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チベット人の焼身抗議 チベット問題を考える会代表、真言宗十善院住職 小林秀英師に聞く

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チベット人焼身抗議 チベット問題を考える会代表、真言宗十善院住職 小林秀英師に聞く


中国政府が人権弾圧・宗教迫害

 中国に弾圧されているチベット人焼身抗議が135人に上った。土地を奪われ、政治的権限を失い、さらに民族文化と宗教を破壊され、経済を収奪されているチベットの悲劇は、日本にとって対岸の火事ではない。同国の現状と近代化と深くかかわってきた日本人の活躍など、チベット問題に造詣の深い小林秀英(しゅうえい)師に話を伺った。

(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
国家・民族を憂う行動/対岸の火事ではない日本
信教の自由を守ることが脅威の本質明らかにする
 ――チベット人焼身抗議が相次いでいる。
http://vpoint.jp/wtview/wp-content/uploads/400124.jpg 焼身抗議が中国チベット自治区で始まったのは2009年2月で、08年の騒乱で多くのチベット人武装警察に殺された1年後である。これまでに135人が焼身抗議をしている。
 中国政府による大規模なチベット宗教迫害は、2001年6月に東チベットで起こったラルン・ガル僧院の破壊に代表されよう。同院には約1万人の修行者がいて、うち数千人は中国国内をはじめ台湾やマレーシアから来た漢人だった。チベット仏教漢人にまで浸透したことに脅威を感じた中国政府は、数百人の漢人労働者に2千以上の僧坊を破壊させた
 最初の焼身抗議が行われた時、驚いた武装警察は炎に包まれた僧を銃撃した。私は、「炎に包まれた僧侶を射殺した」と記事に書き、講演で話してきたが、2年程前に当局がその僧侶は生きていると発表した。しかし殺されてはいなかったにしても、銃撃されたのは事実で、それをベトナム人に話すと「考えられないことだ」と驚く。仏教僧ティック・クアン・ドックがベトナム政権に抗議して1963年に焼身自殺し、世界的な話題になったからだ。
 僧侶が尊敬されているベトナムでは、炎に包まれた僧侶を銃撃するなどあり得ない。ところが、中国ではその後も、焼身抗議をしている僧を警察が銃撃する事件が起きている。彼らには僧への畏敬の念などないからだ
 ――焼身抗議までして訴えたいこととは?
 焼身抗議をした僧の遺書を紹介したい。2012年1月8日に焼身抗議した高僧のソバ・リンポチェ師は次のような遺言を残した。
 「己の名誉のためでなく、身命を投げ捨てて、全ての有情の悪業を懺悔(ざんげ)したい。心から彼ら中国人たちの悪業を浄化したい。またダライ・ラマ法王をはじめとする全てのラマが永遠の命を保たれるために、私の身命をマンダラと化し捧げたい。
 この行為は自分のために為すのではなく、名誉のために為(な)すのでもない。清浄なる思いにより、今生最大の勇気をもって、仏陀が飢えたトラに身を捧げたように為すのだ。
 間違った思いにより祖国チベットに対し、危害を及ぼす有形無形のもの、思いと行動が邪悪な侵入者が、三宝(仏、法、僧)の真理の力によって根こそぎにされますように。
 法友信者たちに願う。みんな一致団結し手を取り合って、将来輝きに満ちた一つの国家を取り戻すために奮闘せよ。若者たちはチベットの文化を尊重し学び、年配の者たちは自らの身口意(しんくい)(行動と言葉と心)を善なるものとし、チベット人の習慣と気質、言語等が衰退しないように努力しなければならない」
 彼の焼身抗議は家族や民族、国家のためであったことが分かる。
 ――チベットを支配する中国の目的は?
 チベット亡命政府チベット自治区のほかに、チベット人自治州、自治県のある青海省の全部と四川省の西半分、甘粛省雲南省の一部もチベットの領域だと主張している。これは中国国土の実に4分の1を占めている。
 チベットを侵略した中国の目的は、第一に漢民族の移住先の確保である。実際、毛沢東スターリンにその目的を告げ、ダライ・ラマ法王の自伝『チベット我が祖国』の中でも、法王自身が指摘している。
 第二は戦略上の位置で、チベット高原を押さえると、東アジアから南アジア、中近東にも目が行き届く。実際、チベット高原にはいくつものミサイル基地が築かれている。第三がチベットの豊富な地下資源である。
 中国の土地・資源省は1999年からチベット全土の地下資源調査を行い、地質学地図と報告書を作製した。それによると、チベット全土に、192種類の鉱物と147カ所の鉱山もしくは鉱脈がある。14兆円相当の新たな16カ所の銅、鉄、鉛、亜鉛、ウランの鉱床が発見された。
 チベットの銅の埋蔵量は4000万㌧で、新たに1800万㌧の鉱脈が発見され、世界の5~6%の埋蔵量に匹敵する。
 良質な鉄鉱石が10億㌧あり、北部には石油・天然ガスの推定埋蔵量が300万㌧とされる。電力資源も豊富で25万メガ㍗の発電の可能性を秘めている。
 チベットには森林などないと思われがちだが、東チベットには鬱蒼(うっそう)とした原生林があり、チベットが侵略された1949年には22万1800平方㌔㍍もあった。以後、その40%を伐採し、85年の時点の森林面積は13万4000平方㌔㍍であった。
 中国政府はこの森林伐採で6兆円の利益を得ている。こうした資源をさらに収奪するために、チベット高原からチベット人を抹殺してしまおうとしている。
 ――日本とチベットとの関係は?
 真言宗など中国経由で日本に伝わった密教は初期から中期のものだが、チベットには後期密教が伝わり、サンスクリット語から翻訳したチベット大蔵経がある。
 大乗仏教の最後に出てきた密教は仏教の集大成の教えとも言えよう。仏教国日本にとって、チベット大蔵経は仏教研究の上からも大きな価値を持っている。
 日本はチベットの近代化に大きく貢献している。黄檗(おうばく)宗僧侶の河口慧海(えかい)は1900年、日本人として初めて鎖国時代のチベットに入り、3年間滞在した。支那人僧に扮(ふん)して寺に入った慧海は、信頼を得て前蔵相の邸宅で暮らしていたが、正体が露見し、脱出した。
 03年に帰国した慧海は、チベットでの体験を新聞に発表し、『西蔵旅行記』を刊行して評判になった。
 1911年には西本願寺大谷光瑞法主の命を受けて僧の青木文教と多田等観がチベットに入った。文教はダライ・ラマ13世の顧問格となり、学校制度の確立や軍の近代化、地下資源の調査など僧とは思えない活動をしている。彼チベット軍のツァロン司令官と作った軍旗が、今のチベット国旗「雪山獅子旗」で、デザインの旭日は日本軍の旗を参考にしたと思われる。
 多田等観は10年間、セラ寺で仏教を学び、帰国後は関東軍ラマ教の対策顧問として満州に招かれた。このことからも、日本軍は中国軍と異なり、チベット仏教を守ろうとしていたことが分かる。12年に入国した探検家の矢島保次郎は、近衛隊の隊長になり隊の教練に当たっている。
 ――日本がチベットを支援する意味とは?
 今、チベットで起きていることは、将来の日本でも起こるかもしれない。同じ仏教国として、チベット人の信教の自由を守ることが、中国の脅威にさらされている日本の危機の本質を日本人に知らせることになろう。
 1948年、東京都生まれ。上智大学独文科を卒業し、長野市の活禅寺で修行。大正大学真言修士課程を修了して、立川市真言宗智山派十善院を建立した。85年12月末、インドのベナレスで開催されたカーラチャクラ(灌頂伝授会)に参加してチベット難民と出会う。87年10月末、チベット自治区のラサで大規模な抗議運動が勃発したのを機に「チベット問題を考える会」を立ち上げ、以後、チベットの宗教迫害と人権弾圧を訴える活動を展開している。90年にチベット人女性と結婚。翻訳書に『雪の国からの亡命』『チベット白書』『チベット仏教の真髄』がある。日本会議東京都立川支部事務局長。