熊本地震で最大震度7を観測した熊本県益城町。倒壊した自宅の横に立つ住民ら(2016年4月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI〔AFPBB News

 7月17日午後1時24分頃、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.0の地震が発生し、茨城県南部・埼玉県北部および南部・千葉県北西部・神奈川県東部で震度4、東北地方から中部地方に至る広い地域で揺れを観測した。資料整理のため休日出勤していた筆者は、久々の縦揺れを感じて肝を冷やした。

 また7月19日には千葉県東方沖を震源とするマグニチュード5.2の地震があり、千葉県南東部で震度4の揺れを観測した。20日の朝にも茨城県南部を震源とするマグニチュード5.0の地震が起きた(最大震度4)。
 このところ茨城県~千葉県を震源とする地震が相次いでいる。しかし気象庁はその原因について何ら説明を行っていない。
熊本地震が発生してからはや3カ月が過ぎた。だが、被災地域では現在も余震が続いている。
熊本地震については、発生直後のコラム(4月19日「熊本地震を教訓に直下型への備えを急げhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46628)で「熱移送説」を提唱している角田史雄埼玉大学名誉教授の解説を紹介した。
 その後、角田氏のほうから「熊本地震をはじめ、日本で発生する地震の仕組みを広く一般の方々に理解してもらうために本を書きたい」との要望があり、7月21日にPHP研究所から「次の『震度7』はどこか!」という書籍を緊急出版することになった(角田氏と筆者の対談方式)。今回はその概略を紹介したい。

地震は「熱エネルギーの伝達」によって起きる

 角田氏が提唱する「熱移送説」について、改めてそのポイントを紹介したい。

・熱移送説が唱える地震発生のメカニズムは「プレートの移動」ではなく「熱エネルギーの伝達」である。1960年代後半に提唱されたプレートテクトニクス説(以下「プレート説」)はその後の観測事実により様々な矛盾が指摘されている。だが、日本ではその事実がほとんど知られていない。例えば「マントルが対流することでプレートが動く」と言われてきたが、多くの研究者が計算を行った結果、マントルの対流による摩擦力だけでプレートを動かすことができないことが分かってきた。このため「何がプレートを動かすのか」は、いまだにはっきりしない。

・火山の噴火と地震の発生原因は同じである(一連の火山・地震過程を「VE過程」と呼ぶ)。熊本地震以降「活断層」が地震の原因のように言われているが、大地の裂け目である活断層は長い時間が経過するとくっついてしまうため、自ら地震を発生させることはない。しかし、熱エネルギーによって地下の岩層が膨張して割れることで、地震が発生する(古傷跡の活断層は熱エネルギーで生き返る)。

・地球の中心(外核)から高温の熱エネルギーが南太平洋(ニュージーランドからソロモン諸島にかけての海域)と東アフリカの2カ所へ出てくる。南太平洋から出てきた熱エネルギーは西側に移動しインドネシアに到達すると、3つのルートに分かれて北上する。

・3つのルートとは、(1)インドネシアスマトラ島から中国につながるルート(SCルート)、(2)インドネシアからフィリピンに向かい台湾を経由して日本に流れるルート(PJルート、今回の熊本地震に関連する)(3)フィリピンからマリアナ諸島に向かい伊豆諸島を経由して伊豆方面と東北地方沿岸へ流れるルート(MJルート)、である

・熱エネルギーは1年に約100キロメートルの速さで移動する。
・地球の内部構造が約10億年間も不変であることから、火山の噴火と地震の発生場所は ほぼ変わらない。
 以上が熱移送説の概略である。

50年前にもあった群発地震

 角田氏は今回の熊本地震について「松代(まつしろ)群発地震」との比較が参考になると指摘している。松代群発地震とは、1965年8月に長野県埴科郡松代町(現・長野市)付近で約5年半もの間続いた、世界的に見ても稀な長期間にわたる群発地震のことである(震度1以上の有感地震は6万2826回)。

 松代群発地震についてはネットで簡単に検索できるにもかかわらず、熊本地震の発生後にマスコミに登場した地震学者は「前例のない群発地震」という指摘を繰り返すばかりで、松代群発地震のことに一切触れなかった。
 松代地区には「松代地震センター」が存在し、当時の記録や写真などが保存されている。地震学者たちが松代群発地震のことを知らないはずはないと思うのだが、あえて黙殺するのは、この地震の存在がプレート説にとって「不都合な真実」なのではないかと勘ぐりたくなる。

 松代群発地震の活動期には、震源地に近い皆神山(標高659メートルの溶岩ドーム)が発光するという怪現象が生じた(真夜中なのに夕暮れのようにボーツと明るくなった)。このことから「熱せられた鉄が光るように地下の岩層が熱せられている」と考えた当時の地震学者たちはこのような事象を丹念に精査して角田氏が提唱する「熱移送説」とほぼ同様の結論に至ったと言われている。

 しかしその直後に日本にプレート説が紹介されると、日本の地震学はプレート説に染まってしまった。そのため、松代群発地震の調査結果はすっかり忘れ去られてしまった。
 当時は「熱機関説」と呼ばれていたが、この学説が順調に発展していれば日本の地震予知に関する状況は全く変わっていたものになっていたのではないかと思うと残念でならない。

事前の地震活動が顕著だった「北伊豆地震

 ここで「死んだ子供の歳を数えても仕方がない」が、気になるのは、角田氏がかねてより「2017年から2018年にかけて、伊豆・相模地域で大規模な直下型地震が発生する」と警告を発していることだ。

 前述の「MJルート」の線上にある小笠原諸島西之島(東京の南約1000キロメートルに位置する)の海底火山が噴火し、2014年10月に八丈島(東京の南約287キロメートルに位置する)東方沖でマグニチュード5.9の地震が発生した。角田氏は、この熱エネルギーが2017年から2018年にかけて伊豆・相模地域に到達することになると予測している。

 角田氏によると、「マリアナから伊豆諸島へのVE過程の活動期の間隔は約40年」だという。約40年前の1978年1月に、「伊豆大島近海地震」(マグニチュード7.0、震源の深さは0キロメートル、死者・行方不明者は26名)が起きている。さらにその約40年前の1930年11月には、「北伊豆地震」(マグニチュード7.3、震源の深さは不明、死者・行方不明者は272名)が発生している。

 筆者が再来を恐れているのは「北伊豆地震」のほうだ。
 1930年11月26日早朝に発生した北伊豆地震は、地元では「伊豆大震災」とも呼ばれている。震度7の激しい揺れを伴い、地震断層が掘削中のトンネルを塞いでしまうほどの大地震だった。その痕跡が東海道線丹那トンネルに今でも残っている。

 北伊豆地震の特徴は、事前の地震活動が非常に顕著だったことだ。北伊豆地震が発生した1930年2月13日から4月10日頃まで、東伊豆・伊東沖では地震がたて続きに発生した。その後も5月8日から再び地震活動が活発になり、8月までに伊東を中心とした地域で1368回もの有感地震が発生している。

地震活動は一時的に沈静化したが、11月に入ると新たな群発地震伊豆半島の西側で発生し、本震前日の25日までに2200回を超える地震を記録した。そして11月25日午後4時5分にマグニチュード5.1の前震があり、26日未明に本震が発生した(前日の午後5時頃から翌日の明け方にかけて静岡県南部を中心に発光現象が生じたと言われている)。

 当時、中央気象台(現在の気象庁)は11月17日と18日に現地調査を行い、本震が発生した11月26日に飛行機による詳しい観測を行おうとしていた。これにより地震の前兆現象を見つけることができたかどうかは定かでないが、11月27日の朝日新聞は「口惜しがる気象台 大地震を予知して準備中にこの災厄」という記事を掲載し、極秘裏に静岡・神奈川両県知事などと協議を行っていた中央気象台が返すがえす残念がっている様子を伝えている。

最近頻発する地震は「飛び跳ね地震」か

 現在のMJルートの状況に話を戻すと、7月11日から12日にかけて八丈島近海でマグニチュード4~5クラスの地震が4回発生し、7月18日には伊豆大島近海でマグニチュード2.8の地震が起きている。7月20日にも伊豆半島の西側の駿河湾マグニチュード4.1の地震が発生している。

 まさに、角田氏が「伊豆・相模地域の直下型地震が起こる前には、必ず伊豆大島近海で前兆現象が見られる」と指摘している通りの展開となっているのだ。

 角田氏は「大きな地震が起こる前に小さな地震や中規模の地震があちこちで飛び跳ねるようにして発生する」とも指摘している。首都圏を襲った1923年の関東大震災は、マグニチュード7.9の巨大地震だったが、その発生前に相模川多摩川などの地震集中帯を飛び跳ねるようにしてマグニチュード5~6クラスの地震が発生していたという。

熊本地震の前震が起きた直前の4月14日に、東京23区を震源とする地震マグニチュード3.6)が発生し、5月下旬以降、茨城県南部や千葉県東方沖などでマグニチュード3~5クラスの地震が頻発している。冒頭で触れた地震を含め、角田氏は「飛び跳ね地震である可能性が高い」と捉えている。

熊本地震の被害は甚大だったが、伊豆・相模地域を直下型地震が襲えば山間の交通網が寸断され当該地域は「陸の孤島」になってしまう可能性が高い。また、これまでも指摘している通り、この地域を通っている東海道新幹線東名高速道路の縦揺れ地震対策の遅れは深刻である。

さらに角田氏の予測通り伊豆・相模地域で直下型地震が発生すれば、北伊豆地震発生の翌年の1931年9月に西埼玉地震マグニチュード6.9)が起きたように、その直後に埼都地震帯(埼玉県南西部を経て東京湾北岸から千葉県中央部・東方沖にかけての地域)での直下型地震に備える必要が出てくる(角田氏は「足立区や川口市あたりが危ないのではないか」と懸念している)。

地震のメカニズムについてはさまざまな理論や研究があるが、いまだに正確な予測ができていないのが現状だ。だが、どれだけ用心してもしすぎることはない。角田氏のような理論があることも踏まえ、国を挙げて一刻も早く直下型地震に関する抜本的対策を講ずるべきであろう。
北伊豆地震の予知をすんでのところで逃してしまった中央気象台の失敗を私たちはけっして繰り返してはならない。