1976年に幕を閉じた騒乱十年の中国文化大革命については、様々な調査研究と報告が乱れ咲いているが、チベットで行なわれた文革の大衆運動の実態は、これまでほとんど報じられていない。そこには漢民族とチベット族、さらには各民族間の歴史的な相克、およびチベット仏教を柱とする深刻な宗教問題などが複雑にからみ合い、チベットの文革騒乱の実情報告は、現地で深く関与した人民解放軍や、中国共産党中央のタブーとして、日の目を見ないでいるのであろう。 ところが、その空白の一部を埋める驚異的な資料が、著述家であるチベット人の女性の手元から明るみに持ち出された。それは文革当時、チベット駐屯の解放軍の中級士官だった彼女の父ツェリン・ドルジェが、趣味のカメラを駆使して大衆運動の現場をつぶさに撮影した、数百枚におよぶネガフィルムであった。 事件や事象を説明するのに写真ほど雄弁な手段はない。 1999年の春、文筆家の彼女ツェリン・オーセルは、八年前に亡くなった父が撮り溜めた写真を公開し、チベット文革の真実を世に知らせるべきではないかと考え、生存している画面上の主要人物や、当時の紅衛兵、行政幹部、とくに大衆から手荒くつるし上げられている「反革命」人物本人など七十人以上の生存している関係者を、六年にわたり探し回った。そして、直接彼らの詳細な証言や、四十数年前の思い出話を聞き出し、かつ克明に記録し、談話を録音したのである。これは、現在でも中国においては、ある種の危険を伴う行為である。2003年に彼女が出版した散文集『西蔵筆記』は、その筋から発禁処分を受け、彼女自身は公職を解かれたという。 苦心して集め得たデータをもとに、彼女がまとめた二冊の本『殺劫』と『西蔵筆記』は、中国では発表出来ず、2006年台湾で刊行され注目を浴びた。 昨年チベットで大規模な抵抗運動が勃発したことは記憶に新しいが、長い間、当局が沈黙を守ってきたチベットの文化大革命時代への民衆の鬱憤も、原因の一端といえよう。強いられた忘却の替わりに登場する記憶こそが歴史であり、民族の文化である。 いまスポットライトが遠いチベットの闇を照らし始めようとしているのだ。 かくして『殺劫』の日本語版が、藤野彰読売新聞編集委員と、日本在住の中国人女性で新進気鋭の文筆家劉燕子の共訳により出版されることになった。初めて公開された多量の貴重な記録写真を含む、四百ページを越す労作となっており、当時チベットで吹き荒れた殺伐な大衆運動を、詳細かつ平明流暢な訳文で述べ、中国少数民族の将来にわたる問題も提起している。 原作者ツェリン・オーセルはいう。 「何千何万のチベット人が払った気高い犠牲が、北京五輪の見せかけの繁栄に呑み込まれた。作家は発言しなければばらない。著述とは祈ることであり、証人になることである」と。 目 次 序――ツェリン・オーセル 序――王力雄 写真について――ツェリン・オーセル 日本の読者へ――日本語版序 第一章 「古いチベット」を破壊せよ――文化大革命の衝撃 第二章 造反者の内戦――「仲の良し悪しは派閥で決まる」 第三章 「雪の国」の龍――解放軍とチベット 第四章 毛沢東の新チベット――「革命」すなわち「殺劫」 第五章 エピローグ――二〇年の輪廻 参考文献 解説 チベットの文化大革命――現在を照射する歴史の闇 藤野彰 参照 http://blogs.yahoo.co.jp/kuru_tibe/29997744.html