【一筆多論】「江沢民氏ら手配」の表と裏 西田令一
2014.3.8 09:17
江沢民元国家主席や李鵬元首相らかつての中国指導部お歴々に対し、スペインの裁判所が逮捕状に基づき国際手配を求めた。チベット族へのジェノサイド(民族・人種などの計画的殲滅(せんめつ)、人道犯罪の一つ)のかどだという。
高齢の江氏らは外遊しないだろうし、中国の反発を受けて国外の人道犯罪に対するスペイン特有の裁判を制限する法改正が進んでいることもあり、氏らの逮捕・訴追は現実にはあり得ない。
ただし、手放しの歓迎とはいかない。例えば、直後にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談し、チベット族の人権を高く掲げたオバマ米大統領も歴代の大統領や政権幹部らも、この報道に接していればだが、内心、嫌な感じを持ったに違いない。
スペインは、国境を越えて裁ける「普遍的管轄権」の法理を人道犯罪などに導入し、1998年には、英国で療養中のチリ軍政独裁者、ピノチェト氏を訴追して、国際社会を騒然とさせた。
英当局は氏を拘束しながらも、身柄のスペインへの引き渡しは拒否して、チリに送還する。その過程で、サッチャー元英首相は一貫して訴追に強く反対し、父ブッシュ元米大統領もそれを「茶番劇の裁判」と非難している。
スペインの裁判所は、イラク戦争に絡む人道犯罪なども捜査しようとして、米政府の圧力で断念に追い込まれたとされる。
スペインだけではない。普遍的管轄権を設定していたベルギーの裁判所に、1991年の湾岸戦争を遂行した前述のブッシュ元大統領、チェイニー元国防長官、パウエル元統合参謀本部議長らが戦争犯罪で告訴されるという事態が2003年に起きて、ベルギーはやはり米政府の圧力で普遍的管轄権を撤廃するに至っている。
その辺の事情は、時の米国防長官ラムズフェルド氏の回想録「ノウン・アンド・アンノウン」に詳しい。氏は、キッシンジャー氏が米国務長官時代に東南アジアなどで戦争犯罪に関わったとして、今も外国訪問のたびに法的手続きの脅威にさらされていると語ったことでこの問題を認識したとし、ベルギーの一件に触れる。
ラムズフェルド氏は、03年の北大西洋条約機構(NATO)国防相会議の際にベルギーの国防相を別室に呼び、「他の場所で会合するのは完全に可能だ」と、NATO本部を首都ブリュッセルから移すと警告した。法律は2カ月足らずで廃止されたという。
米国が神経を尖(とが)らせる「国境なき裁判」の典型が、人道犯罪などを裁く国際刑事裁判所(ICC)であり、歴代政権はその設立条約を批准していない。氏は「われわれは…選んでいない公職者や責任を課すことができない法廷に海外から治められも裁かれもしない」との原則論を強調し、主権と民主主義の問題だと断じる。
普遍的管轄権とは、その切っ先が手を血で汚した独裁者にも民主主義国家指導層にも向かう「諸刃(もろは)の剣」だといっていい。(論説副委員長)
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