パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

やっと 浮かばれる 日本兵の遺骨収集

インパール作戦では多くの日本人が死亡した。
場所はインド大陸の 東の端、 ヒマラヤの王国がかっていろいろあったが、チベットも同じような王国であった。 日本と協定を結んでいたチベットは、
インドから物資を チベット経由で中国に運ぶ事を 連合軍より要請されたが協定を理由に 断った。
それが 戦後 中国が侵略してくる時の一つの理由にもなった


インドで34年ぶり遺骨収集

1月18日 6時4分 http://www3.nhk.or.jp/news/img/icon_news_movie.gif http://www3.nhk.or.jp/news/img/twitter.png
第二次世界大戦中、3万人に上る日本兵が死亡したインド北東部で、長年、中断されてきた政府による遺骨の収集作業が、17日、34年ぶりに再開されました。
第二次世界大戦で、旧日本軍がインド北東部のイギリス軍の拠点を攻略しようとしたインパール作戦では、3万人に上る日本兵がインド領内で死亡しました。戦後始まった日本政府による遺骨の収集作業は、現地の治安の悪化によって中断を余儀なくされてきましたが、今回、状況の改善を受けて34年ぶりに再開されることになりました。収集されるのは、アッサム州にあるイギリス兵のための墓地に葬られている旧日本兵11人の遺骨で、墓石には、イギリス側が聞き取ったとみられる日本人の名前がアルファベットで刻まれています。作業初日の17日は、厚生労働省の担当者ら3人が墓地を訪れ、まず墓石に花を手向け、黙とうしたあと、翌日からの本格的な作業に向けて現地の関係者と打ち合わせを行っていました。インド北東部には、今もおよそ1万人の日本人戦没者の遺骨が残されたままになっているものとみられ、政府は、今後、激戦地だったインパールやコヒマ周辺での遺骨の収集に向けて、情報を集めたいとしています。


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