パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

<特定失踪者>「北朝鮮国内で生活」昨年、日本に伝達


<特定失踪者>「北朝鮮国内で生活」昨年、日本に伝達

毎日新聞 5月30日(金)7時15分配信

 北朝鮮側が日本政府に昨年末、拉致された疑いのあるいわゆる「特定失踪者」が「北朝鮮国内で生活している」との情報を、複数のルートを通じて伝えていたことが明らかになった。複数の政府関係者が明らかにした。

【政府認定の拉致被害者の方々】

北朝鮮側は特定失踪者を帰国させることを検討しているとみられる。だが、北朝鮮側は「帰国させたところで、拉致問題に対する日本の厳しい世論は納得しないのではないか」との懸念も日本側に伝えており、日本の世論を慎重に見極める姿勢だという。

政府は北朝鮮による再調査を通じ、特定失踪者の消息に加え、政府が認定した12人の拉致被害者の生存を確認したい考えだ。北朝鮮は「死亡8人、未入国4人」と主張している。




実際日本の社会は 北朝鮮に対してはまったく対応していない。
彼らからすると 政府が言わないから やったんだ!!!!

English
http://www.chosa-kai.jp/newbuhin/title4.gif
■男鹿脇本事件
          荒木和博
 去る30日、秋田県男鹿市で男鹿脇本事件に関わると思われる情報を入手しました。

  男鹿脇本事件は昭和56年(1981)8月5日、ひと月前に短期の工作員教育で北朝鮮に密出国した在日朝鮮人工作員が日本に密入国しようとして秋田県男鹿 市の脇本海岸で逮捕された事件です。送り込んだ工作員2名はゴムボートで逃走しました(詳しくは下の資料をご覧下さい)。

 これについて、去る4月30日、救う会秋田・男鹿地区のご協力で同時期に近くの海岸に車で行って不審な男に懐中電灯を照らされたというご夫婦(当時は婚約中、ここではご主人をAさん、奥様をBさんとします)のお話しを聞くことができました。内容は次のようなものでした。
-------------------------------------------------------------
時期:昭和56年6月ないし7月
時間:20時頃
場所:男鹿市船越の海岸
状況:
 2人は同年11月に結婚を控えている婚約者同士であった。そのためBさんが家に帰る途中に2人で待ち合わせることがたびたびあった。

  当日もそのようにしてBさんの自家用車で船越海岸で会っていた。車は波打ち際から30メートル位の距離に海に向かって止めていた。その日は湿度は高かった が気温はあまり高くなく車の窓は閉めていた。月はなかったように思う(新月ではなく曇っていたと記憶。雨は降っていなかった)。運転席にAさん、助手席に Bさんが座っていた。その周辺に街灯はなかった。

 車を停めてから少し時間をおいて突然、運転席側の窓から中に懐中電灯が向けられた。単 3電池を使用した懐中電灯より少し強い光ではなかったかと思う。しかしドアはロックしていたため開けられることはなく、そのまま男は立ち去った。Bさんは 運転席側を向いていたためその男を見ることはできなかったがAさんは見ることができた。男は2名で黒いウェットスーツ様のものを着用していた。頭はフード のようなものをかぶっていた。

 懐中電灯で照らされた後車を移動した。道に出て男鹿大橋方向に少し行くと2人が歩いていたので徐行して 「何かあったのですか」と聞いたが返事はなかった。当時は不法入国対策の海岸警備だと思っていた。しかし拉致問題が話題になったときにAさんは初めて男の 姿を語り自分たちもそういうターゲットにされかけたのではないかと思った。その後、脇本事件の報道もあり、同時期ではなかったかと思う。

---------------------------------------

  お話しを聞いたときは工作員の可能性もあるものの、あるいは逆に警戒配備をしていた警察官の可能性もあるかと思ったのですが、帰京してから下記資料1の 『戦後のスパイ事件』を見たところ、逃走した工作員の服装が記載されていました。メールニュースでは送れないので私のブログに掲載しておきますが、Aさん の証言の「ウェットスーツ」「懐中電灯」が一致します。

  一つ不思議なのはこの図で工作員を送り込んで逃走した2人(おそらく作戦部の戦闘員でしょう)の服装が極めて詳細に書いてあるということです。夜中に捕り 物をやっているときにどうやってここまで分かったのか。捕まった在日の工作員が白状したのかも知れませんが、それにしても不思議です。

 男鹿は3年前の現地調査で来たところで、そのときに男鹿脇本事件の現場も行ったのですが、今回本件だけでなく次のようなことが分かりました。
(1)40代の男性が昭和52年湯の尻漁港から1人で漁に出て失踪。後に船は見つかったが本人は乗っていなかった。刺し網に本人の長靴が片方だけ引っかかっていた。当時海はべた凪で普通海に落ちた場合は3~4日で遺体が発見されるのに何も見つからなかった。
(2)秋田港に入るべき北朝鮮船が男鹿船川港沖合でぐるぐる回っているのが目撃され118番(海上保安庁への緊急電話)通報されたことがある。
(3)平成3年、秋田火力発電所の近くで60代の漁師が失踪し船だけ見つかった。
(4)湯の尻漁港の沖合で北朝鮮船で白骨遺体3体の乗った北朝鮮漁船が発見された。
(5)入道崎に来ていたアベックで女性が浜に降りていってそのまま戻って来なかった事件がある。時期等は不明。
 まだ何とも言えませんが、男鹿半島には航空自衛隊のレーダーサイトがあり、当然北朝鮮やロシア、中国には注目されてきたはずです。今後さらに多角的な調査を進めたいと思います。
---------------------------------------------------------------
<資料1『戦後のスパイ事件(二訂版)』(東京法令出版)男鹿脇本事件に関する記述>
男鹿脇本事件●昭和56年8月5日 秋田県警察検挙
 この事件は
北朝鮮に密出入国してスパイ訓練を受け、対韓国工作のための準備、在日朝鮮人に対する金日成思想の浸透などの任務を指示された後、秋田県下の海岸から密入国したスパイ事件である。

  Aは、和歌山県で出生した在日韓国人で、工学院大学卒業後、東京都内で団体職員として勤務していた昭和56年1月、北朝鮮工作員として採用され、その後約 半年間にわたって、南北朝鮮の実情、韓国の現体制の矛盾と批判、南北統一の重要性、金日成主義について学習指導を受けた後、スパイ訓練を受けるための北朝 鮮への脱出指示を受けた。

 Aは、昭和56年7月5日、秋田県男鹿市の脇本海岸から北朝鮮に密出国し、一か月間のスパイ訓練を受けた後、
 ○ 対韓国工作のための準備
 ○ 在日朝鮮人に対する金日成思想の浸透工作
などの任務を指示され、昭和56年8月5日、工作資金等を携行して、秋田県男鹿市の脇本海岸から密入国した。
 秋田県警察は、昭和56年8月5日、脇本海岸で密入国直後のAと潜入案内の北朝鮮工作員2人を発見し、Aを逮捕したが、工作員2人はゴムボートで逃走した。Aは、10月16日、秋田地方裁判所において、出入国管理令違反で懲役10月、執行猶予2年の判決を受けた。
<資料2 昭和57年警察白書 男鹿脇本事件についての記述>
 昭和56年8月5日夜、秋田県警察は、男鹿半島脇本海岸にゴムボートで不法入国してきた在日韓国人I(29)を外国人登録法違反で逮捕した。
 Iは、在日の韓国系団体の職員として勤務していた56年4月ごろ、在日の北朝鮮工作員Kから工作員になることを執ように説得され、これを承諾した。
 Iは、工作員としての教育訓練を受けるため、Kの指示に従って56年7月5日夜、同海岸から北朝鮮工作船でひそかに不法出国し、北朝鮮平壌市で約1箇月間の訓練を受けた後、再び北朝鮮工作船で同海岸にひそかに上陸してきたものであった。
 Iは、56年10月、出入国管理令違反で懲役10月、執行猶予2年の判決を受けた。