四川省。 現在の四川省の半分以上が 1959年以降 チベットから割合されて併合されていることを日本人はあまり関心ないみたいである。
「四川省に行った!」と誇る熟年日本人 「四川がチベットも入っていること」を聞き 唖然!
これが 日本人なんです。 だから 民主党のペテンに惑わされ、おれおれ詐欺にもだまされるのです。
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「休閑文化」が発達している成都には
消費市場としての中国の魅力が凝縮されている
全日空による東京-成都直行航路が開通し、奥地にある四川省の省都・成都市が一気に近づいた。以前なら赴任地が成都だと聞いて目の前は真っ暗だと言っていた日本のサラリーマンはこれからたぶんいなくなるだろう。現地にいち早く進出したイトーヨーカ堂の成功により、成都の豊かさと消費力の高さが日本でも認知されるようになった。伊勢丹も数年前に成都に進出している。
成都を訪れると、政府の高官から庶民までが自慢するのが、「茶館が一番多い町」ということだ。茶館とは、中国茶を飲む喫茶店のことをいう。茶館が多いことは、のんびりと生活を楽しむ習慣がその土地に根付いていることを意味する。だから、成都市内を歩き回ると、「休閑」という言葉をよく耳にする。
成都という名は、西周王朝(公元前1046年~公元前771年)の都を定める過程のなかで、周王が遷都する際に、「一年経てば人々が住むところが固まってくる。二年で町になる。三年も経てば都に成る」と語ったという伝説に由来するそうだ。数千年の名前を持つ同市は言うまでもなく西部、特に西南地区で最も繁栄する都市として自負する。経済的にも西部地区でトップの地位を誇る。
「巷子」というのは、横丁、路地という意味で、北京の「胡同」や上海の「里弄」に相当する。中国語では、「寛」は広いという意味で、「窄」は狭いという意味で、寛窄巷子とは、広い横丁と狭い横丁からなる横丁のことを言う。この一帯は成都市に残存する清朝時代の古い町並みの一つで、寛巷子、窄巷子、井巷子と三本平行して並ぶ古い町並みとその間に立てられた四合院によって形成された空間だ。青レンガ作りの家が北京の「四合院」に似ている。南方地域で唯一、北方の胡同文化と建築様式を見ることができるのがこの寛窄巷子だと言われる。
中国各地の地方政府は自らの業績を作るため、知識人や住民の猛烈な反対を無視して古い建物をどんどん壊して新しい建物を建てていく。そうこうしているうちに、どの都市の町並みも区別がなくなるほど似通ったものとなってしまった。ところが、近年、このような開発一辺倒の政府のやり方が強く疑問視され、日増しに失われていく町の歴史的面影、日常生活に息づく伝統的価値観と在来文化の香りにその存在価値を認める動きが広がっている。旧市街の当時の面影が色濃く残る寛窄巷子も、長い歴史を誇る成都の代表的かつ貴重な町並みとして価値を見直され、成都の重要な歴史文化保護エリアとなっている。
夕方の寛窄巷子に一歩入れば、中国人でもその洗練された休閑文化に目を見張る。昔の煉瓦造りの四合院がレストラン、バー、土産物を販売する商店になっている。路地の半分ほどはさながらオープンテラスのカフェといった景観を成す。そこでみながお茶を飲みながらおしゃべりを楽しんだり、音楽を聞きながら耳掻きのサービスを受けたりする。茶館風のレストランや大衆食堂も多い。麻婆豆腐や担々麺に代表される四川料理を食べた後、苦い苦丁茶を飲みながら、四川の地方劇「川劇」によく登場する「変臉」(仮面早変わり)などを楽しむのが成都の夜の過ごし方の一つである。上海の有名スポットである新天地の成都版といってもいいだろう。成都を訪れるほとんどの外国人が一度はここを訪れる。
旅行業界の関係者だけでなく、中国を市場として攻略しようとしている小売業者、メーカー関係者にとっても同じく正面から取り組まなければならない新しい課題だ。上海を研究して中国戦略を構築する時代はもう終わり、中国の地方都市時代に目を向けなければ世紀のビジネスチャンスを手にすることはできない。その意味では、成都の寛窄巷子は中国市場を観察するのに非常にいい舞台であり、窓でもある。