パルデンの会

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新疆テロ、「倭寇」撃退に例え対策指示…習主席

中国国民も すでに 倭寇とは中国共産党だとは気がついています。
天安門のときに 日本が中国の手先となった政治家によって 世界に閉まっていた中国の禁断の扉をあけました。 
あれが間違いだったのです。
ODAとして金を取られ、技術をとられ、そして70年前の決着した保障のことでタンカーは差し押さえられ 現在のさんざんな結果は予想されていたことです。

あの時それを進めた 自民党公明党民主党社民党の議員たちは利権からくる、あぶく銭で集まっていたのかと思っていたが、彼らは大部分 朝鮮半島からの人々であったことが 今見えてきた。

すなわち 在日の人々が政治と言う職に 彼らの反日の刃を隠し、銭ゲバとなっていたことに我々は気がついていなかったのです。

帰化した人々でもすばらしいしい人たちがいます。 石平さん、ぺマギャルボさん、立派な愛国者はいます。 彼らを見分けるのは日ごろの行動です。 

保守議員とて中身が問題です。

すこしの間、日本が中国共産党に支援しなければ中国は自分から崩壊します。
崩壊することで真の民主主義が生まれ、人権が回復し、民族自決が完結されるのです。

習金平は倭寇の実態は日本人ではなく食い詰めた中国人であったという歴史上の事実を勉強するべきである。



新疆テロ、「倭寇」撃退に例え対策指示…習主席

読売新聞 4月30日(水)7時18分配信

 【上海=鈴木隆弘】中国の習近平(シージンピン)国家主席は27日から2日間、新疆ウイグル自治区カシュガル地区を視察した。

新華社通信(電子版)によると、習氏は、かつて中国沿岸で略奪を行った日本人らの海賊集団「倭寇」を撃退した事例を挙げ、テロ対策に力を入れるよう指示した。

習氏は28日に同地区の警察署を訪れ、反テロ訓練や装備を見学した。その際、長い警棒を見て、明朝の武将・戚継光が倭寇を撃退した故事を例に、「5人や7人1組で先に竹やりを使って倭寇を防ぎ、盾を持った兵士が攻撃して殺した。我々も有効な兵法と武器を持たなければならない」と語った。

テロ集団を倭寇に見立てたことは、習主席の反日感情の表れとも受け止められそうだ。

最終更新:4月30日(水)7時18分
読売新聞




板垣英憲ブログより
  • 2013年11月15日 04:10

習近平国家主席が恐れる「体制崩壊」「中国4分裂」は共産党幹部が「先憂後楽」を喪失したのが元凶で起きる

中国共産党1党独裁北京政府は、共産党員である習近平国家主席(中央委員会総書記)以下「チャイナ・セブン」の最高指導部、全国人民代表大会2985議席、党員・党友8512万7000人が、人口公称約13億人(実際は20億人説)、つまり総人口のわずか公称6.5%(実際4.2%)のエリート集団(大半が世襲)が、いわゆる「前衛」として中国を先導、指導している。

鄧小平が1978年に日中平和友好条約を結び、第11期3中全会で、それまでの階級闘争路線を放棄し、「経済がほかの一切を圧倒する」という政策を打ち出し、「改革・開放」政策の一環である経済特区の設置、外資の導入を一部地域に限り許可・促進することにより経済成長を目指すこの政策は大きな成果を収めた。だが、政治面では共産主義による中国共産党の指導と一党独裁を強調し、経済面では生産力主義に基づく経済政策を取った。生産力の増大を第一に考え、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」(不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫)という「白猫黒猫論」を標榜し、「豊かになれる者から先に豊かになれ」と大号令した。

ところが、最も早く富裕層に成り上がったのが、北京政府や地方政府の共産党幹部たちであった。しかも、手に入れた特権を既得権益として守り続けようとしている。今回の3中全会(11月9日から12日)では、習近平国家主席の下、「国有経済主導的役割を発揮させる」として国有企業の幹部たち(共産党幹部たち)の優遇を堅持した。土地も国有(私有財産は認めず)であり、地方政府は、農地から農民を追い出し、都市部の住民も長年住み慣れた住宅を壊して、追い出している。それらの土地は、開発業者に転売されて、地方政府官僚(共産党員)の権益と化しているという。このなかで、官僚の汚職が蔓延しているのだ。

呆れたことに、先に富裕層に成り上がったのが、鄧小平の子弟であったり、温家宝前首相であったり、北京政府や地方政府のトップであったりしている。

◆これは、中国から日本に伝わっている「先憂後楽」(先天下之憂而憂 後天下之楽而楽=天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむと読む。常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむ)という言葉に明らかに反している。

中国北宋の忠臣・范仲淹(989年~1052年)が、為政者の心得について述べた「岳陽楼記」にある有名な言葉である。

范仲淹は、蘇州呉県(江蘇省蘇州市)の出身。2歳の時に父を失って母が長山の朱氏に再嫁したのでその姓に従い、名を説と改めた。だが、長じて生家を知るとともに本姓にもどした。應天府に行って苦学し、1015年に大中祥符中進士に及第、広徳軍司理参事となり晏殊に薦められて秘閣校理となり、常に天下のことを論じて士大夫の気節を奮い立たせていた。

江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園「小石川後楽園」(大名庭園として造られ、いまは、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園)は、1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。岡山市にある後楽園と全く同じである。

小石川庭園入り口の左手に立っている「涵徳亭」内の広間床の間に、「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」という認めた掛け軸がある。平沼騏一郎元首相の書である。

徳川家康が開いた江戸幕府は、関ケ原合戦(1600年9月15日)から3年後の1603年から1868まで、実に265年間続いた。どこの他国とも戦争をせず、概ね天下泰平の世が続いたのは、中国の孔子が説いた儒教の「朱子学」を国学として、君臣、庶民が学び、とくに将軍をはじめ幕閣、幕臣、諸藩藩主、家臣団が政治実践の基本としたことが大きく影響した。従って、武家社会を中心とした為政者は、「質素倹約」「質実剛健」を旨とし、贅沢な生活を排除した。

中国共産党1党独裁北京政府が、「体制崩壊の危機」に立っていると言われて、さらに間もなく「中国4分割」が現実化してきている元凶は、実にいまの中国の為政者、すなわち、に共産党員である習近平国家主席(中央委員会総書記)以下「チャイナ・セブン」の最高指導部、全国人民代表大会2985議席、党員・党友8512万7000人が、「政治道徳」を喪失しているところに潜んでいるのだ。

中国各地では、孔子の教え「論語」を見直そうという動きが、庶民レベルで活発化してきており、すでに2万か所で「論語」を講義するところが出現しているという。「カネ儲け主義一辺倒」では、「生き甲斐を感じられない」という人民が増えつつあるというのだ。やはり「天下国家」ばかりか「多くの人々に役に立ちたい」という志を抱く人民が、現れてきているということである。「体制崩壊」「中国4分裂」の原動力が、このあたりからも、生まれている。