四川省カンゼ・チベット族自治州 瀘定県
地理[編集]
長江水系の大きな支流である大渡河の中流が県を北から南へ貫き、その他大渡河の支流の多くが流れる。チャクサム県はチベット高原から四川盆地へと地形が遷る途中にあるが、非常に山がちで大雪山脈などの高い山脈も貫いている。最高峰は県中心の60kmほど南にある大雪山脈の主峰ミニヤコンカ(貢嘎山、標高7,556m)。川沿いは深い峡谷になっており、町や集落はその中に集中する。
民族[編集]
チャクサムの総人口は8万人ほどであるが、民族構成では漢族が85%を占める。次いでチベット族、彝族など。
四川省瀘定県でM6・8の地震
新華社 | 2022-09-05 16:23:25
中国でM6・8地震 四川省で交通、電力、通信が不通
中国国営通信の新華社などによると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州瀘定県で5日午後0時52分(日本時間同1時52分)、マグニチュード(M)6・8の地震が起き、46人が死亡、50人余りが負傷した。16人が行方不明となっている。震源の深さは16キロ。直後に隣接する同省雅安市でも地震が相次ぎ発生。一部地域で交通、電力、通信が不通になっているという。
瀘定県の震源地周辺は多くの村落があり、住民が強い揺れを感じた。習近平国家主席は救援活動に全力で取り組み、被害を最小限にとどめるよう軍などに指示。李克強首相も交通など重要インフラ設備の早期復旧を救援隊に求めた。
一部で山崩れにより道路が寸断され、家屋が損壊した。当局は消防隊員や軍人らを派遣、救助作業を続けている。
四川省では2008年に8万7千人超の死者・行方不明者を出したM8・0の四川大地震が起きた。(共同)
カンゼ・チベット族自治州の地
四川大地震
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2008年四川地震 | |
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地震により被災した建物
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地震の震央の位置を示した地図
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本震 | |
発生日 | 2008年5月12日 |
発生時刻 | 14時28分1秒(CST) 6時28分1秒(UTC) |
震央 | 中国 四川省 アバ・チベット族チャン族自治州 汶川県 北緯31度01分5秒 東経103度36分5秒(北緯31度01分5秒 東経103度36分5秒) |
震源の深さ | 19 km |
規模 | [1][2] Mw 7.9 , Ms8.0 |
最大震度 | メルカリ震度階級XI:四川省汶川県映秀鎮 彭州市銀廠溝 什邡市紅白鎮 安県高川郷 北川県曲山鎮 平武県南壩鎮1 |
津波 | なし |
地震の種類 | 内陸地殻内地震 右横ずれ成分含む逆断層型 |
余震 | |
最大余震 | 2008年5月13日 15:07(CST)、M6.12 |
被害 | |
被害地域 | 四川省を中心とする中国内陸部 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
2008年四川地震(しせんおおじしん、しせんだいじしん)は、中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間(CST)2008年5月12日14時28分(UTC6時28分)に発生した地震のことである。
中国地震局は「汶川地震(ウェンチュアンディジェン、ぶんせんじしん、拼音: )」という名称を基本として、広域名の四川省や地震規模を組み合わせた「四川汶川8.0級地震」とも呼び、中国国内の報道などでは歴史的事件の名称でよく用いられるような発生日に基づいた「512大地震」とも呼んでいる。
地震活動の詳細[編集]
地震のメカニズム[編集]
この地震は、四川盆地の北西端にあって北東から南西の方向に走る衝上断層(断層面が水平に近い逆断層)が動いた結果として起こったとみられている。この断層は龍門山脈の下を走る龍門山断層(ロンメンシャン断層、龍門山衝上断層帯、Longmenshan Thrust Zone)と呼ばれる長さ約300kmの断層帯の一部だとみられている。
地震が発生したこの付近は、標高5,000m級の山が連なるチベット高原から標高500m前後の四川盆地へと急激に標高が低くなる地帯であった。このような急な地形が形成された要因であり、この地震の要因でもあるのがこの付近で活発な地質活動(隆起、沈降、地震といった大地の動きの総称)である。
インド亜大陸などが乗ったインドプレートは1年間に数cmというスピードで北に動いていて、中国をはじめとしたユーラシア大陸の大部分が乗ったユーラシアプレートを強く圧迫している。数千万年前から続くこの動きによってもともとあった山塊や付加体が隆起して、ヒマラヤ山脈やチベット高原といった高地ができた。このプレートの動きは現在も続いており、ヒマラヤ山脈やチベット高原は強い圧迫の影響を受け続けている。この影響はチベット高原の北部では北方向への圧縮、同高原の東部では東方向への圧縮となり、四川盆地の西側でも東方向へ地殻が圧縮されている。また、GPS測地によって新たに考案されたプレート区分においても四川盆地の西側は南方向に動くユーラシアプレートと南西方向に動く揚子江プレートの境界部分に当たる。四川盆地の西の縁は、何らかの理由によりその圧縮の力が集中していると考えられている。
このような条件の下で四川盆地西縁には活構造ができ、地形も急になった。四川盆地西縁の活構造は康定断層帯(鮮水河―小江断層帯。厳密には、四川盆地西縁の活構造に属するのは断層帯の南東側半分のみ)や龍門山断層帯といった多数の断層を有している。また、龍門山断層帯は構造地質学上、アルプス・ヒマラヤ造山帯と揚子江卓状地(シナ地塊の一部)の境界部分に位置している。この地域は寧夏回族自治区・甘粛省東部・四川省西部・雲南省に連なる「南北地震帯」の中にあり、古くから地震の多い地帯ということが知られていた。
1933年8月25日には今回の地震の震源から北北東に約110km離れた地点(茂県畳渓鎮)を震源とするM7.5の地震(茂県地震)が発生、1958年2月8日には北川県でM6.2の地震(北川地震)、1960年11月9日には松潘県でM6.8の地震(松潘地震)、1970年2月24日には大邑県でM6.2の地震(大邑地震)、1976年8月16日・23日にはM7.2の地震が2回(松潘・平武地震)発生するなど、龍門山断層帯の周辺で発生したものと見られる地震は20世紀だけでも多数ある。また、龍門山断層帯にYの字型に接している康定断層帯でも同じように地震がたびたび起きている。ただし、龍門山断層帯の周辺で発生した地震はいずれも龍門山断層帯で発生したものではなかった。ある研究では平均変位速度は1mm/1年以下と非常に動きが遅く1千万年前以降はほとんど活動していないとされており、かなりの長期間に渡って静穏期に入っていたと見られている。今回の地震は、この静穏期の終わりを告げるものであり、従来の地質学では「古い断層」「活動していない断層」とされている龍門山断層帯で地震が発生したことは衝撃を与えた[3][4][5][6][7]。