北朝鮮側が日本政府に昨年末、拉致された疑いのあるいわゆる「特定失踪者」が「北朝鮮国内で生活している」との情報を、複数のルートを通じて伝えていたことが明らかになった。複数の政府関係者が明らかにした。
【政府認定の拉致被害者の方々】
北朝鮮側は特定失踪者を帰国させることを検討しているとみられる。だが、北朝鮮側は「帰国させたところで、拉致問題に対する日本の厳しい世論は納得しないのではないか」との懸念も日本側に伝えており、日本の世論を慎重に見極める姿勢だという。
政府は北朝鮮による再調査を通じ、特定失踪者の消息に加え、政府が認定した12人の拉致被害者の生存を確認したい考えだ。北朝鮮は「死亡8人、未入国4人」と主張している。
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男鹿脇本事件は昭和56年(1981)8月5日、ひと月前に短期の工作員教育で北朝鮮に密出国した在日朝鮮人工作員が日本に密入国しようとして秋田県男鹿 市の脇本海岸で逮捕された事件です。送り込んだ工作員2名はゴムボートで逃走しました(詳しくは下の資料をご覧下さい)。
当日もそのようにしてBさんの自家用車で船越海岸で会っていた。車は波打ち際から30メートル位の距離に海に向かって止めていた。その日は湿度は高かった が気温はあまり高くなく車の窓は閉めていた。月はなかったように思う(新月ではなく曇っていたと記憶。雨は降っていなかった)。運転席にAさん、助手席に Bさんが座っていた。その周辺に街灯はなかった。
車を停めてから少し時間をおいて突然、運転席側の窓から中に懐中電灯が向けられた。単 3電池を使用した懐中電灯より少し強い光ではなかったかと思う。しかしドアはロックしていたため開けられることはなく、そのまま男は立ち去った。Bさんは 運転席側を向いていたためその男を見ることはできなかったがAさんは見ることができた。男は2名で黒いウェットスーツ様のものを着用していた。頭はフード のようなものをかぶっていた。
懐中電灯で照らされた後車を移動した。道に出て男鹿大橋方向に少し行くと2人が歩いていたので徐行して 「何かあったのですか」と聞いたが返事はなかった。当時は不法入国対策の海岸警備だと思っていた。しかし拉致問題が話題になったときにAさんは初めて男の 姿を語り自分たちもそういうターゲットにされかけたのではないかと思った。その後、脇本事件の報道もあり、同時期ではなかったかと思う。
お話しを聞いたときは工作員の可能性もあるものの、あるいは逆に警戒配備をしていた警察官の可能性もあるかと思ったのですが、帰京してから下記資料1の 『戦後のスパイ事件』を見たところ、逃走した工作員の服装が記載されていました。メールニュースでは送れないので私のブログに掲載しておきますが、Aさん の証言の「ウェットスーツ」「懐中電灯」が一致します。
一つ不思議なのはこの図で工作員を送り込んで逃走した2人(おそらく作戦部の戦闘員でしょう)の服装が極めて詳細に書いてあるということです。夜中に捕り 物をやっているときにどうやってここまで分かったのか。捕まった在日の工作員が白状したのかも知れませんが、それにしても不思議です。
Aは、和歌山県で出生した在日韓国人で、工学院大学卒業後、東京都内で団体職員として勤務していた昭和56年1月、北朝鮮工作員として採用され、その後約 半年間にわたって、南北朝鮮の実情、韓国の現体制の矛盾と批判、南北統一の重要性、金日成主義について学習指導を受けた後、スパイ訓練を受けるための北朝 鮮への脱出指示を受けた。