パルデンの会

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あの半島を「国家」とおもうから間違うのだ   朝鮮は単に『地名』と考えれば、朝鮮史の謎解きは一気に解決する



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)8月10日(日曜日)
     通巻第4309号
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(読書特集)
宮脇淳子&倉山満『真実の朝鮮史 663-1868』
渡邊哲也『ヤバイ中国』
樋泉克夫のコラム「犬肉を食べるアウンの呼吸」
投書欄 告知欄ほか
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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
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あの半島を「国家」とおもうから間違うのだ
朝鮮は単に『地名』と考えれば、朝鮮史の謎解きは一気に解決する

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宮脇淳子 vs 倉山満『真実の朝鮮史 663-1868』(ビジネス社)
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 本書は通俗的な「歴史よもやま話」ではない。しかし漫談的歴史討論会風である。ふたりの毒舌は火薬庫が爆発したように激しく火を噴く。
 本書には前編がある。ところが前編のほうが1869年以後2014年までに朝鮮史を叙述するのに対して、こちらは、その以前だから、時系列で言えば本書が前編、前編が後編ということになる。ややこしい話を漫談風にするのも、この難しい古代史謎解きなど、微妙でややこしいテーマをふたりはじつに楽しく、自虐史観を破砕するブルドーザーのように過激に燃えるかと思えば、ときに美味しい料理を分け合うように和気藹々と、ときに激論的現代口語が飛び交い、読後感はやはり歴史よもやま話的な漫談的解釈による朝鮮史となった。
 真実の歴史はそのあたりにあるのだろう。
 結論的な感想をいうと、朝鮮なる「国家」は存在しない。国というよりも、単に地名だと思えば、あの国家なる幻影への誤解は霧が晴れてゆくように明瞭に解ける。
だから一種精神的な清涼剤でもある。
白村江から高麗時代のモンゴル朝貢元寇の先兵、そして李氏朝鮮は王朝のようであり、王朝でもなく、中国の家来であり、これが原因となって朝鮮半島では「事大主義」がさらに取り返しのつかない地点まで拡大していった。日本は、まともな国と勘違いして、半島にのめり込んだため大失敗した。
白村江も元寇も秀吉の朝鮮進出(文禄・慶長の役)も、そして朝鮮通信吏から近代では日清戦争日露戦争の舞台となり、あげくに朝鮮併合。危機になると逃げ出すのが李氏朝鮮の体質である。朱子学を滑稽なほどまげて解釈し、日本が連合国に敗れるや、急に威張りだして、日本をどうしても朝鮮の子分と思いたい病的な心理作用が、日本との歴史論争に深い陰をおとしている。
 そういた観点からふたりは徹底的に論じ合い、従来の通説をひっくり返した。

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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
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 逆ザヤが致命的となる中国不動産バブルの崩壊
  アメリカが発動した経済制裁が、もし中国に適用されると?

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渡邊哲也『ヤバイ中国』(徳間書店
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 国際金融の舞台裏分析が専門の渡邊氏が初めて中国経済に挑んだ。本書に拠れば、これまで中国経済を論じなかったのはデータ、とりわけ中国の公的統計が出鱈目であるため評論分析の仕様がなかったからだという。
さもありなん。中国共産党の大幹部自身が、国家統計局の数字をまったく信用していないのだから。
 本書に一貫するのは論理的歯切れの良さである。
これは筆者・渡邊氏の特質なのかも知れない。基礎的な原理原則を明確に提示しつつ、詳細を論じてゆく方法は、ときおりテレビ番組でご一緒する機会がある評者(宮?)にとっても分かりやすい。
いつだったか酒席で、田村秀男氏が指摘していたが「われわれにとって議論の前提となる説明は省くけれど、渡邊さんは、基礎データを提示するところから始めるので改めて聞き直している」。
 本書は、じつに分かりやすいグラフを多用して、中国経済の破綻が秒読みに入ったことを警告する。大局的な国際政治の枠組みを明確化し、アメリカは中国の提示した「新しい大国関係」を拒否したとする。
 筆者が重視するのは利回りという視点からの、つまり投資家としての視点から、中国の不動産投資が逆ざやになったことを証明し、シャドーバンキングの命脈がいよいよ尽きてきた現在の状況を詳しく分析し、同時に人口ボーナスが終わり、人口オーナスに入る段階になると次に予測される未曾有の事態は、政治暴動、権力闘争もさりながら金融危機というリスクの方が大きいとする。
 さて評者(宮?)が、本書でもっとも新鮮に感じたのは、フランスのパリバ銀行の不正に対してのアメリカの司法制裁が、今後の中国経済にいかなる意味を持つかと指摘された箇所である。
 「BNPパリバ銀行は海外向けのインフラの整備に金融支援を行い、その裏側で」、大企業を傘下に置くというフランスにとって重要な銀行である。
そしてアメリカにはIEEPA法があり、この法に基づく制裁とは「安全保障、外交、経済に対して異例かつ重大な脅威に対して、非常事態宣言後、金融制裁によって、その脅威に対処する」法律だが、これに基づき、イランやスーダンなどに融資していたパリバ銀行の不正取引を暴き、巨額の制裁金をかけた。
同行は経営がふらつくほどの打撃を受けた。
 同様に、このBNPパリバ銀行への制裁手口をウクライナ問題にからめて、アメリカはロシアに適用した。プーチン側近の資産は凍結され、権力中枢の資金調達が麻痺した。
 同様にアメリカは中国に対して、もし尖閣諸島強奪などの武力侵攻に出た場合、このIEEPA法を適用させる可能性が高いというのである。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1113回】
―「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田15)
    「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)

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 仁井田の犬肉談義が飛び出したので、香港留学時の犬肉の思い出を綴っておきたい。すでに書いた話もあると思うが、その場合はご勘弁のほどを。

その1:香港の啓徳空港に最初に降り立ったのは1970年の晩秋のこと。あれは衝撃的な三島事件の1,2週間前だったように記憶している。成田空港は完成しているわけもなく、羽田から。日本航空のエコノミー料金が片道で7万円前後だったように記憶している。愛読紙の「東京スポーツ」が10円だった頃だ。

住んだのは低所得者用高層アパートの24階。戴さん宅の1部屋だった。だが本当の大家さんは戴さんではない。戴さんが借りている家の1部屋を、見ず知らずの日本人留学生に又貸してくれたわけだ。私が部屋代を支払うから、戴さんは些かなりとも助かる。貧乏な日本人留学生としては、相場より格安家賃で部屋が借りられる。そこで大いに助かる。加えて大家さんには所定の家賃が入る。大家さん、戴さん、日本人留学生の私――三方に損なし。これを相互扶助という。

到着翌日だったろうか。戴さんが今度の日曜日に友人を呼んで歓迎会をしてやろうと。遠慮は不要である。殊に中国人には。そこで満を持して、その日を待った。当日の朝、台所を覗いてみると白い仔犬がチョコチョコと歩いている。昼、皮を?かれた仔犬は腹を天井に向け横たわっていた。その後、一口大に切り分けられ下拵えされたのであろう。夜になると、居間の中央に置かれた土鍋の中でグツグツと煮え立った汁の中で躍っていた。

やがて戴さんの友人やら教え子が揃う。自己紹介もそこそこに、宴会がはじまった。誰もが口々に「好食(うまい)」を連発しながら、土鍋のなかの肉をつつく。その光景を横目で見ながら秘かに、いったい、この人たちは本当に人間なのだろうかと疑問を抱いたものだ。初の犬肉といったこともあり、もちろん箸は動かない。そこで鍋の中の野菜だけを食べていると、「肉も食べなよ。旨いよ」と。

異文化との“理解”やら“共生”は理屈でできるものではない。先ず食事と排泄を共にすることから始めよ――を信条としているからには、ここは臆してはならない。断固、食べねばなるまい。ええいッ、ままよッと犬肉を口に放り込み噛み始める。なにやらマトンの味。こうなったら後は一瀉千里である。

その2:犬肉の味を覚えると、夜な夜な屋台の犬肉屋へ。

そぞろ秋風が立ち始める頃になると、街角に「香肉上市(いぬにくでました)」の張り紙が。犬肉の屋台の季節だ。七輪の上のグツグツと煮立った土鍋の中から犬肉の香りが立ち上り、それが熾った炭の匂いとブレンドされ、なんとも心地よい香りが鼻孔を撃つ。屋台の前の酒屋で調達した香港製の些かアブナイ紹興酒をグイッと煽りながら、アツアツの犬肉を口に。至福の一瞬である。と、そこへパトカーがスーッと近づいて来て停車する。これは手入れか。慌てて腰を浮かせると、さにあらず。

パトカーの窓が下された頃合いを見計らって、屋台のオヤジはアツアツの犬肉が入った丼と酒1本を差し入れる。窓が閉められ、パトカーは立ち去る。1時間ほどが過ぎると、同じパトカーが戻って来る。窓から差し出された空の丼と酒ビンを屋台のオヤジが受け取ると、パトカーは立ち去って行った。阿吽の呼吸による見事なまでの“連係プレイ”だ。

屋台のオヤジは格安のみかじめ料で安心して商売が、一方の警官は免費(ただ)で胃の腑を満足させながら寒さ知らずのパトロールができる。これまた相互扶助なのだ。

その3:千客万来・大繁盛。仕込んでおいた犬肉が少なくなると、屋台のオヤジは近くに繋いでおいた犬の中から1匹を選び、解体作業に入る。
さて、《欲知端詳 且停下回分解》