パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

宮崎正弘のチベット紀行(その3)

宮崎先生の ブログより

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宮崎正弘チベット紀行(その3)

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ジョガン寺の周りを時計回りにあるくチベット人

 2001年7月17日、胡錦涛国家副主席が率いる中国中央政府代表団がラサを訪問した。
これは1951年の「チベットの平和解放に関する協定」締結から50周年に当たるので、その「祝賀」行事に参加したものだ(「侵略支配」を「平和」と言い換える中国の図々しさ!)。

 胡はチベット書記時代にラサ暴動を軍を出動させて鎮圧し、多くのチベット青年を拷問のすえ獄中死させた張本人だが、それ故に北京中央の「覚え」めでたく、異例の出世と遂げた。
01年6月下旬に北京で開かれた第4回チベット工作会議で「チベットを現代化建設の前列に進ませる」方針が決まった。
あまりに開発の遅れたチベットを放置すればするほどに人心の荒廃が進むとの懼れからである。
中央政府は新たに312億元(約4500億円)をチベットに投資するとした。青海ー西蔵鉄道をはじめ、ゴルムトーーラサ間に鉄道を敷設(これだけで三億三千万元の予算)するなど合計117のプロジェクトを進めている。

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 これは「チベット住民の生活向上」が目的とされるが、実際には工事のために夥しく入植する漢族、とくに独身の中国人達へのアパート建設などに投じられており、羊、やくの毛皮なども漢族の商売人が流通ルートを独占している。

 とはいうもののダライ・ラマ14世の影響力は依然として絶対的なもので、漢族のいう「平和」とは「チベット侵略と支配の恒久化」でしかない、と多くのチベット民衆は認識している。
チベットの篤実な民が健忘症にかかり、北京に擦り寄って、長年の中国共産党への怨念、その暴力支配への恨みを物質的な文明プロジェクトで晴らすことが出来るなどと北京の考えることは、あまりに非精神的で、即物的過ぎる。

 ただしロシアに「タタールのくびき」があるように、嘗て吐番(チベット)は現在の雲南、四川、青海から内モンゴルにかけて支配し、元と組んで漢族を挟み込み、西安を軍事陥落させた。漢族にはそのとき以来の「吐番のくびき」が潜在的メンタリティに内在するのは事実であろう。

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 実際に内モンゴルから寧夏回族自治区青海省を連続的に歩いてみると、紛れもなくこれらは「チベット文化圏」である。
随所にラマ教寺院があり、黄みがかった茶色の僧衣をまとう若い僧らが、そこかしこで経を読んでいる。
参詣客は絶え間なく続き、信仰は完全に蘇っている様を読みとれるのだ。

 かように漢族のチベット族への支配は表向きの融和、事実上は巧妙な民族差別がある。
たとえばレストランへ入る。といっても観光客の入れるような清潔な店はラサ市内ですら、数えるほどしかない。
入り口は貧しい身なりのチベット人が楽器を弾いたり、土産を売りつけようと必死でまとわりついてくる。ポタラ宮では少女に足を捕まれ、ずっとまとわりつかれて苦笑いをする観光客が何人もいる。