中国でのビジネスがハイリスクという事を理解できない日本人、すでに欧米人は中国から撤退した。 リスクは個人個人が責任を持たなければならない、政府は説明責任!
通州事件(つうしゅうじけん)は、1937年(昭和12年)7月29日に、中華民国河北省通県(現・北京市通州区北部)において、冀東防共自治政府の中国人保安隊が、日本軍の通州守備隊と通州特務機関および日本人・朝鮮人居留民を襲撃し、200人以上虐殺した事件[5][6]。通州虐殺事件とも呼ばれる[7]。
通州は北平(現・北京市)の東約30kmにあった通県(現・北京市通州区北部)の中心都市で[8]、日本が政治目的のために北支五省で行った華北分離工作の結果、殷汝耕により南京政府から離脱して設立された冀東防共自治政府が置かれていた[9][1]。
当時、通州を守備していた日本軍の主力は出動中であり、通州には戦闘能力の乏しい小部隊しか残っていなかった。日本軍は、通州の守備にあたる冀東防共自治政府保安隊を友軍と認識しており、襲撃は予想外の出来事であった[8]
◆日本人学校の前で「中国人は入れない」とわめき立て
日本人学校登校中に刺された10歳男児が死亡 中国・深圳
香港/東京(CNN) 中国南部・深圳の日本人学校に通う10歳の男の子が18日、登校中に刃物で刺され、翌日死亡した。外務省が明らかにした。日本人学校のそばで刃物による襲撃事件が起きるのは、直近の数カ月で2度目。
中国外務省によると、男の子は日本人学校の校門から約200メートルの地点で男に襲われた。深圳はハイテク部門の中心都市で日本企業も数多く進出している。
深圳警察は声明を出し、容疑者の44歳の男を現場で逮捕したと述べた。
上川陽子外相は19日、記者団に対し「登校中の児童に対して卑劣な行為が行われたのは誠に遺憾だ」と明言。事件を深刻に受け止め、中国側には邦人の安全確保を改めて要請したと述べた。
襲撃が発生した9月18日は、1931年に満州事変が起きた日付と一致する。当時中国東北部の鉄道線路を日本の関東軍が爆破。これを口実に日本は当該地域への侵攻を開始したとされる。
中国では国営メディアや当局者らが国民に対し、屈辱の日としてこの日を忘れないよう呼び掛けている。
襲撃の動機について、中国当局による言及はないが、民族主義や外国人嫌悪、反日感情は中国国内で高まっており、しばしば国営メディアがこれに拍車をかける事態となっている。
6月には東部の江蘇省蘇州市で、日本人学校の近くにあるバス停でスクールバスを出迎えようとしていた日本人の母子が、男に刃物で刺されて負傷した。この時中国人のバス添乗員1人が襲撃を止めようとして負傷。後にその傷が原因で死亡した。
この事件の後、日本の外務省は現地の日本人学校に対し、安全対策を検証するよう通告していた。上川氏が明らかにした。
18日の定例会見で、中国外務省の報道官は、男の子への襲撃について捜査中だと発表。「中国は引き続き効果的な対策を講じて、国内のあらゆる外国人の安全を守る」と述べていた。