パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

チベットのお釈迦様月「サカダワ」も、あと残すところ一週間となりました



 
2017.6.15号
こんにちは。アマナマナのクリハラです。いかがお過ごしでしょうか。

チベットのお釈迦様月「サカダワ」も、あと残すところ一週間となりました。この月の持つパワーをフルに活かしたいですね。

ところが、そんな大切な月に限って、幸せや喜びにあふれた状態にならないこともあります。他の人が10万倍のハッピーリターンを手にするだろうこの大切な月に、自分は悩みや苦しみにほだされて、みじめで不幸な状態。サカダワへの期待と現実とのギャップに落ち込むこともあります。

私が初めてチベットを訪れた年のこと。その年のサカダワに私は過労で精神を病み、カウンセラーにかかっていました。意味もなく、自分を消したくなる衝動や無力に陥っていました。しかし、その一か月後、縁が縁を呼び、チベットの高僧のご縁まで得て、ダライラマ法王の生まれ故郷に近いチベット高原のど真ん中に立っていました。

圧倒的に美しい自然の中で、私はそれまで心に閉じ込めていた行き場のない感情が、まるで風船を飛ばすかのように次々と手を離れ、生きる喜びと感動に変わっていくのがわかりました。チベットを去る日には、最後の峠で太陽の周りに美しい虹が丸くかかりました。高山植物の美しい香りに包まれながら、「これでもう大丈夫。ありがとうございます」。こころからそう思えたことを、今でもクッキリと思い出すことができます。

サカダワは、決して幸せでなくてはいけない月ではありません。私たちはさまざまな感情や出来事を通じて、進化できるしくみになっています(仏教的には、それらすべての感情、煩悩を超えると悟りの境地とされています)。

自分が望まない出来事に、なぜ?と理由を求めても、答えは出ないどころか無間のループにはまります。チベットではそれを「悪しきカルマを積む」とされています。もし自分が苦しくなったら、温かく、心の底からこみ上げる愛と慈悲の方向に一歩踏み出してください。

以前、お便りでもご紹介しましたが、愛のあり方に関する私の質問に、チベットの高僧はこうお応えになりました。

「愛というものは、特定の人を想い焦がれるというよりも、もっと広いこころのあり方です。誰を、ではなく、生きとし生けるものすべてに対する慈悲と思いやりを持つことができるのが愛です。本当の愛からは、執着や嫉妬、人を卑下したり責める行いは生まれません。愛は、すべてを受け止め、許すことができる、とても高次な人間のこころのあり方なのです。」

サカダワの今、もし、つらい悩み、苦しい局面を迎えている方は、まさにそこから踏み出し、次の扉を開けるチャンスを与えられているのだと思います。大丈夫です。そのまま前に進んでください。私もチベットを訪れた際に高僧にそう言われました。私があの時、無間のネガティブループから歩み出さなければ、神々は私を一か月後、チベット高原に立たせてはくれませんでした。そして、今のアマナマナもなかった、と思います。

今年も
サカダワの考えに多くの方がご賛同くださいました。ありがとうございます。お一人でも多くの方の温かい気持ちとつながれたら、アマナマナはこれ以上にうれしいことはありません。

そして、あと一週間。      Happy Sakadawa! ステキなサカダワを!すべての存在に愛を込めて。