パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

放射能は 民主党議員が人間であるかの判断に使える事が判明!!-2

 
 
続ー2
 
 ICRPは、大人も子どもも一緒でいい、などとは言っていません。確かに外部被曝の影響は大人も子どももあまり違いは出ていませんが、やはり子どもは感受性が高く、より守らなければならない。他に、妊婦などの感受性を考えなければならない人たちがいます。
今は、日本人の3分の1がガンで死にます。ガンを発症する理由はいろいろで、多くは何が原因か分からない。私のような年だと、多少放射線を浴びても、それが原因でガンを引き起こす前に、別の理由でガンになって死ぬでしょう。でも、子どもは余命が長い(ので、その間に影響が出る可能性は年長者より高い)。だから、子どもに関しては特にケアしていくべきです。
なので、まずはモニタリングをきちっとやっていきなさい、と申し上げた。それも学校の1カ所だけで測るのではなく、「校庭も校舎の中もまんべんなく測りなさい」と。それを夏までに環境を変えるための資料にしたい、というのが文科省の立場ですね。
それはいいのですが、実際に測った値を見て驚いたのは、校庭の線量が高いんですね。3月15~16日に降った雨の影響だと思います。建物があれば屋上や側壁にくっつく分がありますが、校庭はすべてを地面が受け皿になってしまった。文科省が20mSv/年に達するとして想定した3.8μSvを上回る所もありますね。
限度を半分の10mSv/年にすればかなりの数の、従来の1mSv/年にすればほとんどの学校が対象になってしまい、学校が再開できなくなってしまう、ということで、20mSv/年としたのでしょう。文科省はとても急いでいて、早く原子力安全委員会のお墨付きをちょうだい、という感じでした。
私は、原子力安全委員会がこの文科省の方針を認める判断をするプロセスには関わっていないので、どのようにして決められたのかは分かりません。ただ、決めてしまったからには、この線量を少しでも下げる努力をすることです。被曝を少なくするためには、高い所から優先的に対応をとっていく。校庭であれば、表土を削ぐくらいはやるべきでしょう。
CRPの参考レベルは、取り返しのつかない事故が起きてしまった時に、どのように対応するかを考え、そして最終的には元のようにするべくがんばるためためのコンセプトなんです。少しでも汚染があれば人が住めない、というものではないし、そこを離れるには多くのデメリットがあるという人が多いでしょう。なので、まずは20mSv/年を越えそうな人がいれば越えないように努め、1~20mSv/年の範囲の中でできるだけ低いところを参考レベルに設定して、人々の被曝線量がそれより低いレベルになるよう改善を図っていく。
3月21日にICRPが出した声明も、日本政府に対して、許容線量を20mSv/年に引き上げろと言ったわけではありません。ICRPの勧告では、できるだけlower part(低いところ)を目指せと言っています。1~20mSv/年の範囲で、どこを参考レベルに設定するかは、まさに政府の判断です。
今までは1mSv/年が安全か不安全かの境だと思っている住民に、いきなり20mSv/年を上限に設定したら、相当混乱するでしょう。特に、子どもに関して、飯舘村で計画的避難の指標として出した20mSv/年としたら、「とても受け入れられないでしょう」と申し上げた。ただ、ではいくらならよいか、と言われると、これは難しい。5mSv/年とか10mSv/年とか数字を言うのは簡単ですが、その根拠を科学的に説明するのは難しいんです。
ただ、こうした問題を考える時、人々に「受け入れられる」というのはとても大切です。
「これ以上だったら絶対に受け入れられない」というレベルと、「これ以下だったら何のためらいもなく受け入れる」というレベルの間には、グレーゾーンとも言うべき「ある程度がまんする」という領域があります。被曝に関して言うと、100mSv/年以上は絶対に受け入れられないし、1mSv/年以下ならすんなり受け入れられますね。その間の領域でもがまんしてください、と言うことになるわけです。
ここで用いられるのが、「リスクとベネフィット(利益)」という考えです。人は何らかの利益があると思うから、がまんするんです。リスクよりベネフィットが大きければ、がまんしようと思える。
たとえば、レントゲンやCTなどの医療放射線は、ガンを発見する、というリスク以上の利益がある場合などを言います。そういう利益があるから、放射線を浴びることのリスクもがまんできる。事故が起きた当初、食べ物の放射線レベルをCTスキャンと比べて発表していましたが、あれは適切ではありません。今回の事故による放射能汚染は、誰にもベネフィットはありませんから。
特に、福島の住民の場合、何のベネフィットもありません。利益ではなく、不利益をどうしたら減らせるか、という問題です。例えば、多くの人は仕事などもあるし、簡単に引っ越すわけにはいかない。そういう場合、そこに住み続けることの方が不利益が少ない。あるいは、牛をたくさん飼っている人が、避難すればその牛を安い価格で売らなければならなかったりして、そのためにコストが生じる。それを回避するために、(将来ガンを発症する可能性がないとは言い切れないなどの)リスクを甘んじて受ける、という判断もあるでしょう。子どもの場合は、「学校に行かれなかった時の不利益」や「転校する時の不利益」がありますね。そういう不利益とリスクとのバランスの中で、住民はそこに住み続ける判断するわけです。
とは言っても、本当はそれを言うのは、すごく酷なことなんです。だって、今回の事故では、何の罪もない人が汚染で影響を受けているわけですから。住民は、「私たちは事故に責任はもない。早く元の状況に戻して欲しい」と思っているでしょう。それは当然なんです。そういう人たちに、普段より大きいリスクを示して、「この程度までだったら許容できるはず」と言うことなんですね。
でも、実際に取り返しのつかない状況が生じている。それでも、元の場所で暮らすメリット、移転の不便さなどを考えれば、リスクの部分は補償をしてもらおうということで、多くの人がそこに住み続けるわけです。
だから、せめて被曝ができるだけ低いレベルになるよう、住民の協力も得ながら、精一杯改善を図らなければなりません。子どもについては、校庭の表土を取り除いたり、ドロ遊びをして土が口に入ってしまった、などということがないように気をつける。校庭で遊んだ後、土やほこりが衣服についたまま教室に入って部屋の空気を汚染したりしないように防ぐ。
子どもだけではありません。そこにはたくさんの人が生活しています。「この辺りは線量が高いのでできるだけ通らないようにしましょう」「しばらくは家庭菜園はやめておきましょう」という情報をこまめに提供して、住民と納得づくで対策を話し合っていくことが大事です。住民が自分の生活を管理していくことも大事なので、こういうことはお上が勝手に決めるのではなく、stakeholder(利害関係人)が参加し、関与し、納得するというプロセスが大切です。ICRPも、stakeholderの関与ということを盛んに言っています。
今回の問題では、県の教育委員会に関与させたのでしょうかが、政府と教育委員会だけがstakeholderなのかな、という気はします。本当は、最大のstakeholderは学校に通う生徒のでしょうし…。

(「当局には、ふだんの20倍もの高い値を子どもに適用し、リスクを強いているという認識が感じられないのだが」という私の問いに)日本では医療被曝の多さが問題になっています。それに比べれば「10ミリや20ミリくらい平気でしょ」「20ミリくらい浴びても大したことはない」という感覚が、本音のところにあるんじゃないでしょうか。今は原発の事故も収まっていない状況だから、ということもよく言われますが、「火事場だから」というだけでは分かりにくいですね。そういう時でも、住民にはよく説明して、お互いのネゴシエーションの中で対策を決めていく、というのが必要です。

(「政府に判断についての説明を求めても、『原子力安全委員会の助言』『原子力安全委員会の助言』と繰り返すばかりだが」という問いに)すべての責任を原子力安全委員会に負わせている感じがしますね。原子力委員会には決定権限はないわけで、1~20mSv/年の中でどこに設定するか、といった事柄は、まさに国がdecision make(意思決定)すべき問題です。今の状況は、責任あるところが責任あるメッセージを出していない、と思えてなりません。

(文責・江川)