パルデンの会

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チベットのラサにあるポタラ宮を模して1770年に建てられた「小布達拉宮(小ポタラ宮)」北京の約250キロ北東の河北省承徳市

記者の入域制限の中国・チベット自治区…河北省に残る「小ポタラ宮」に見る同化政策への違和感

 西日本新聞

記者コラム「特派員オンライン」

 【北京・坂本信博】北京特派員として赴任して3年。中国の全31省・自治区直轄市で未踏の地はチベット自治区だけになった。海外メディアの記者の入域が厳しく制限される現地を訪れ、チベット仏教の指導者ダライ・ラマの宮殿だったラサのポタラ宮や人々の暮らしを取材したいと念願してきた。が、先日も自治区政府の窓口から「政府の招待がなければ入域は認めない」と回答が来た。 【写真】中国語(漢語)、満州語、チベット語、モンゴル語が併記された扁額  帰任が今夏に迫る中、せめてもとの思いで、北京の約250キロ北東の河北省承徳市にある「小布達拉宮(小ポタラ宮)」に行ってきた。清王朝時代の歴代皇帝の避暑地だった承徳に1770年、乾隆帝が母親の80歳と自身の60歳を祝賀して高さ117メートルのポタラ宮を模して造ったもの。「小」とはいえど、高さ43メートルの壮大な建物だった。  興味深かったのは乾隆帝の手による扁額(へんがく)に中国語(漢語)、満州語チベット語モンゴル語併記されていたこと。清王朝最盛期の皇帝も少数民族の懐柔に腐心していたのだ。「現代の皇帝」とも呼ばれる習近平国家主席少数民族の言語教育や宗教を統制し、漢族同化政策を進めることへの違和感を歴史的建造物が教えてくれる。

西日本新聞