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『朝日新聞』をダマした吉田清治とは何者なのか 慰安婦強制連行を「偽証」


朝日新聞』をダマした吉田清治とは何者なのか 慰安婦強制連行を「偽証」

Business Media 誠 8月12日(火)11時48分配信

 朝日新聞が「慰安婦」にまつわる記事を取り消した。
といっても「テキトーな記事を32年も放置してごめんなさい」とかの謝罪の言葉は一切なし。それどころか、ドーンと紙面を割いて行った検証でも、「慰安婦狩りをした」という吉田清治(文筆家:慰安婦のねつ造を認めて、2000年に死去)の証言のみは誤りを認めるが、他は一歩も引かねえぞと“逆ギレ”のような釈明をしている。

こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。(『朝日新聞』〈8月5日〉)

以前この『時事日想』のなかで、「報道」というのは「茶道」や「華道」と同じく厳密な作法があると述べた。それは、いかに頭を下げないでやり過ごすか。世間から叩かれようが、権力者から抗議がこようが、街宣車がワーワー騒ごうが、「取材には自信をもっております」と涼しい顔で切り返す。それこそが「報道」の真骨頂だ。そういう意味では、「さすが家元、けっこうなお手前でした」と唸ってしまうほどの期待を裏切らない記事である。

この「~~という指摘もあります、しかし、~~だけは同意できません」という“朝日話法”を使えば、被害回復などの責任問題をウヤムヤにできるうえ、体面も保つことができる。これから謝罪会見などで朝日の社会部記者に厳しく断罪されるような企業はぜひとも参考にしていただきたい。

●ますます謎が深まった

ただ、そんな朝日の検証記事を読んでみて、ますます謎が深まったことがある。

それは、吉田清治の動機である。どういう目的で、どういう得があって、彼はこのようなデマカセを触れ回ったのか。ガセネタを食わされた“被害者”のような書きぶりなのだから、このあたりのもうちょっと探ってもいいはずなのに、朝日は気持ちいいくらいにスルーしている。

仕方がないので、他の報道を見ていたら興味深い話を見つけた。『SAPIO 9月号』(小学館)に寄稿している元朝日新聞記者であるジャーナリストの前川惠司氏によると、ご自身が川崎支局員だった1980年ごろに吉田清治からネタの売り込みがあったというのだ。

横浜市内の吉田清治のアパートで3~4時間話を聞いたそうで、山口県労務報国会にいて、朝鮮の慶尚北道キョンサンプクト、けいしょうほくどう:日本統治時代の朝鮮の行政区画のひとつ)「徴用工狩り」をした体験を語ったらしい。ただ、強制連行したという現場を聞いてもはっきりせず、辻つまの合わないところがあったという。

当時からうさん臭さ満点の情報提供者だったというわけだが、特筆すべきはこの時点で後に彼のメシのタネとなる「慰安婦狩り」についてはまったく触れていなかったということだ。つまり、1980年にはまだ“シナリオ”ができていなかったのである。

では、そんな吉田清治が「慰安婦狩り」という物語を創作したのはいつ、なにがきっかけなのか。吉田のことが書かれた記事が朝日で初掲載されたのは1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で行った講演で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とぶちまけた。つまり、シナリオは1980年から1982年の間に練られたということになる。

ご本人もすでに鬼籍に入っているので真相は分からないが、この2年の間に吉田氏にインスパイアを与える「何か」があったと考えるのが自然である。

●経歴がほとんどウソ

いったい何か。個人的には1981年から『しんぶん赤旗』で連載された森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』が関係しているのではないかと思っている。

ご存じのように、旧日本軍で人体実験を行っていたとされる「関東軍731部隊」について赤旗記者の下里正樹氏の取材に基づいたもので「日本軍のおぞましい戦争犯罪」を告発したノンフィクション小説として大きな話題になった。

1963年、吉田は『週刊朝日』の「私の8月15日」というテーマでの懸賞手記に応募して佳作をとっている。早くから戦争体験でメシを食いたいという志向があった。そんな人物が『悪魔の飽食』を目にしたらどう思うだろう。

単純に「悔しい」と思うのではないか。「人体実験」と比べたら、畑仕事をしている朝鮮人を無理矢理トラックにのせて連れ去るなどパンチが弱過ぎる。もっとエグく、もっとインパクトのある戦争犯罪に“脚色”しなければ埋没してしまう。そんな風に思わなかったか。

そう考えると、これまではまったく言及されなかった「慰安婦狩り」がなぜ1982年にポンと飛び出したのかが分かる。ただ、その一方で、吉田清治(本名・吉田雄兎)という人物が単なる詐話師レベルではないほど怪しい人物であることもまた事実だ。

吉田のウソをいち早く見抜いた秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)を読むと、吉田清治という人物の経歴がほとんどウソでかためられていたことが分かる。本人が在籍したと言い張る大学や勤務先には、そのような記録は残っていなかったという。確かに、私自身、下関へ仕事に行った際に時間があったので、吉田が下関市議に出馬したころの住所へ行ってみたが、そこには彼やその一族のことを知る者を見つけることはできなかった。

吉田清治のバックグラウンド

これは一般的な話だが、戦争犯罪を“捏造”する人というのは、なにかしらの政治的なバックがあることが多い。有名なのは、1990年の湾岸戦争で、イラク兵が産婦人科病院で生まれたての乳児300人以上を床に投げ捨てて虐殺したと証言した15歳のクウェート人少女である。

この告発によって“イラク許すまじ”という世論が高まって戦争へと突入したわけだが、後に吉田清治の「慰安婦狩り」と同様に真っ赤なウソだったことが明らかになる。少女は在米クウェート大使の娘さんで、クウェートから世論形成を請け負ったPR会社の書いたシナリオどおりに「イラク戦争犯罪を目撃した少女」を演じただけだった。だったら、この経歴不明の怪しい男も、なにかしらの依頼を受けて「吉田清治」を演じていたと考えられないか。

1970年ごろに日ソ協会役員をしていた男が80年代になるとまるでなにかの“天啓”を受けたかのように突然、「慰安婦狩り」を触れ回ったのはなぜなのか。

今回、朝日が出した記事は「謝罪」でも「訂正」でもなく、「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という上から目線の解説記事だった。

無知な我々に「慰安婦問題の本質」を教え諭すのもいい。そういう新聞だ。ただ、吉田清治にすべての罪をかぶせるのなら、せめてもうちょっと彼のバックグラウンドを調べて教えてくれないか。


[窪田順生,Business Media 誠]