パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

常磐ハワイは 本当に癒してくれるところのようです。早期の復興を望むところです



知人のメルマガから転載させてもらいました・・
お読み下さい。
 
 
震災当日、休暇をとって家族旅行中だった本誌記者は、福島県
いわき市スパリゾートハワイアンズで被災。そこで記者が見
た「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの「プロフェッショ
ナルな姿勢」とは?

3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパ
リゾートハワイアンズ」で被災した。久々にとった有休休暇。
家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送
迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。知
らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状
況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸
いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。

まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフライ
ンがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道
されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたり
することが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に
帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提
供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を
抱える家族としては、とてもありがたいことだった。

震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たち
は大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ
夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみ
た。

「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」

すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。

「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」

聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとの
こと。そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数
秒後、気付いた。……じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ?
親戚は? 友人や恋人は? 恥ずかしながら、記者はこの時
まで、本当にこの瞬間まで、彼らも“被災者”であることを忘
れていたのだ。それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあ
るのだ。恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事とい
うのは考えにくい。連絡が取れない、友人、知人が山ほどいる
はずだ。そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい
場所があるだろう。しかし、彼らはそんなことを態度にはまっ
たく出さず、自らの職務をまっとうした。その行為は、我々の
体ではなく、心を救ってくれた。

トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝
食が始まった。ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手
に、静かに話し始める。

「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」

満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、
“走行可能”という判断を下しました」

その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。常識では考えられな
いほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない
道を、被災した「お客様」のために走る。それは、命がけの行
為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを
見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があ
ることを知った。

それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で
原稿を書いている。そして思う。絶望の淵にある人を、真に救
うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルー
ル」などではない。「行為」だ。何をすべきかを論じているだ
けでは、誰一人救えないのだ。
我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。

いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、ま
た家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。それも
、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ
。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なん
だぞ」と。
そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。