ダライ・ラマが来月訪日…日中関係さらに悪化へ
2014年03月25日08時35分[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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ダライ・ラマ |
ダライ・ラマは今回の訪日期間中、2011年3月に発生した大地震・津波の生存者を慰め、東京と京都で説法する。また、日本の各界の人物および学者に会い、お互いの関心事について意見を交換する計画だ。しかし日本の政治家には会わないと、代表事務所側の関係者は伝えた。ダライ・ラマはこれまで18回、日本を訪問した。
中国政府はまだ公式反応を見せていない。しかし2012年11月にダライ・ラマが日本を訪問すると、中国外務省の洪磊報道官は「彼は宗教の仮面をかぶり長く中国を分裂させようとした政治亡命者。西蔵(チベット)は分離できない中国領土の一部だ。我々はいかなる国家、いかなる人もダライ・ラマの分裂活動を助けることに反対し、日本の右翼勢力がダライ・ラマを助けるのは中国に対する内政干渉」と非難した。
当時ダライ・ラマは説法のほか、ノーベル生理学・医学賞受賞者である利根川進マサチューセッツ工科大(MIT)教授との対話などに参加するために日本を訪問した。ダライ・ラマは横浜での説法で、当時の習近平副主席中心の次期中国指導部が政治の変化や改革を推進するという見方を示し、中国政府にチベット問題の解決に向けて政治的な措置を取り、チベット人を強圧統治しないよう求めた。また「チベット人が受ける圧迫がますます強まっている。チベット人が望むのは自治であり、このメッセージを中国指導部に送る」と述べた。
2009年以降、約100人のチベット人が中国の強圧統治に抗議して焼身した。しかし中国政府は焼身の背後にダライ・ラマがいるとみて、ダライ・ラマの中国入国を禁止し、外国訪問も反対している。最近は焼身を引き止めない場合、周囲にいる人に殺人ほう助罪まで適用し、処罰している。
ダライ・ラマは1959年3月、中国のチベット占領に反対するデモで約1万人が死亡すると、インドのダラムサラに亡命政府を樹立した。