インドの中国国境防衛、命がけで道路建設
崖のような現場、重機は分解してヘリで空輸
【TAME CHUNG CHUNG(インド)】ヒマラヤ山脈東部にある垂直に近い斜面で、労働者たちが岩場を爆破したり切削したりしている。インド政府が最優先する全長約55キロの軍用道路建設プロジェクトだ。
道路の先にはインドと中国が領有権争いを続ける国境がある。
そこから遠く離れた首都ニューデリー――車、鉄道、飛行機を使っても、徒歩も含めて到着するのに6日間かかる――では、首相府が工事の進捗(しんちょく)状況を監視している。ナレンドラ・モディ首相は強力な隣国中国に対抗しようと、数十億ドル規模のインフラ建設計画の大幅強化を図っているところだ。
インドが戦略上重要な道路の建設を加速しているのは、武力衝突が起きた場合に国境に兵力や物資を迅速に輸送したり最新鋭兵器を配備したりするためだ。中国は既に自国側に大規模なインフラを整備している。
「今は平時ではない。われわれはギアチェンジした」。プロジェクトを監督するインド政府高官は言う。
中国政府はインドとの国境地帯に広がる約9万平方キロを南チベットと呼び、領有権を主張している。これはインドのアルナチャルプラデシュ州のほぼ全域だ。今週にはチベット仏教の精神的指導者ダライ・ラマ14世が同州を訪問し、ダライ・ラマを分離主義者と非難する中国とインドの対立をあおる結果となった。両国の対立は国境問題だけにとどまらない。
ダライ・ラマはアルナチャルプラデシュ州滞在中、タワン僧院を訪問する予定だ。ダライ・ラマは1959年、中国政府によるチベット弾圧から逃れ、同僧院に逃げ込んだ。数十年に及ぶインド亡命はここから始まり、両国間のしこりは今も消えていない。
中国外務省はダライ・ラマが同州を訪問することで国境の安定を著しく損なうと述べた。これに対し、インドのキレン・リジジュ内務担当閣外大臣は「自由で民主的な国家として、インドは自国の領土である地域への宗教的指導者の訪問を制限しない」と述べた。
インドと中国を隔てる全長3540キロの国境――その4分の1がアルナチャルプラデシュ州内にある――のほとんどは確定していない。インドの政府関係者によると、2週間前には、断崖の建設現場からそう遠くない場所で中国の兵士がインド領に入ったという。両国の兵士の間の小競り合いは上官が介入するまで数時間にわたって続いた。兵士は翌日まで退去しなかった。
アルナチャルプラデシュ州――戦略的に重要な地域だが人口は少ない――の領有権を主張し、開発を進めるため、モディ政権は2016~17年に9億ドル(約996億円)の道路契約を発注した。これはその前の2年間の規模の5倍に上る。2020年までに全長640キロの道路建設を完了するため、新たな政府企業が土地の取得や民間建設会社との契約を進めている。
インド政府の建設計画で最優先されているのが冒頭で紹介した55キロの道路だ。道路の終わりにあるのは戦略上重要な国境の村Taksing。この村は海抜約2440メートルのところにあり、ここに配置された兵士は燃料や卵、砂糖などの生活必需品をヘリコプターやかごを背負った運搬人に頼っている。運搬の任務を任されているのは軍の将官がトップを務める政府機関だ。
ヘリコプターでの物資輸送は5回に1回は予想外の天候の変化に見舞われる。だからこそ軍事計画担当者は道路が欲しいのだ。
この道路プロジェクトにかかる予算は昨年倍増され、完成期限は2024年から2018年に前倒しされた。インドは時間のほかにも、自然や地形とも戦っている。現場はかなりの奥地にあるため、ブルドーザー1台を9つに分解して軍用ヘリにつるして1つずつ320キロの距離を運ばなければならない。
ダンプカーやカタピラ車、掘削機も同じようにして運ばれている。3月までの1年間でインド空軍が運んだ機材は290トンに上る。橋も新たに6基建設された。軍はこの地域への立ち入りを制限している。
割れた不安定な岩場と6カ月に及ぶモンスーンのせいで現場は危険がいっぱいだ。ごつごつした岩の斜面を爆破したあと、作業員のタジ・ナチョさん(20)は不安げに、崩れ落ちそうに突き出したぎざぎざの岩を何時間も眺めていた。ナチョさんの作業チームは120センチしか進めない日もある。
「ここの山は見た目とは違う。何層にもなっている」とナチョさんは言う。先日は岩の破片でケガをした。「何が凶器になって命を落とすか分からない」
Photo: KARAN DEEP SINGH/THE WALL STREET JOURNA
昨年11月には当局が別の州から熟練作業員60人を連れてきた。2カ月後、失業して不満を感じていた部族系住民によって殴られたり嫌がらせをさインドはこうした理由から長い間、この地域に手を付けなかったが、理由はそれだけではない。インドには、道路を作れば、中国がインド領に攻め込みやすくなるという懸念もあった。1962年の中印紛争時には中国の兵士がアルナチャルプラデシュ州に侵攻した。道路建設現場のそばには、多くの敵兵を殺害したとされるインド兵シェール・タパの記念碑が置かれている。
中国が国境周辺のインフラ整備を大々的に進めると、インドも2000年代以降、徐々に方針を変更した。あるインド政府高官はデジタル地図で中国の道路や町を指しながら言った。「見てくれ。何という計画力、なんという実行力だろう。われわれが追い付くにはだいぶ時間がかかる」
中国が道路や町を建設したのは主にチベット台地で、気候も乾燥している。インドのような規制もない。
一方、インドでは資金が不足しているほか、長雨で地滑りも起きる。地元住民の要求や環境関係の認可にも対応する必要がある。山の側面が崩れて、何年もかかって建設した道路が19キロにわたって崩落したこともある。別の区画では、ジャコウジカが生息する野生生物保護区を避けて通るように建設計画を変更しなければならなかった。
政府は、地元のタジン族が山や河川、樹木について先祖から引き継いだという所有権を巡って交渉を続けている。政府は滝から水を採取する代わりに部族の家族を建設現場で雇ったり、川のそばに建設資材を保管できるように部族に報酬を支払ったりしている。
トパック・ケムドさん(35)は先週、雨の中を山に向けて出発した。道なき道を7時間歩いて兵士たちに20リットル入りのディーゼル燃料1缶を届けるためだ。1缶あれば発電機1台を10時間運転できる。
ケムドさんは木材とロープでできたつり橋を渡り、生い茂った木々の中を歩き、急な斜面を乗り越えた。ヘビの恐怖にもさらされた。岩の割れ目ははしごで渡った。
途中でケムドさんは国境からそれぞれの基地に帰任する歩兵にあいさつした。兵士が徒歩で国境を出たのは28時間前。途中で一夜を明かしていた。
「非常に困難な仕事」とケムドさんは言った。「道路の完成を心待ちにしている