パルデンの会

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天安門事件29年集会に12万人、香港で夜中まで祈りの集会



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)6月5日(火曜日)弐
         通巻第5716号 
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 天安門事件29年集会に12万人、香港で夜中まで祈りの集会
  大学はボイコットを決めたが、集会は予測をこえる人々があつまった

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 あの天安門の虐殺(89年6月4日)を中国政府は「反革命暴乱」と言ってのけた。公式発表での死者は316名とか。

 西側は中国を制裁し、また民主活動家たちの亡命を欧米は受け入れた。多くがパリ、ニューヨークに逃れた。
 そして29年の歳月はまたたくまに流れ去り、ノーベル平和賞劉暁波は獄中で死を迎え、民主化運動は消えかけようとしていた。

 制裁を真っ先に解除したのは日本だった。世界の自由民主団体から批判されたが、しかしその後、日本の頭を越えて中国に大接近し、投資したのは欧米諸国だった。
 フランスも英国も、訪中の度に取って付けたように「人権」を言ったが、それはジェスチャーに過ぎず、ドイツのメルケルに到っては人権を口にもしなくなった「人権」は、中国という巨大なマーケットの前では、ずいぶんと軽くなったのである。

 当時の指導者だったウアルカイシは台湾にあり、王丹はボストンになり、柴玲はニューヨークでファンドを経営し、それぞれが違う人生を歩んだ。

あたらしい波は香港の雨傘運動、台湾の民主化運動、そして連帯する世界各地の民主化団体で、静かな祈りの集会を立ち上げた。蝋燭を手にして、静かな抗議、香港では12万人が集まった。
会場のヴィクトリア公園は参加者で埋め尽くされ、中国共産党の暴政を静かに、祈りの行動を持って表現した
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