パルデンの会

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国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏《1995年~99年の在インド日本大使館勤務時代、インドに亡命中だったチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世を訪ねた》

ダライ・ラマに面会 「仏教とは何か?」と尋ねると「あれは、数学」…奇想天外さに戸惑う

国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(19)

 
 
ダライ・ラマ14世=平成30年11月、国会内(寺河内美奈撮影)
 

 公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。

インド北東部アルナチャルプラデシュ州タワンの競技場で、ダライ・ラマ14世の講話を聞くチベット人ら(岩田智雄撮影)

とっておきの質問ぶつける

《1995年~99年の在インド日本大使館勤務時代、インドに亡命中だったチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世を訪ねた》

 日本から数人の国会議員がインドを訪問し、ダライ・ラマ法王に会う約束を取り付けたため、私も同行したわけです。

 法王は24歳だった59年、中国政府の迫害から逃れてインドに亡命。ヒマラヤ山脈の麓の村、ダラムサラ亡命政権を樹立し、チベット自治実現を目指して非暴力の活動を続け、89年にノーベル平和賞を受賞していました。

 ダラムサラの簡素な邸宅を訪れた私たちに対し、法王は白い薄布をかけてくれた。1時間ほど親しく、和やかに話をし、そろそろお時間というとき、私はこの機会にと、とっておきの質問をしました。

 「猊下、仏教とは一言で言うと、どういう教えですか?」

「勉強しても、分からず」

私は、平和とか、人間とか、そういう答えを期待していた。法王は少し考えた後、こう答えました。 

 

 「仏教は難しい。私は子供の頃から経典を一生懸命、勉強した。ただ、勉強しても、勉強しても、難しくて分からない」。

 チベット仏教の最高権威が、仏教は分からない、と言う。当惑しながら黙っていると、続けて言われました。

インド北東部アルナチャルプラデシュ州タワンで、ダライ・ラマ14世の到着を出迎える市民(岩田智雄撮影)

 「最近になってようやく理解できるようになりました。仏教、あれは数学です」。

 数学とは、〝真理〟という意味か、〝論理学〟という意味か…。答えがあまりに意外だったため、それ以上聞くことができませんでした。

 今思うと、とても残念でしたが、彼が権威を振りかざしたり、もったいぶったりすることもなく、分からないことを「分からない」と言う率直な姿に、感銘を受けました。ただ、仏教が数学とは、どういう意味なのか…。いまだに、私の頭の中にある命題です。

 

もう1人のノーベル賞受賞者

《インド東部コルカタで、もう1人のノーベル平和賞受賞者、マザー・テレサに会う機会があった》 

写真集「マザー・テレサと神の子」(桑原聡撮影)

 東欧出身の彼女は、カトリック修道院を1人で出て、社会から見放され、寄る辺のない貧しい1人1人を慰め、手元に引き取って支援しました。高潔な献身ぶりは世界中に感動を引き起こし、79年にノーベル賞を受賞。私は彼女の活動ぶりを知りたくて、彼女の修道会が運営する孤児院を訪問しました。

 孤児院では、引き取られた子供たちが大勢で生活していた。修道女の方々は懸命に世話をしていました。

 修道女の1人が私に言いました。「この子たち、訪ねてくる人たちに一生懸命、愛敬(あいきょう)を振りまきます。3~4歳の子供たちでも…。親になってくれる人かもしれないと、幼心に分かっているのです」

 子供たちは真剣な眼差しで、懸命に〝良い子〟にしてみせていた。私は、いたいけな表情にどう答えてよいものか、戸惑うしかありませんでした。

反骨の答え

マザー・テレサは執務室のような部屋で、迎えてくれた》

 部屋には、分厚い絨毯が敷かれるわけでも、高価な絵画が飾られているわけでもない。無機質ともいうべき簡素な部屋の粗末な椅子に、彼女は座っていました。

 挨拶の接吻をするため彼女の手を取ると、女性らしからぬ逞しい手をしておられた。「人類愛の〝鑑〟のような方とお会いでき、光栄です」などと言って、話を進めました。

インド北部バラナシ(共同)

 彼女がちょうど、米国史上5人目の「名誉市民」に選ばれた、というニュースが飛び込んでおり、私はお祝いの言葉を伝えました。そして、「名誉市民だから、米国に行くときも査証(ビザ)は要りませんね」と冗談を言いました。

 すると、彼女はぶっきらぼうに言ったのです。

 「名誉市民なんて、どうでも良いわよ。私は、査証など無くても、世界中のどこにでも行きます」。

 そんなもの、何になるか、と言わんばかりの、反骨の答え。この人には、どんな権威も意味がないのだと、感服するばかりでした。

鋼(はがね)のごとき信念

《1年後、彼女は惜しまれながら、87年の生涯を閉じた》

 インドは彼女に最高の敬意を表し、国葬を執り行いました。私はテレビ中継を見ながら、彼女の無骨な手と、私に語った言葉に、静かに思いを馳せました。鋼(はがね)のような信念で、病人や瀕死の人々の保護、孤児の救済にあたったマザー・テレサ。多くの人々に感動を与えたあの姿を深く心に刻みながら、彼女を見送りました。(聞き手 黒沢潤)

〈おかむら・よしふみ〉 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICADアフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。