中心は 成田闘争や 学園紛争を経験した70歳近くの人々。
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辺野古とオスプレーは 覇権を狙う中国には大きなプレッシャーであるのに気が付かないのか!
2015.11.10 11:00
【衝撃事件の核心】「反戦」京大中核派のバリケード封鎖 新左翼運動に垣間見える〝保守化〟 機動隊介入前に撤去したのは一般学生だった
http://www.sankei.com/images/news/151110/wst1511100005-n1.jpg 京都市左京区の京都大吉田南キャンパスで10月下旬、反戦や大学への不満を訴える20~30人の学生らが、吉田南1号館を一時、バリケード封鎖し、教職員や学生らが建物内に入れなくなる騒ぎがあった。学生運動によるバリケード封鎖といえば、昭和44年1月の東大紛争が有名だ。このときは、東大・安田講堂に警視庁機動隊が突入して封鎖が解除されたが、今回の京大バリケードは、周囲にいた一般学生たちが「他人に迷惑をかける」とバリケードを解いた点が興味深い。安保関連法案をめぐり、学生団体「SEALDs(シールズ)」が注目を集めるなど、従来と異なる潮流がみられる中、バリケード封鎖という反対運動の手法の歴史をひもとくと、40年以上にわたり伝統的な手法を守り続ける新左翼運動の〝保守化〟も垣間見える。
学生の意思示すため…
京大でバリケードをつくったのは、中核派系全学連のメンバーだ。マイクで主張をアピールしていた学生たちによると、京大だけでなく、法政大や広島大などの学生も加わっていたという。これらは、以前から中核派が〝拠点校〟としてきた学校でもある。
今回の〝ストライキ〟の代表という京大工学部の男子学生(24)は校舎を封鎖した理由について、次のように説明した。
「安倍政権が戦争の道に進んでいることに対し、大学は反対の姿勢を示していない。学生の意思を示すためにストライキを行った」
訴えたいことはもう一つあったという。「昨年の京大の公安侵入などに対し、山極(寿一)総長は『学内での捜査に協力したい』と述べた。もはや京大は『中立』でも『リベラル』でもない」
この発言には少し補足が必要だろう。
京大では昨年11月、過激派対策などを担当する京都府警警備2課の警察官がキャンパス内に入り、学生らに取り押さえられる騒動があった。府警と京大との間には、警察官が大学構内に立ち入る際には事前通告を行うという申し合わせがあった。
このとき、警察官が大学構内に立ち入ったことについて、京大側も「事前通告なしに警察が立ち入ったことは誠に遺憾」とするコメントを発表していた。しかし、バリケード封鎖を行ったメンバーたちは、こうした大学側の対応にも納得できなかったようだ。
代表を名乗る学生は、封鎖を行った意義について「キャンパスで授業が平常に行われる限り、大学の現状維持をどこまでも許すことにしかならない」としていた。
一般学生「他人に迷惑」
10月27日の京大バリケードに話を戻す。
学生や教職員が建物内に入ることができなくなると、授業などを行うことができなくなる。この事態を受けて京大は、教室の振り替えなどの措置をとるとともに、京都府警に出動要請をした。
しかし、警察の出動を待たずして午後1時ごろに事態が動いた。バリケードのメンバーとは別の学生たちが、「他人に迷惑だ」などとして立て看板を撤去し始めたのだ。
バリケードを撤去した学生の1人で、工学部1年の男子学生(19)は「封鎖を迷惑だと感じた学生たちで自然に集まって行動した」と説明した。
封鎖を行っているメンバーについて、「ストをしている人は『大学が意見を押しつけている』と主張していたが、建物を勝手に封鎖することも、ほかの人に対する意見の押しつけじゃないか」と指摘した上で「個人的に意見を主張するのは構わないが、封鎖は迷惑」と話した。
周囲の反応も封鎖に手厳しく
こうした様子を周囲から眺めていた学生たちの反応はどうだろうか。
ただ、校舎を封鎖したという手法については、手厳しい声が多かった。
ある男子学生は「他の大学の人が多いみたいで、外部の人に大学をめちゃくちゃにされているようにしか感じない」。法学部1年の女子学生(20)は「封鎖された校舎はリポートの提出場所で、授業も変更になったりして迷惑」と話していた。
かつてのバリケード封鎖では…
当時の彼らにも大学でバリケード封鎖をしたそれぞれの〝理由〟があった。
当時バリケードの中にいた人たちは、今は70歳前後の年齢だ。大学時代にバリケード封鎖をしたことがあるというある男性は「当時は今と異なり、携帯電話もインターネットもない時代。何か主張を伝えようと思ってもビラをまくぐらいのことしかなかった」と説明する。「強引なやり方ではあったが、バリケードをつくれば学生たちの注目が集まる。それに乗じて、多くの人に問題に関心をもってもらおうという狙いがあった」
別の経験者は「大学の先生たちも、昔はもっと偉そうで、権威的だった。その割に授業はいい加減。そうした大学の姿勢を批判する思いがあった」と話した。
バリケードのなかでは、みんなで飲酒をするなど、お祭り騒ぎのようなこともしていたというが、封鎖している学生たちが研究者たちを講師としてバリケードの中に招いて「自主講座」を開催するなど、勉学の場となったこともあったという。
「批判は議論のきっかけになる」
また、関西の大学で、学生運動の経験がある別の男性は「昔も封鎖を行えば、それを批判する学生もいた。それは議論を行うきっかけにもなった」と振り返る。「理解してもらえないことはあったが、議論する中で、自分たちの意見に賛同してもらえるきっかけになったこともあった」
しかし、今回の京大バリケード封鎖については、やや冷ややかだ。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やスマートフォンの普及を指摘した上で「自分たちの主張を広く伝えるツールは昔と比べて格段に増えた。にもかかわらず、あえて半世紀近く前から続く伝統的な学生運動の手法を選ぶなんて、やり方が保守的だと感じた」。
一方で「主張の中身にかかわらず、学生が世の中のことを考え、自由に何かをできるのも学生の特権かもしれない。バリケードを批判する学生がいたら、バリケードをつくっている学生にとっても議論の好機でもあったはず。じっくりと討論したら良かったのに」と話していた。
バリケードをつくったメンバーは、一般学生に撤去されたことについてどう感じたのか。
「どういう思いでバリケードを破壊したのか分からない。破壊した学生たちには、今まさに始まろうとしている戦争に対してどう考えているのか問いたい」
実は今回、バリケード封鎖をした学生たちのほとんどは、校舎を封鎖するのは初めてだったという。
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