パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

被災地の復興を装いながら、その背後に潜んでいるのは 在日の怨念か?





勝谷氏の有料ブログより転載

<復興増税を明記、「減災」理念打ち出す/構想会議提言>
 http://www.asahi.com/politics/update/0625/TKY201106250390.html
 
東日本大震災の本格復興の構想を練ってきた菅政権の復興構想会議(議長・五百旗頭〈いおきべ〉真防衛大学校長)は25日、復興財源確保の増税や、水産業再生へ民間参入を促す「特区」の導入などを盛り込んだ提言をまとめ、菅直人首相に答申した。津波などの自然災害への向き合い方として「完全に封じる」との発想を転換し、被害を最小限に抑える「減災」の理念を打ち出した。
題名は「復興への提言/悲惨のなかの希望」。首相はこの日の構想会議で「提言を最大限生かしてこれからの復興に当たっていきたい」とした。政権は27日に復興対策本部(本部長・菅首相)の初会合を開き、構想会議の提言をもとに7月中に復興基本方針を策定する。ただ、政権内では、本格復興策を盛り込む今年度第3次補正予算案は菅首相退陣後の次期政権の課題とみなされており、提言内容がどこまで具体化されるかが焦点となる。>
吐き気がした。言葉を操ることで飯を食っている人間としてである。
<「悲惨の中の希望」>って何だ。
大辞泉』によれば「悲惨」とは「見聞きに耐えられないほどいたましいこと。また、そのさま。」である。日本国の将来を決める日本国の機関たる復興構想会議は、天皇陛下が「雄々しき」と讃えられ、私が「サバイバー」と仰ぎ見る被災者の方々をそう定義したのである。「悲」は言うまでもなく「悲しい」だ。「惨」の音読みを、頭に旗を500本立てている五百旗頭真防衛大学校長なる極左のおっさん(なんという肩書と思想の矛盾!)は学校で習わなかったのかね。「みじめ」「むごい」である。「かなしく、みじめ」「かなしく、むごい」状態に被災者の方々がいるから、救ってやろうというのか、この鬼畜外道。
どういう上からの目線であろう。会議のメンバーには私が尊敬する作家も入っている。そういう言葉のプロの意見が反映されたとは思いたくない。頭でっかちのインポ野郎の役人の作文に、500本野郎がのっかったと信じたい。
「悲惨」は主観である。観た人間が感じることだ。被災地をたずねて私が最初に感じたのは「安全圏にいた私たちは、本当の意味で被災者の方々に寄り添うことはできない」ということであった。そこには一歩引いた謙虚さが必要なのだ。「サバイバー」の人々に対して私たちは「ラッキーマン」だ。たまたま幸運にも災禍はわが頭上には来なかったということに過ぎない。そういう心構えがあれば被災者や被災地のことを「悲惨」などとは言えないはずだ。

さきほど引いた昭和大帝のお言葉を受けて復興に立ち上がった終戦直後の人々の合い言葉は「焼け跡からの復興」であった。「焼け跡」とは万人の目にうつる「風景」である。そこには主観はない。今回、それにならって「瓦礫」であったり「ゼロ」であったり「壊滅」であったりを「悲惨」に置き換えるとそれは心にすんなりと入って来る。「瓦礫のなかの希望」「ゼロのなかの希望」「壊滅のなかの希望」。いや、これでもコピーとしてはヘタだな。「なかの」という言葉が受け身である。なんとか探しに行こうとしている。「瓦礫からの希望」だろう。「からの」という言葉には動きがある。立ち上がろうとする勢いがある。
いま被災地が置かれている現状は「天災」に加えて「人災」が生み出したものだ。首相官邸にいる菅直人という「狂王」が当初の事態を明らかに悪化させ、亡くならなくてもよかった人を死なせ、被曝しなくてよかった人々に放射能を浴びせたけたということは、もはや歴史的な事実となりつつある。
その「結果」をもって「悲惨」という、これほど被災者や国民を愚弄した定義があるだろうか。おまえだけには悲惨などと言われたくはない。悲惨にした本人が何を言うか、ということだ。
この想像力と人間性のなさに、私は役人の作文を感じたのだが、内容を精査するにつれてその確信は深まっていった。被災地の復興を装いながら、その背後に潜んでいるのは、国民からもっと税金を集めようという財務官僚の魂胆にほかならない。「保守」の産経新聞が鋭い指摘をしている。
<復興構想会議提言 増税ありきは筋が違う>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110626/plc11062603290001-n1.htm
<政府の東日本大震災復興構想会議(議長・五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長)がまとめた提言に対する最大の疑問は、復興計画の中身が示されていないのに増税の必要性ばかり強調していることだ。>
気持ちいいほどバッサリである。今回の「提言」の本質をこれほど言い切った論はない。
<不思議なことは、4月14日の初会合で五百旗頭議長が復興の青写真がまとまっていないにもかかわらず、財源について「国民全体で負担していくことを視野にいれなければならない」と、震災復興税に言及していたことである。
この基調はその後もまったく変わらず、提言には復興財源を調達するために期間限定の「復興債」を発行して、その返済を「将来世代に負担を先送りしない」として消費税や所得税法人税の「基幹税」の臨時増税で賄うと明記された。税目や増税時期は政府に委ねたものの、増税の「結論ありき」と指摘せざるを得ない。>
これほどの国難をオノレのために利用しようとしている国賊が跋扈しているということだ。増税の理由にしたい財務官僚と、居座りをしたい菅直人である。
<ところが、菅首相は提言を受けて国の復興指針を策定し、9月以降に編成するという第3次補正予算案に反映させるという。復興会議自体も「第1次提言を6月、年末に最終提言」という悠長な対応を改め、提言を一本化せざるを得なかった。いち早く自立・自助の努力をしてきた被災地側に対し、政府も復興会議も、あまりにスピード感が欠如している。>
産経新聞ももう一歩踏み込めばいいのに。<あまりにスピード感覚が欠如している>のはわざとそうしているからだ。スピード感を出すと、オノレが官邸から出ていかなくてはいけない時が早まるからに決まっているではないか!
被災者の方々を「悲惨」と見下げつつ「お助け」はできるだけゆるゆるとやって、それを担保に国民からカネを巻き上げながら「狂王」が居座りをはかっている。これが復興構想会議の提言、とやらで見えてきたことというほかはない。