パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

ODAとは 援助することでその国との関係を密にすることではないか

 拉致被害者松本京子さんの息子が 脱北、失敗し拘束か
 
 
あまりラオスの事はニュースには出てこない、仏教国であるが社会主義国である。カンボジアのように欧米の 援助はあまり入っていないが 日本はそれなりに支援してきた。なぜ こういう仏教国で あのきちがい朝鮮に支援する連中がいるのか、それは警察なり、軍隊に金をもってパイプを持っているからだろう。そしてそれは中国の手先でもある。
 
中国は中国で 脱国者を捕まえて おこずかいを北朝鮮からもらっているのだ。
単純なことだ。  金は早いうちにばらまけ、時は金なり!! まさにいまなのだ。
 
日本が 先進国で ODAも潤沢に行われているのは わかっているが、本当の支援はできていないのであろう。
いまからでも遅くない 東南アジアに 昔の アセアンのシステムを再構築を!
 
 
 
 

拉致被害者松本京子さんの息子が脱北、失敗し拘束か 韓国紙

産経新聞 5月30日(木)9時24分配信
 【ソウル=加藤達也】30日付の韓国紙、東亜日報は外交筋の話として、北朝鮮を脱出してラオスに入った後、同国で身柄を拘束され、北朝鮮に送還された男女9人の中に、1970年代に消息を絶ち日本政府が拉致被害者と認定した日本人女性=失跡当時(29)=の20代中頃の息子が含まれているとの情報があると報じた。

 1977(昭和52)年に消息を絶った鳥取県米子市出身の松本京子さんを指しているとみられる。松本さんは自宅近くの編み物教室に向かう途中で拉致され、2006(平成18)年に拉致被害者と認定された。
最終更新:5月30日(木)11時22分
産経新聞
 
 
 

ラオス韓国大使館、脱北者に面会もしなかった」(1)

中央日報日本語版 5月30日(木)10時30分配信
ラオスから北朝鮮当局に引き渡され、中国に追放された脱北青少年9人が28日、平壌ピョンヤン)行きの高麗航空便で北朝鮮に送還されたという。

韓国政府の関係者は29日午後、「ラオスから追放された脱北者が昨日、北へ送還されたと判断される」と述べた。北京駐在韓国大使館など現地消息筋も、脱北青少年が27日、北朝鮮の外交官旅券を所持する人たちと一緒に中国昆明に移動した後、同日午後10時30分ごろ北京に到着し、28日午後1時5分に高麗航空便で平壌に向かった、と伝えた。脱北青少年の北朝鮮送還が伝えられた中、外交部とラオス韓国大使館の対処問題、情報力不足が取り上げられている。

北韓民主化ネットワークなど10余りの北朝鮮人権団体は29日、外交部庁舎の前で抗議集会を開き、「現地宣教師が2度も駐ラオス韓国大使館に緊急介入要請をしたが、韓国大使館は脱北者が移民局に18日間収容されている間、一度も面会しなかった」とし「脱北孤児を放置した大使館を調査し、責任者に責任を問うべきだ」と主張した。

ラオス大使館側の対処の問題はあちこちで表れている。脱北青少年を連れてきた宣教師夫婦がラオス当局の検問を受けた直後「旅行客だと伝えた」と話すと、大使館側は「人身売買と誤解されるケースがあるので脱北者と身分を明らかにすべきだ」と助言したのもそうだ。その後も大使館は脱北青少年の面会に失敗したが、「引き渡しは可能」「もう少し待ってほしい」というラオス当局の言葉だけを信じたという

追放当日の27日には、ラオス当局が午後1時ごろ「韓国大使館と面談をする」と言いながら脱北青少年を連れていったという事実を宣教師夫婦が大使館側に急いで知らせたが、大使館はいかなる措置も取らなかった
 
 

拉致被害者松本京子さんの息子が脱北に失敗か

毎日新聞 5月30日(木)10時58分配信
 【ソウル大貫智子】ラオスで韓国行きを目指した脱北者9人が北朝鮮側に引き渡された事件で、30日付の韓国紙・東亜日報は、この中に北朝鮮による日本人拉致被害者の女性の息子がいたとの情報を韓国政府が入手し、確認中と報じた。拉致被害者鳥取県米子市松本京子さん(失跡当時29歳)を指すとみられる。今回の事件では、北朝鮮関係者が護送して即時に強制送還するなど異例の対応を取っており、脱北者に「重要人物」が含まれていた可能性もある。

 東亜日報は、外交消息筋の話として、送還された脱北者の中に日本政府が認定した拉致被害女性の息子がいたとの情報があると伝えた。この女性には20代半ばの息子がいるとの話があり、脱北者のうち「23歳のMさん」が該当する可能性があるという。外務省側は「正確には把握できていない」と述べた。

 韓国メディアによると、不法入国で拘束したラオス政府は当初、韓国政府に引き渡す意向を示したが一転して北朝鮮側に引き渡した。北朝鮮側は経由地の中国を審査なしに通過できるビザや飛行機のチケットなどを事前に用意し、移送中も護衛要員が付き添うなど異例の対応を取った脱北者は10代後半~20代前半の元路上生活者とみられ、背景に注目が集まっていた。

 松本さんは1977年10月、「編み物教室に行く」と言って自宅を出たまま行方不明になった。日本政府は政府間協議で確認を求めてきたが、北朝鮮側は入国は確認できなかったと回答した。