パルデンの会

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フランシスコ・ザビエルから教えられたニホンジンの すばらしさ

山口の 山口サビエル記念聖堂 を訪れた。
24日のクリスマスのミサの準備で 皆さんが忙しく働いておられた。
どうもお昼前の訪問者は私だけのようで 2時間近く ザビエル博物館を見学した。
そして 16世紀の 日本人すばらしさを ザビエルさんから教えてもらい日本人のすばらしさを再確認できた。

インターネットからの情報であるが これと同様の
展示がいくつもあった。

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フランシスコ・ザビエルの日本人観

――今は失われてしまった美徳も
 1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送った。
 
「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれてい る。

‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本 人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。

それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。 また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち 金銀よりも名誉を尊重しているのである。日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になるとみな大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない」
 
日本人は、
①最も優れている、
②良い素質を持ち悪意が無い、
③名誉心が極めて強い、
④貧乏は恥ではないと考える、
⑤武士は尊敬される、
⑥交際には多くの礼式がある、
⑦14歳になると刀を差している。
この⑦は、14歳は大人である、ということだろう。そして⑥はともかく、あとは最早失われてしまった美徳になっている。
 
「日本人の生活には節度がある。が、飲むことにかけては、聊か過度である。‥‥賭事は大いなる不名誉と考えているから一切しない。それ は自分の所有でないものを望み、ついで盗人になり易いからである。彼らは起請することは稀であるが、誓う時には太陽にかけて誓う。住民の大部分は読み書き ができる。そのため彼らはオラシヨやデウスのことを速やかに学ぶことができ、我らにとって頗る好都合である。日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて 少ない。
それは死罪に処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。日本人はこのように非常に善良で、人づきがよく、知識慾に富む国民である」
 
ついで、
⑧過度に飲酒する、
⑨賭け事はしない、
⑩太陽にかけて誓う、
⑪大部分は読み書きができる、
⑫一夫一婦である、
⑬窃盗は少ない(死罪だから)、
⑭知識欲に富むという。
⑧は現在と同じで、当時も酔っ払いが多かったらしい。
⑨は公営ギャンブルが盛んな現在からはとても考えられない。
⑩は、神に掛けて誓う ことのない現代日本人と何ら変わらない。
⑪は、かつての左翼史観からは考えられない、重要な指摘である。
⑫は、当時の一般庶民の健全な夫婦観がうかがえ る。
⑬はちょっと厳しいようだが、同時代のヨーロッパと大して変わらない。
⑭は、さすがのザビエルも困ったらしい。だから、別の手紙で「日本人の質問に答 えられるように十分な知識を持つ神父を派遣するように」と書いているほどである。
 
 さらに日本人の生活について、次のように書いている。
デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、私たちに多くの御恵みを賜ったのである。‥‥日本人は彼らの飼う家畜を 屠殺することも喰べることもしない。彼らは時々魚を食膳に供し米や麦を食べるのであるが、それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かでは あるが、種々の果物もある。しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、中には稀な高齢に達する者も少なくない」
 
当時の日本は、まだ貧しかった。
同時代のヨーロッパや中国の支配者と比較すれば、日本は支配者である武士ですら、貧しかったのである。
将軍となった徳川家康の常食が贅をつくしたものではなく、自然食に近かったことを考えれば、ザビエルのこの記述は十分に納得できる。
 最後にザビエルは、波濤を越えてはるばる来日した使命と自らの意志を確認する。
 
「私たちが、この国にいて熱望しているのは、この国民をして、その創造主にして贖い主であるわれらの救主ゼスキリシトの知識に導くこと である。世俗人たちは、自ら進んで私たちに反対し、迫害を加えたりはしないであろう。もしあるとすれば、それは坊主たちが絶えず行う煽動によるものに違い ない。しかし、私たちは彼らと争うことを出来る限り避ける所存でいる。しかし彼らを恐れているのではない。‥‥私たちは、如何に反抗があろうとも真理を示 し、拡げるつもりでいる。それは隣人の霊魂の救いを、私たち自らの生命よりも愛すべきことを、デウスが私たちにお命じになるからである」
 
 このような強烈な使命感が、70万人とも100万人とも推定されるキリシタンを生んだのであ る。当時の日本の人口が1千万人と言われているから、キリシタンの人口に占める割合は、7%あるいは10%にもなる。現在の人口1億2千万人の5%は 600万人である。現代日本におけるキリスト教諸派の信者は100万人台ではないかと推定されている。割合からいえば、キリシタンの時代は確かに存在した のである。
 これが江戸時代を迎える日本人の知的情況であった。読み書きできる日本が意外に多かったことを、日本人以外が証言しているのである。