死ぬときにはグルタミン酸が出てアポトーシスが起こる――簡単に言うと「もう死んじゃおう」という状態になります。そうすると反対にグルタミン酸の受け手であるNMDA受容体では機能が低下する攻防が起き、ドーパミンなどが一気に放出されて痛みを感じなくなり、幸せな幻覚を見ながら自分が自分の身体から離れて地球とつながっているような感覚に包まれたりする。 死ぬ間際に皆がこうした体外離脱と共通の状態になるということは、それに何かしら進化的な利点があるはずだと考えられます。たとえばトカゲに狙われる昆虫は擬死、全身の機能を停止させて死んだふりすることで生き延びますが。臨死体験ではこの生物学的な擬死のときに使われる機能を本当に死んでしまうときにも自分を守るために使っているのではないか、という説が2020年に唱えられています。というのも、動物の擬死においても、やはりNMDA受容体の拮抗薬を用いたのと同じ状態が確認されているからです。 統合失調症は強いストレスで発症しやすいと言われていますが、擬死と同じく脳が生命を守るためにNMDA受容体の機能を落とした状態になっているとも考えられます。
脳の特定の部位を刺激すると体外離脱体験が起きる
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駒ヶ嶺 ほかにも状況証拠が固められていまして、体外離脱体験は脳の側頭頭頂接合部という部位を刺激すると人為的に起こせることが2002年に科学誌「Nature」で報告されて以来、複数の学者や医者から同様の事例が報告されています。体外離脱体験は発言者のウソや思い込みではないと証明された。 体外離脱体験をどのくらいの頻度で人々が体験しているかに関する学術的なデータはないのですが、オカルト/超科学分野では10人に1人体験しているというアンケート調査があります。ところが私が勤める医局の人間20人に訊いたら5人もいた(笑)。 もしかすると数人にひとりレベルのよくある自然現象なのかもしれません。金縛りに関しても若い人に体験者は多く、大学生に訊くと2人に1人ほどいます。「浮かんでいるような感じがする」といった運動幻覚は金縛り体験常連さんに多く、人影が見えるというケースは金縛り体験がまれな方に起きやすいとされています。ちなみに臨死体験よりも金縛りのあいだに体外離脱体験が起きる方が多そうですね。 ――そう考えると体外離脱は意外と身近なものなんですね。 駒ヶ嶺 VRを使うと簡単に引き起こすことができてしまいます。たとえば2011年の論文では、あらかじめ被験者の背中を機械でくすぐる動画を撮ったうえで被験者にfMRIに入ってもらい、背中をくすぐりながらモニタから自分の背中の動画を見せると体外離脱体験が起こる。外から見ているような錯覚を起こしてしまうと報告されています。fMRIではこのときも側頭頭頂接合部の活動が関係していました。 しかし、そうやって自分の身体から出てしまうと、自分がどう生きてきたのかも忘れてしまう、と書いている論文もあります。VRゴーグルをかけた人に、その人がいる場所よりもやや上から撮影した映像を見せながら「今までどんな風に生きてきましたか」とインタビューすると自分史を思い出せなくなる。人為的に解離症を作り出せてしまう、と。 ということは、商業施設にあるVR装置でも臨死体験を経験するようなものを作ろうと思えばできる。でも面白半分にやっていいものではないと私は考えます。 というのも、VRの体外離脱体験であっても死への恐怖が減ったという論文が2017年に出ています。さらにはやはりグレイソンが臨死体験の経験者は宗教的になり、まじめになって環境問題に目覚めたり、宗教的な大きな力で守られているような感覚に包まれる傾向にあるという報告もしています。 解離症では催眠にかかりやすいという特徴があり、そういうものが普及すると簡単に人の人生観が変わってしまう懸念があります。自暴自棄になったり、人の命令を受け入れてしまうといった洗脳への利用が危惧される。
臨死体験者やドラッグ体験者がスピリチュアルやエコロジーに覚醒するのはなぜか
――ドラッグ体験をした人がよくスピリチュアルに目覚めるように、臨死体験をした学者もそうなってしまうそうですね。 駒ヶ嶺 そうなんです。ハーバードの脳外科の准教授のようにものすごく科学的な訓練を積んだ人間ですら、臨死体験後に書いたものを読むとNMDA受容体機能などに関するデータを羅列したあとで「この体験が脳の生理学的な機能によるもののはずがない。神が私を守ってくれたのだ」と言う。主観的にはそちらのほうが幸せなのだとは思いますが。 ――脳の側頭葉のあたりに自己の心と他者の心を区別する機能があるようだけれども体外離脱体験では「私自身」から自由になってしまう、と本にありました。そういう感覚が自他未分というか「すべてがつながっている」と感じてエコロジーにめざめたりすることにつながっているのかな、とも思いました。 駒ヶ嶺 極端なことを言えば、VRで4分くらい体外離脱体験をさせたら地球との一体感を抱いてみんなが禅やガイア仮説を悟っていたアメリカの詩人ゲーリー・スナイダーみたいになるかもしれないし、環境活動家みたいになるかもしれないわけです。今はまだ「VRで体外離脱体験をさせるな」という規制もないでしょうが、仮説の先の懸念に一人で心配しています。 ――臨死体験と脳が同じ状態になるというケタミンやLSDが一部で鬱病治療などに用いられ始めているという話がアメリカでベストセラーになったマイケル・ポーラン『幻覚剤は役に立つのか』にありましたが、ここまでの話を聞くと、やはり「大丈夫なのかな?」という疑問が少し強くなりました。 駒ヶ嶺 ここ数年トップクラスの医学雑誌でも幻覚剤の鬱治療可能性に関する論文が急速に増えています。現状の鬱病の治療薬は効くまでに3か月はかかる一方で、幻覚剤は即効性をもって痛み、苦しみを軽減できる可能性はあります。 ただしケタミンは先ほども言ったとおり統合失調症のモデルマウスづくりに使われているような、自分のことを忘れてしまうくらい強いものです。鬱病が治療できたとしても社会生活ができるような治療かというと、また社会から離れてしまう可能性もある。幻覚剤による治療にはまだまだ改良が必要だろうと個人的には思っています。 それよりは、ナチュラルにNMDA受容体の作用を下げる方法を役立てた方がいいのではないかと。 ――というと? 駒ヶ嶺 たとえば瞑想をしたり、演劇やダンスに熱中したりするのは解離症に似ていることがわかっています。プロの役者やダンサーは「演技中のことをまったく覚えていない」とか「まわりがスローモーションになって自分だけが速くなったような感覚になる」としばしば言いますが、あれはNMDA受容体機能を落として解離を起こしているのだと考えられます。 私は詩人なのですが、実は詩を書いているあいだのことは覚えていませんし、同様のことを言う詩人はけっこういます。ですから極度の没頭、憑依状態になることは技法として身に付けるのが可能かもしれず、それは精神疾患の治療などに役立てられるかもしれない。 もちろん演技やダンス、執筆などに入り込んでなかなか現実に戻ってこられなくなったり、意識が飛んで倒れてしまったりする方もいますから、健全な社会生活を送るためには、ずっとNMDA受容体の活動を落としているわけにはいきません。ただケミカルにではなくナチュラルに臨死体験、体外離脱体験のときに近いような脳に良い状態を作る手法の探究もアリなのではないか、と個人的には思っています。
飯田 一史(ライター)