愛国教育は諸刃の刃――中国共産党体制に潜む危うさ
「戸籍」という“安全装置”はもう機能しない
9月に中国で展開された「反日デモ」は、すでに「デモ」の範疇を遥かに超え、犯罪的「暴動」の領域に達した。このことは、中国内部はもとより、全 世界の一致する見解だろう。中国は領土問題に関して国際社会を味方に付けるべく、あらゆる機会を使って中国の正当性を各国で主張しているが、国際社会に印 象づけた中国進出リスクを軽減することは、もはや困難だろう。
今回のデモは現象的に言えば、9月19日のこの連載(「発火点は野田総理と胡錦濤国家主席の『立ち話』」)で述べたとおり、中国政府が「デモのリスク」を覚悟してもなお抗議声明を発しなければならない状況から激化した。
中国政府はいかなるデモであれ、ひとたび「デモ」という抗議運動が全国的に広まれば、それは必ず「反政府運動」に発展していくことを百も承知だ。
だから2005年の大規模な反日デモのときも、実は中国政府自身は日本に対して、いかなる抗議声明も出していない。デモの原因は小泉元首相の靖国神社参拝 と日本の国連安保理常任理事国入りへのオファーだった。「歴史」の反省をしていない日本のどこに、「安全保障」を論じる資格があるのか、という声がアメリ カのサンフランシスコにいる華人華僑たちから起こり、それが中国大陸にも波及していったものだ。
このとき中国政府は国連に対して明確な意思表示をしなかった。
したがってデモ参加者たちの多くは「政府が立ち上がらないのなら、僕たちが立ち上がる!」と、北京にいた筆者に怒りをぶつけた。このデモでは、胡錦濤を「売国奴」呼ばわりし、「現代の李鴻章」と罵倒する者さえいた。
「毛沢東」か「毛主席」か
日清戦争とは1894年から1895年にかけて、当時の「大日本帝国」と当時の中国の清王朝との間で戦われた戦争。主に朝鮮半島にあった朝鮮王朝をめぐる 戦いで、清王朝は惨敗し、日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島などの諸島嶼の主権を永遠に日本に割与するという条約を結んだ。この条約を「中華民族に対する屈 辱」として、中国は李鴻章を「中華民族の永遠なる売国奴」と位置付けている。
ところが、どうだろう。
今回は「釣魚島(尖閣諸島に対する中国側の呼称)国有化に反対する」という横断幕と同じ程度に、毛沢東の肖像画が最初から目立った。しかも「毛主席よ、早く帰ってきてよ!」という言葉に見られるように、標語には「毛沢東」ではなく「毛主席」という表現が目立つ。
デモ隊が「毛沢東」と書いているか、それとも「毛主席」と書いているか、この微妙な違いに注目しなければならない。
これを主導しているのは毛沢東万歳派だ。
失脚した薄熙来を応援していたウェブサイト「烏有之郷」(ユートピア)や「毛沢東旗織網」(毛沢東の旗の下に)の運営者たちがオピニオンリーダーとなって いる。これらのウェブサイトはすでに中国政府によって封鎖されているので、今はアクセスしても何も見ることができない。
総括では毛沢東がおこなった「個人崇拝」と「大衆運動を政治運動化すること」だけは否定した。
しかし毛沢東そのものは否定していない。
毛沢東を否定すれば、文革に燃えた人民が改革開放にはついていかないからだ。何といっても建国の父、革命の父。だから毛沢東自身を否定することはできなかった。
その状態のまま、中国は改革開放へ、市場経済化へと突き進んでいる。
その状態のまま、中国は改革開放へ、市場経済化へと突き進んでいる。
見えざる最大の弱点
なぜなら毛沢東思想は「不平等を生む自由競争や、人民が自分の利益のために金儲けをするなどということは許さない」という考えで貫かれているからだ。金儲 けを目論む者は「走資派」(資本主義に走る者)として反革命分子扱いされ、文革の際には激しい批判を浴びて牢屋にぶち込まれていた。
中国が文革を総括するに当たり避けてきた毛沢東の位置づけ。
それを逃げてきたために中国は「特色ある社会主義国家」という(苦しい?)造語を生み出して、現在の中国共産党の統治の正当性を定義し、実際に発展してきた。
それを逃げてきたために中国は「特色ある社会主義国家」という(苦しい?)造語を生み出して、現在の中国共産党の統治の正当性を定義し、実際に発展してきた。
文革では薄熙来は紅衛兵の先頭に立って暴れまくった。紅衛兵とは文革時代に当時の権力者側にあった実権派を打倒するために暴挙に走った若者たちである。高 校生前後の年齢の者が多い。というのは、大学生は反革命派として打倒された知識人の範疇に入り、紅衛兵の中にはあまりいない。紅衛兵は伝統的な中華の遺産 を破壊し、実権派や知識人、学者等を「反革命分子」として虐殺あるいは暴力を振るいまくった。行方不明者も含め、その犠牲者は数千万とも言われ、正確な統 計さえ出せないほどだ。
自分の親を告発できるかというのが「革命度」の証しだった。
今回のデモに大学生がほとんどいない理由
改革開放の恩恵に与ることのできなかった「負け組」の人たちがデモ隊を主として構成していた。今回のデモは「毛沢東万歳派」以外は組織的ではないので、大学生はほとんど参加していない。
2005年のデモのときには「北京大学」とか「清華大学」あるいは「中国農業大学」など、大学名を横断幕として大学単位でデモに参加した者が多かった。だ から激しくはあっても日本企業の「焼き討ち」という暴挙までには至っていない。これは「犯罪」であることを大学生たちは知っているからだ。
街路のいたるところに設置してあるモニターに映ったら、それでおしまい。国民全員に付けられている身分証明書番号とともに顔写真が公安に記録され、就職の 際に決定的なダメージを受ける。就職の志願書には身分証明書番号を書かなければならない。企業側はその番号をインターネットの当該ウェブサイトに入力す る。すると志願者の顔写真から出身地といった基本情報とともに、デモに参加した情報が記録されている。
だから「将来を持っている」若者はデモには参加しないのである。参加しても暴徒化することはない。
では、どういう種類の若者が暴徒化するのか。
それは「失うものを持っていない若者たち」である。
それは「失うものを持っていない若者たち」である。
いわゆる「負け組」だ。二極化してしまった貧富の格差を埋めようにも、そのチャンスさえ与えられていない。
だから日本車を乗り回すような金持ちが憎い。贅沢な品物を売る商店も憎い。日本車に乗っているのが中国人であっても殴り殺そうとする。それは「自分が生涯かけても持てないもの」を「持っている」からだ。
日本そのものが憎いだけではない。
1992年に江沢民が始めた「愛国主義教育」の狙いは、1989年に起きた民主化運動の再来を防ぐためだった。反日は当初の目的ではなかった。しかし94年にその学習指導要領ができた際に、「愛国主義教育基地」を見学することが授業に組まれるようになった。
「愛国主義教育基地」とは、たとえば「抗日戦争記念館」のようなものを指す。「抗日戦争」とは日本で言う「日中戦争」のことだ。「日本の侵略に抗して戦っ た戦争」という意味で、中国では「抗日戦争」と称する。その「抗日記念館」には、日本軍による「虐殺場面」が生々しいろう人形によって再現され陳列されて いる。
蝶よ花よ、小皇帝よと育てられた一人っ子たちが、そのような場面に接すると、激しいショックを受けて、脳裡深くに「日本軍」への憎しみが植えつけられて激しい「反日」感情を芽生えさせていく。
続きはこちらから 5000字を超えているので
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121005/237713/?mlp