まだたくさんのチベット人たちが獄につながれている、それにどれだけの日本人が気が付いているのだろうか???
百人以上の チベット人が自分の体に 火を放ち 世界が 中国の弾圧に注目を向けるように身を捧げている。
それは世界中の人々 特に チベットから出て チベット亡命政権を組織している人々にも向けられているのではないのか?
チベット国内、四川省、青海省、甘粛省、雲南省に閉じ込められたチベット人は 中国共産党によって 宗教、教育、社会保障すべての基本的人権を否定されて毎日の生活を送っている。
それを口に出すのも、仏を拝むことも、チベット語の歌を歌うことさえ禁じられているのだ。
それに引き替え チベット国、中国を離れた人々は チベット亡命政権という形で 自由を取戻してはいる。
しかし 国内において中国に蹂躙されている人々にとって 同じチベット人が本当に解放してくれるのかだんだんと 不安がまし、亡命政府に不満も募ってきているかもしれない。
それを 大きく支えているのが ダライ・ラマ14世の存在であり、彼に対する尊敬と、敬虔によってその未来に希望する
ところが大きいのだ。
最近も 日本でチベットフェステバルなるものが開かれ、有償のチベット文化の切り売りがあった。
それをすばらしいと愛でる 日本人たちが5月4日には1500人 あつまったようである。
しかし 会場には チベット人の悲劇をあらわすことはなかった。
実は今もチベット国が存在しそこから 僧侶が布教と チベット文化の親善に来ているかの如くの賑わいであった。
『 ちがうだろう!』 チベットは中国に占領され、占領以来100万人以上が殺され、いまもたくさんのチベット人が獄につながれ、 頭に電線を差し込まれて チベット語やチベット仏教やチベット文化を
消されようとされている現実があり、 本当はチベット文化そのものの存亡の危機なのである。
もちろん ダラムサラに避難した人々が伝えてきた文化もわかる しかしその数十倍の人々がまだチベットにおり、その文化が頭から切り捨てられようとしているのである。
中国側から チベット仏教文化が いわゆる 「観光文化」 なるものに置き換えられて 消滅させられる現実を止めるには チベットそのものを取り返すことしかないのである。
それを しない チベット亡命政府は 中国の 「観光文化」の輸出エージェントに過ぎなくなるのである。
この数日チベットのイベントに参加した方が、本当にチベット人、チベット文化、チベット国の存亡を気にするならば、 本を買い、『もも』を食べ、写真を撮り、チベット服を買う金以上に、自分たちの体に火を放った若者たち、 若い僧侶たちへの 追悼と
地球人としてまだ彼らの苦しみを取り除くことが出来ない自分たちの不甲斐なさを もっと実感してほしいと思う
フェスティバル会場に チベット国旗が1本しかない現実に
この日本が<日本語をしゃべり>、<日本を愛しない> <顔は日本人そっくりな> <日本国を生計や娯楽のためにしか考えない>、
川向こうの人々によって動かされているのではないかと また一つ心が暗くなったのは私だけだろうか?
チベット人有志が 毎月行っている、お寺をお借りした焼身抗議者の
追悼祈り会もチベット亡命政府は気に入らないらしい。
法王事務所でもいまだに 『 焼身自殺 』と平然と口にする状況には
100人以上の焼身抗議者たちは どんなに悔しい思いをしているのか
と考えてほしい。
わが日本国人は 「神風特攻隊」 を経験してきた だからこそ
我々が 焼身抗議者を 守らなければならない。
「身を挺して守ること」が理解できるのは日本人なのだ。
亡命政権のムタイさだけでなく、それに組する日本人宗教の面々が、本来宗教人が行うべきことを忘れて、世俗の政り事に走る!
焼身抗議を行った 僧侶たちは チベット人であれ中国人であれ
本当に 仏教のお寺が関心を持って彼ら精霊を導かなければ
ならないのである。
その寺が チベット人僧侶たちの法要に十分な関心を
払っていないようである。 仏教寺院がチベット人焼身抗議者を
弔うのは 義務であって ボランティアでないことをよく考えるべきである。 最澄、空海、法然、親鸞、日蓮等の 日本仏教開祖の皆さんが
それぞれの宗派の人々に 本来の開祖が伝えたかった事を伝えなおしてほしい。 寺の修復や葬儀が寺の仕事とは言わないはずである。
お坊様よ 万難を排して チベット人僧侶たちの毎月の追悼に
心せよ! それこそ大乗仏教僧侶の行動ではないか!!!
2013年04月30日
獄中24年のロプサン・テンジンが刑期満了前に重病、家族の下に帰される
VOTが29日付けで伝えるところによれば、チベット人政治犯として25年の刑期を受け、もっとも長期間獄中に繋がれていた、ロプサン・テンジンが刑期満了を前に、去年末から「重病に陥った」として家族の下に帰されているということが判明したという。家族の下に帰されるまで彼は24年間獄中にあった。
彼は1988年3月5日にラサで起った大規模デモに参加し、その際、他の5人のチベット人とともに、デモ参加者を撮影していた警官に暴行を加え窓から落とし殺害したとして死刑を宣告された。もっとも、彼やその他5人のチベット人が本当にこの殺害に関与したのかどうかについては疑わしいと思われている。(詳細参照>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51697401.html)
死刑はその後、国際人権機関の強い圧力により無期懲役に減刑され、さらに1994年にその時点から18年に減刑された。今年解放される予定であった。
彼は逮捕されたとき、25歳(22歳との情報もあり)、ラサ大学の学生であった。刑務所内でも抗議デモを先導したり、刑務所を訪れたアメリカ大使に「政治犯リスト」を渡そうとした。そのような抵抗姿勢を見せる度に、もちろんその後激しい拷問を受けている。度重なる拷問と虐待により、彼の健康は損なわれ、腎臓を患い、糖尿病にもなりほぼ盲目状態、足も痛め、立ち上がることも困難な状態と伝えられていた。
刑期終了前に家族の下に帰されたということは、相当悪い状態と思われ、心配されていが、詳しい現在の容態は伝えられていない。