パルデンの会

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『殺劫』を読んで上野の森美術館「聖地チベット展」に行く

記者ブログ】『殺劫』を読んで上野の森美術館「聖地チベット展」に行く(社告ではない) 福島香織

2009.11.8
「殺劫(シャーチェ)チベット文化大革命」

■このブログでもときどき取りあげてきた、北京在住のチベット族女流作家、ツェリン・オーセルさんの初の邦訳本『殺劫』が集広舎から出版された。ツェリン・オーセルさんと同書がうまれた背景については、過去のエントリーも読み直してほしい。オーセルさんも、夫の王力雄さんも私の尊敬するノンフィクション作家であり、ノンフィクションとはかくあるべし、と私が思う作品を発表し続けている。翻訳は読売新聞編集委員の藤野彰氏と劉燕子さん。劉さんは私にオーセルさんを紹介してくれた友人で、関西の大学の講師をしながら、強い意志をもって日中の文学交流に尽くしてきた人でもある。
http://www.shukousha.com/item_192.html
■きょうは同書のレビューエントリー。この本はなんと4600円(税別)もするのだ。しかも分厚い。私は集広舎さんに献本していただいたが、この価格を支払うのには、よほどの高給取りか、書籍資料費で領収書がきれる研究者か、チベット大 好き人間以外はかなり勇気がいるだろう。私が作者と縁もゆかりもない人間であったら、3回くらい本屋にかよって、本屋で半分くらい読んで、やっぱり資料性 からいっても買わなきゃ、どうせこんなマニアックな本の重版はむりだろうから、今かわなきゃ、すぐ絶版になってあとで後悔すると、ぐるぐる悩んだすえ、レ ジにいく、そういう類の本だ。しかし大きい本屋にいかなきゃ、実物のチラ見すらできない。だから、そういう人に参考になるようなレビューにしよう。
■この本は、写真集であり、証言集であり、ノンフィクションである。チベット文革状況の記録は、同書が台湾で最初に出版されるまでは、たった一枚の写真しかなく、空白状態だったという。そう言う意味で、第一級の文革研究資料でもある。写真はきっちり数えていないが250~300枚収録され、写真解説しながら、チベット文革がどのように始まり、チベット少年少女がどんな風に紅衛兵になり、どのように寺や仏像や教典が破壊され燃やされ、寺院の宝物が略奪され、貴族や僧侶、活仏が「牛鬼蛇神」としてつるし上げられていったかがまとめられている。そして文化大革命チベット語訳で言うところの「リンネーサルジェ」が、奇しくも中国語「人類殺劫(レンレイシャーチエ)と非常に発音が似ているように、文革とは、まさに「殺劫」(殺人衝動、長時間におよぶ殺戮)のようなものであったと、私たちに思い至らせる構成になっている。
■写真を撮ったのは、ツェリン・ドルジェ。1966年当時、中国人民解放軍エリートであったオーセルさんのお父さんだ。国民党軍逃亡兵を父にもつ、漢族とチベット族のハーフであるが、漢語とチベット語を流暢に話すその才能がみこまれて解放軍で出世していた。その年、中国では文化大革命という名の激しい権力闘争がはじまり、それは全土に広まった。ちなみにオーセルさんはそんな文革スタートの年に生を受けている。

貼り付け元  <http://sankei.jp.msn.com/world/china/091108/chn0911080301001-n1.htm> 
■ツェ リン・ドルジェの趣味はカメラであり、ラサにおける文革の熱狂、破壊、「牛鬼蛇神」のつるし上げの風景をファインダーにおさめ続けた。彼はその写真の存在 を死ぬまぎわまで誰にも語らなかった。おそらく、それは一級の機密であることを知っていた。そんなものを所持していることがばれれば解放軍エリートとはい え、ただではすまないことも。しかしそのまま、この世から消し去ることもしのびなく、1991年の臨終まぎわに娘のオーセルさんに託したのだ。
■共産党軍幹部の娘として、党の正しい教育をうけ、成人し、「西藏文学」編集者という党エリートの職を得ていたオーセルさんは、この重大な機密写真をゆずりうけて、うろたえた。しかし、漢族とチベット族のハーフであり、晩年はチベット仏教に深く帰依した父親がどういう思いでこの危険な写真をもっていたかを思えば捨てるわけにもいかない。そこで、当時、「天葬」などチベット問題をテーマにした著書で高い評価を得ていた反体制作家、王力雄氏にその写真を託した。ところが、王氏はこの写真を世に出す仕事はチベット族の仕事である、とオーセルさんを説得した。で、王さんの励ましをうけて、オーセルさんが写真をもとに、当時の文革関係者から聞き取り調査することになった。この辺のいきさつは本書の序文にまとめられている。
■オーセルさんは、父から譲りうけられた写真一枚一枚の当時の背景をさぐり、そこに写っている人の生い立ちを調べ、家族、関係者に取材した。同書第1章の「古いチベットを破壊せよ」では、文革初期の「四旧」打破の状況が写真をもとにほぼ時系列で解説されている。たとえば本書の初めに掲載された1965年の第一期人民代表大会の写真に写っている貴族出身の代表たちが、1966年の「牛鬼蛇神」のつるし上げ写真に写っていたりする。
■ジョカン寺を鍬で破壊する農奴出身少女(翻身農奴)の写真があるが、その少女がチベットテレビ局、中央人民放送のアナウンサーなどをへて北京に住んでいる人物らしいとか、というそういう人づての話やゴシップの類もきちんと書いてある。
■一方で、ラサ中学の生徒だった元紅衛兵や、ラサ中学のチベット族生徒を扇動して破壊行動に駆り立てた漢族教師・陶長松氏にもインタビューを敢行している。彼らがどういう言葉で文革を語ったか、これは本を読んで頂くにかぎる。
■つるし上げ写真の解説は、その写真に写る被害者、犠牲者の家族、子供たちに取材をしている。オーセルさんは序文で、取材中に相手が突然震え泣き出した経験をふりかえり、辛い記憶を取材相手に再現させる取材者としての苦悩をにじませている。この取材は、オーセルさんのこれまでの解放軍幹部子女、共産党エリートの地位を危うくするという意味でもプレッシャーだったろうが、それ以上に、文革においては加害者側にいた解放軍幹部の娘として、民族のアイデンティティ、歴史に向き合うことの葛藤を抱えながらの作業であっただろう。
■これらだけが理由ではないが、彼女は当初ペンネームで出だす予定だった同書を最終的に本名で出し、共産党エリートの地位を自ら捨てた。彼女は今、北京で「敏感作家」のブラックリストにのり、当局の監視下で緊張感をもって文筆活動を続けている。

貼り付け元  <http://sankei.jp.msn.com/world/china/091108/chn0911080301001-n2.htm> 

■貴族、活仏、僧侶がつるし上げられ、辱められ、ときには死に至らしめられた。寺や仏教美術、教典が破壊され、そのどさくさにまぎれて、法衣や仏教美術に使用されている金銀宝物が略奪された。チベット語の通り名や地名は文革風に改名された。そうして「古いチベット」が徹底的に破壊しつくされる一方で、二大造反派の内戦がはじまる。それについては第2章でまとめられている。
■古いチベットを駆逐する過程で造反派は、「造総(ラサ革命造反総指令部)」と「大連指」(プロレタリア大連合革命総指令部)の二大派閥にわかれて、権力闘争を展開する。「シルシチョフって誰だ?」というような程度の「翻身農奴」たちは二大派閥のどちらかに属するか選択をせまられ、各地で紛争に巻き込まれた。
■最初は「文闘」 とよばれる批判大会、討論での闘いだったが、やがて「武闘」となり、文字通り流血の内戦となった。この派閥武闘の写真はない。ラサにおける武闘のピーク 時、ツェリン・ドルジェは老父の看病のため休暇を取ってラサを離れていたからだ。しかし、このラサにおける二大造反派の武闘のすさまじさについて、オーセルさ んは取材し、「耳をえぐる、鼻をそぐ、手足を切断するといった原始的で残虐な刑罰がしばしば行われ、頭に鉄釘を打たれた造総メンバーの遺体がパルコルでさ らされた」と書いている。結局1969年までにこの内戦で「造総」はつぶされた。ラサにおけるこの造反派の内戦は、文革研究ではあまり取りあげられていな い、というか知られていなかったそうだ。
■第3章は解放軍内部の状況が詳しく書かれている。軍部内にもやはり造反2派にわかれて闘争が行われていた。ツェリン・ドルジェはまさにその内部闘争の渦中にいた。しかし、この派閥闘争の仲裁にあたる「解放軍毛沢東思想宣伝隊」、すなわち泣く子も黙る「軍宣隊」は、欲しいままに拷問をおこない、自白を強要し、果ては自殺事件、虐殺事件が発生した。軍宣隊が進駐した寺は、略奪の限りが尽くされ、廃墟と化した。ツェリン・ドルジェはこの軍部内の抗争の末、1970年、パージされ四川省ギャンツェ・チベット族自治州の某県の人民武装部(民兵訓練実施を任務とする)に配置換えとなる。
■第4章で、オーセルさんは「革命、すなわち殺劫」とまとめている。チベット農奴たちは解放され、つかの間の喜びはあったかもしれないが、人民公社化による伝統農法の破壊と自然災害がかさなった末の大飢饉、チベット経済の破壊、伝統と信仰の破壊のあとに、果たして毛沢東が約束した新しいチベット桃源郷はつくられたのか。
■この分厚い本を読んできた私たちは、次のような結論に納得するのである。「(毛沢東思想という『精神の原爆』は)青藏高原1000年にわたる静寂を打ち破り、チベット人の血肉に触れただけでなく、チベット人の魂の奥底にまで手を伸ばした。その結果、チベット人はこの上なく明確に悟ったのである。『魂の奥底から革命を勃発させる』という毛沢東の言葉が意味するものは、なんと痛々しくて顧みるに忍びない『殺劫』のことである、と」
■というわけで同書は、チベットにおける文革研究一級資料であると同時に、ツェリン・ドルジェとオーセルという父娘が歴史と民族の問題に真摯に向き合った軌跡でもある。ツェリン・ドルジェは解放軍エリートとチベット族としてのアイデンティティに 矛盾を抱えたままこの世を去ったかもしれないけれど、娘は父の残した写真を手がかりに自分の足で調べ取材し書き、その答えを見つけ出した。そしてその作業 を支えたのは、漢族作家の王力雄さんであった。この長い道のりと葛藤に思いを馳せると、私は胸がいっぱいになるし、同書が単に研究資料として、一部の研究 者やジャーナリストに読まれるだけでは

貼り付け元  <http://sankei.jp.msn.com/world/china/091108/chn0911080301001-n3.htm> 



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