日本人の足跡
能海寛、経典入手も旅を続行 心を駆り立てた使命感
有料プラン記事
100年前のチベット巡礼①
※2001年2月25日 産経新聞掲載。敬称略
「到着だけが目的ではない」
大地をはう、虫のようだった。
「オンマニペーメフーム」
お経を唱えながら進む「五体投地」(キャンチャ)の巡礼者。胸の前で合掌し、その手を頭の上、口、胸に当て、両手両ひざを地面に付け、うつぶせになる。
100年前のチベット巡礼③
※2001年2月27日 産経新聞掲載。敬称略
死をも厭わずに西へ
1899年10月時点の2人の位置を確認しよう。
能海寛はダライ・ラマの直轄地、中国・四川省のパタン。河口慧海はカトマンズから白馬で約3カ月のヒマラヤ山中・ツァーラン村である。2人とも、ラサを視野にとらえる直前での足踏みであった。
さて、能海。パタンの関所で官吏に「引き返せ」と言われ、国境の街ダルツェンドに21日間かけて戻った。そして7カ月後、再び、青海省の省都西寧(シーニン)に向かった。同行の寺本婉雅はこれより前、重慶経由で帰国の途についていた。