パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

「半世紀前の日本の蛮行」 と言って韓国が揺れる状況は果たして???



http://blogs.yahoo.co.jp/fp2926/27777036.html から

一般的な韓国人の方の ブログです。
今ある情報では このように「おばあさん」に対して特別な感情を抑えきれないのは当然でしょうね。
しかし 10数歳で客を取らされたことをもう少し考えて欲しい、「おかしくないか?」
そして 現在日本に向かって罵声を浴びせた人の中に 当時の金で2万円 「現在の価値数千万円」を
日本の郵便貯金に預けていた人がいたこと、すべて 左翼の不十分な資料を基本に韓国の人たち
も論争している。 おばあさんたちの過酷な人生もわかる。お金をもらい損ねた分はやはり補償は
できる事ならしてあげたい。 それは日韓条約が締結されたときも一緒で そのときには解決されたと
日本人はおもったわけである。

ある時期 日本では大きな額の基金を作ろうとした事もあったが、それほど大きくはならなかった。


それは 求める声の中には 非常にたくさんの虚言があることに、政府も大衆も大きな声では言わず、

韓国側に判断を任せたところにもあったようだ。本来なら彼女たちを過酷な運命に駆り立てた、
韓国人女衒たる人々が果たして裁かれたのか? たぶん戦後も同様に 釜山やソウルの赤い街灯
で女の血を吸って生きていたのでしょうか。

我々はもう 不毛な論戦に 時間を割くよりも 未来に求める事の方が得策なのではないか。

人からもらう、人から取り上げるなど もうやめたいね!!



http://blogs.yahoo.co.jp/fp2926/27777036.html から
1000回目を迎えた水曜集会

「これまで言いたくても勇気がなくて口を開けなかった。今でも日本の国旗を見たり、挺身隊の『挺』という言葉を耳にしたりするだけで動悸(どうき)がする」

 1991年8月、元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんが記者会見を行った。金さんは17歳のときに慰安所に連れていかれ、1日4-5人の軍人を相手にしなければならなかったつらい記憶を打ち明けた。日本が従軍慰安婦の存在そのものを認めていなかった時代だった。被害者の金さんによる証言のおかげで、歴史の闇に葬られるところだった半世紀前の日本の蛮行が知られるようになった。

 その直後に出版された元慰安婦15人の証言集は、ページをめくるのもつらいほど直視し難い内容だった。「暴行を受けてから下腹部がとても痛く、歩くこともできなかった」「空襲が激しかったときも、慰安所の前には軍人たちが列を成していた」「彼らは朝鮮語を話したという理由で友人の首を切った」などといった証言がつづられている。元慰安婦たちは「謝罪と補償が実現し、恨みが消えるまでは絶対に死ねない」と語る。

 92年1月8日水曜日、身を切るような寒さの中、ソウル市鍾路区の在韓日本大使館前に元慰安婦たちが集まった。元慰安婦たちは、数日後に来韓する宮沢喜一首相(当時)に日本政府レベルの公式謝罪と賠償を求めた。だが、返ってきたのは日本首相による言葉だけの謝罪だった。元慰安婦たちは毎週水曜日、日本大使館前で集会を続けた。

 それから19年11カ月。雨が降ろうと雪が降ろうと休むことなく行われていた水曜集会が、14日で1000回目を迎えた。元慰安婦たちの怒りの声は国内外の注目を集め、日本による「性的蛮行」を告発する場となった。だが、日本は依然としてびくともしない。7回目の集会から参加し、87歳になった今でも出席している金福童(キム・ボクドン)さんは「最初はこれほど長くかかるとは思ってもみなかった」と語った。

集会が中止されたのは一度だけ、阪神・淡路大震災のときだった。今年3月に東日本巨大地震が起こった際には、黙とうをささげた。集会が始まったとき234人だった元慰安婦は、老衰や病気で171人がこの世を去り、63人となった。生存する元慰安婦の平均年齢は86歳。今年だけで16人が死去するなど、その数は急速に減っている。日本が狙っているのはこういうことなのだろうか。