パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

若い母 ツォ(23)さんの切ない思いがわかってもらえたと思います


先日の参議院議員会館のダライ・ラマ法王の 送迎時にチベット旗を揚げました。同時に11月7日に焼身抗議を行った若いお母さん タムディン・ツォ(23)の 事件を伝えるポスターを持って、法王様に彼女の 思いをお伝えしました
何のポスターを持っているのか、いぶかっておられる法王のお顔が写真に写っていました。 笑ってはおられません!

しかし タムディン・ツォ(23)さんのビラの文字は読めないでしょうが、彼女の姿が映っているところから法王も彼女の切ない思いが、わかってもらえたと思います。
彼女が 焼身した人々を15日間に渡って供養した後 
自らも油を被って焼身したことを!!
焼身抗議のチベット人達の写真を大衆に見せる事を非難する人もいる。
しかし彼らが重大な決心をしたその心は、写真から伝わると私は信じている。

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チベットNOW@ルンタ に 11月7日に焼身抗議を行って亡くなった   タムディン・ツォ(23)のお父さんの話伝えている。
20121113
7日焼身・死亡したタムディン・ツォの父親が語る娘の焼身への道
11月7日にタムディン・ツォ(23)が焼身、死亡した。その後、残された家族の下をお悔みのために訪れるチベット人が絶えないという。
そんな中、ある10人のチベット人グループが家族の下を訪れた時、タムディン・ツォのお父さんが娘の焼身について語った。そして、その話が最近亡命側に伝えられた。

父親タムディン・キャプの話 
(私はこの話を読みながら涙がとまらなかった)

娘 は23歳だった。名前はタムディン・ツォという。娘には息子が1人いた、名前はニンジャン・ツェリンで7歳だ。娘は他の人たちと違い、普段からチベットの 問題に関心が深く、心配していた。娘が自らを灯明として捧げたのは、チベットのためであり、決して夫婦仲とか家族仲が悪かったからというものではない
娘がそのような事を考えるようになった直接の原因となったと思われる出来事があった。一ヶ月ほど前に私は娘と一緒にバイクに乗って、ドワ郷の街に行った。 ちょうどその日、レゴン県の共産党書記である蒋樹成が来ていて、「ダライの写真を店で売ったり、家庭内に保持してはならない。それは違法行為である。分裂 主義者を非難すべきである」等と書かれた張り紙が郷の庁舎の前に貼られ、またそのようなことを怒鳴りながら、街中を練り歩いていた。
それを見て娘は悲しそうな顔をして、私に何度も『お父さん、私たちチベット人は悲しいね。ダライ・ラマ法王のお写真も掲げちゃいけないなんて、全く自由が ないね』と話した。家に帰った後も何度もそのようなことを言っていた。その日から娘は肉を食べることを止め、ニュンネ(断食の行)も何度も行った。自分は 娘の身体のことを考えて、重ねてちゃんと食事を取るようにと言った。
焼身の数日前に娘は何度か『お父さん、レゴンのロンウォに行きたいんだけど』と言っていた。でも、私は家の仕事が沢山あるから行くなと言った。11月7日 には娘は弟と一緒に家にいた。弟が家畜を見るために外に出た後、娘は家の掃除をして、法王の写真が掲げてある仏壇に供物を捧げ、何度も祈っていたようだっ た。その後、外にあったバイクからガソリンを抜き、そこで自らを灯明と化し供養した。
私の大事な1人娘だった。娘が生まれたときから、一度も叱ったことはない。婿が一緒にいたが、私は一度も干渉したことはない。だから、このような娘を突然 こうして失ったことは、心臓を抜き取られたようなものだ。しかし、娘がそのような道を選んだのはチベット人みんなのため、ダライ・ラマパンチェン・ラマ をお迎えするためであるから、もう色々考えることは止め、娘の一生を美しかったと喜ぶようにしようと思う。
だから、あなた方も娘の望みが叶えられるように努めて頂きたいと願う。また、娘が将来、宗教と政治の自由を謳歌する吉祥なる雪山チベット国に、幸運で宝の ような人間の身体を得て生まれ変わり、一切知者(ダライ・ラマ法王)とお会いすることができるようにと一緒に祈って頂きたい。


参照:11日付けTibet Expressチベット語http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9622-2012-11-11-11-10-12
12日付けTibet Timesチベット語http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6890

草原に設けられた、弔問客用テント

私たちは、相次ぐチベット人焼身のニュースを聞いて、「ああ、また1人焼身したのか、、、何人になったのかな?」と考える。伝えられる情報は場所と名前 と年齢ぐらいで、その他、彼や彼女がどのような人生を送って来たのか?どうして焼身という、もっとも激しい痛みを伴う死を選ぶに至ったのか?家族はその後 どうなったのか?等といった情報はほとんど入らない。だから、悲しいと思うだけで、それはすぐ数字の1つとなり、勝手な政治的、宗教的判断から賞賛した り、悪いとか無意味だとか言う。

本当は、その彼や彼女が焼身に至までには長い真剣な葛藤があり、ついに決心されたものなのだ。日々中国政府の圧政、弾圧を肌で感じ、抗議の意義を認め決定 されたものなのだ。また、多くの場合、その引き金を引くような事件がそれ以前に、その地区で起っている場合が多い。彼女の場合は地区に共産党書記が来て、 目に見える形で共産党の絶対的存在を示し、彼女の前で最愛にしてチベット人の希望の印である法王の写真を掲げてはならないと命令したことである。


↑ のような思いを14世ダライ・ラマ法王にお伝えできたならば 彼女の思いが遂げられたと思う


ニュース チベット文化圏
 2012/11/15 No.668 より転載


チベットでは、2012年11月12日現在、内外合わせた焼身者77名の
内61名の死亡が確認されている。内地チベットでの焼身74人、内死亡60人。
(内地焼身:亡命政府発表72人、死亡58人)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769244.html

何とむごいことがチベットで行われているのか!!
Tibet Times) 北京で開催中の「十八党大会」に合わせ、10日間にわたり、
中国青海省果洛チベット族自治州瑪沁県一帯で、「厳打軍事訓練」と称して、
軍隊と警察が、警察官などが参加し、住民を殴打するという訓練が行われた。

ある地域では15歳~65歳の全住民が参加するよう命令されたという。
さもなくば、警官が強制的に連行すると脅されたそうだ。
集められた住民は皆、暴力的に頭を剃られたあげく全員が殴られたという。
隠れている者や逃げようとする者も全員連れ出され暴力を受けたという。

チベット文化向上のために努める会の代表や副代表、歌手、芸術家、
チベット語を守るために活動する人たちには激しい暴力を加えられたという。
重傷を負い人民病院に収容されたり、家で床に伏している人が沢山いるとのこと。
http://news-tibet.ldblog.jp/archives/52005890.html